親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いた、『ほんとに渇望していいのか? 自分なんかに渇望する資格なんて無いんじゃないのか? 』って考えは、要するに、自分の悩みがわかりにくいからこそわいてきちゃうんだろうなあ、って思えてきました。
というのは、きっと周りの人々にとってわたしは、恵まれてこそすれ、悩んだりするわけないだろう、と思われてるんです。だから、そのくせして“渇望”だなんて、ワガママにもほどがある、と。
一方で、昨日のお手紙に取り上げた、「心が自然で」いる、ってのは、早い話が、わかりやすさの最たるもの、ですよね。
思うに、「わかりにくい 」という状態って、手持ちのリソース(?)が限りなく少なくなっちゃうんじゃないかしら。
だって、手(解決策など)の打ちようがなかった、ということなのだもの。
そうなると、例えばですけど、ほんの少しだけの栄養で、普通は誰も気にとめない(つまり、わかりにくい)ようなものであっても、わたしとしては、すっごく貴重で嬉しいものになってくる、ということが、起こりえるんです。
だからこそ、なのかな、それこそ先生のことを、こんなにお慕いしてしまったりするのは。
そういうわけで、ひらめいた、キャッチフレーズ。
「わかりにくさには、わかりにくさを」。
(さながら、「目には目を」みたいな感じで。)
ではでは。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより