親愛なる先生へ
昨日のお手紙で、「『合理性』を貴ぶ背景には、何かが足りないとか、欠乏しているとか、限りがあるとか、そういう要素が大前提としてあるのでは? 」という仮説について書きました。
これについて、どういうことなのか、もっと説明しますね。
わかりやすくするために、逆に考えてみるといいと思うんですが。
もしですよ。時間もお金も体力も、もうありとあらゆるものが無限にあって、どれだけでも好きなだけ使えるのだとしたら。
そしたら、「すっきり」と「むだや無理がない」のって、とたんに凄くつまらなくなっちゃうのでは? という気がするんですよ。
だけど実際には、そんな「時間もお金も体力も、もうありとあらゆるものが無限にあって、どれだけでも好きなだけ使える」なんて状況、あるわけない。
もし、たとえほんとうはそうなのだとしても、そんな証拠、全く見当たらないですもんね。
そう、この「証拠が見当たらないからだめ」ってのも、まさにくだんの「理性による合理的思考」のなせるわざ、ってわけですよ。
そして、この「証拠」うんぬんって考え方って、やたら幅を利かせちゃってる感がある。これのせいで、いったいどれだけ窮屈な思いをしていることやら……。
ではでは。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより