親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「わたしは、『わかりにくいモラハラ』を受けていたことになるのか」と書いたのですが、この「わかりにくい」というのは、つくづくたちが悪いなぁ、と思うのです。


そもそも、やってる方(加害者? )に、自覚が全く無い。「良いことをしている」としか感じてなさそう。そして「ほんとうに良いことなのか? 」と振り返るという発想も抜け落ちてると思われる。

だから、誰かに相談しようにも、わかってもらえない。

ゆえに、『自分だけが悪いんだろう』ってなって、悪いところをなんとかして改めようとするけど、うまくいくわけがない。だってどこが悪いのか、からして、皆目見当つかないんだもの。


せめて、もう少しだけでもわかりやすかったのなら、ちょっとだけでも早い段階で気づけて手が打てたのだろうから、こんなに悩んじゃいなかっただろうに。


でも、ですよ。

そういう、わかりにくいという状況だからこそ、先生、あなたの存在意義(?)が際立ってくるんだろうなあ、と。

先生のようなひとを渇望しているのに、リアルでは、どーーしても得られない。それでも少なくとも「心のなか」では得られる(つもりになれる)。

まあ、4月8日のお手紙には、「『心のなかで』っていうのは、なんとも頼りない」と書いたのだけど。

その通り、確かに頼りない。でもその反面、完全に自由にできる、という側面は、とっても重要だと思えるんです。


なんか、意味不明かもしれませんが、とりあえず今日はこの辺で。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより