親愛なる先生へ
このところ考えている、「課題の分離」ということについて。
昨日のお手紙のように、「心の中で軽蔑してお」く、というのは、そりゃあ元ネタページの発話者である「ドラ猫」だったら難なくできるかもしれないけど……。
こちとら猫じゃないし、「正しい」とされることを「学んで」「身につけないと」いけないんだしなぁ……。
などと考えていたところ、ふと、何年も前にネットで読んでいたブログのことを思い出しました。
自分の体のだいきらいな部分も、自分の人生があらわれている、と思うと、だんだんいとおしくおもえてきた。太りやすいものを食べちゃうのも、今までの自分を軸に考えたら、何もおかしくないし間違ってない。しかたないと思うし、それでもし病気になったら、それが私の人生だし、今まで、食べちゃだめだだめだって思ってたのは、その「だめ」は、誰かが決めた「だめ」で、実態がないものだなーと思う。
自分のためにがんばってる自分、そのがんばりすぎてる結果が「実態のないものが『だめ』と禁止してる行為」をしてしまう。
そんな自分を、「だめだだめだ」ってずっと責めてた。
自分の実態よりも、「実態のないものが言う『正しい』」を正しいってことにしてた。
それよりも、自分が食べたいと思ったもの、それが『だめ』で『正しくない』ものでも、その時自分がそれを食べたいと思う気持ちを認めて、尊重して、楽しもう。自分の要求に自分で応えている、そのすばらしさを感じよう。
この、「今までの自分を軸に考えたら、何もおかしくないし間違ってない。」とか、「だめだだめだって思ってたのは、その『だめ』は、誰かが決めた『だめ』で、実態がないものだなー」という部分。
こういう発想が、もしかしたら、「課題の分離」には、求められるのかな? というふうに、思ったというわけです。
それでは、今回はこのあたりで。