親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いた「はじまりのまえ・おわりのあと」ってのは、通俗的には「前世・来世」と言えるかもしれないですね。
でもわたしは、「前世・来世」という言葉には、いまいち賛同できないんです。
だって、あまりに決めつけすぎちゃってはいないですか?
だから、決めつけないというスタンスにおいて、それでも“まえ”や“あと”が何かしらの状態であるんだ、と思っていたいんですね。
そういうふうな心境だと、なんか、例えばやたら焦るというようなことが減らせていいんじゃないか、という気がします。
とりわけ、1月14日のお手紙のとおり、「動作が遅い」のが悩みのタネだった自分としてはなおさら、ね。
さらに、つぎの文のような発想もプラスすると、なんだかもっと、ゆとりが持てる感じになります。
今世は試しに生まれただけかもしれない、暇つぶしに。暇つぶしなら今世が完璧じゃなくてもいいか。
苦しい人生を幸せに変える究極の方法とは? | ゆめうつつブログ
さて、今日のところは、このへんで。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより