親愛なる先生へ
昨日のお手紙のラストで、「失敗が恥ずかしい事じゃないなんて、釈然としない」というようなことを書いたのですが、自分って、この“恥ずかしい事”という言葉に、やたら弱いみたいです。
そういえば、1月15日のお手紙にも、そういうようなことを書きましたっけね。
で、もしかすると、このネット記事に、ちょっとあてはまるのかもしれないなー、と思いました。(自分の場合は、これほど極端なケースではなかったんだろうけど)
なぜ耐えがたい恥は人を生ける屍にしてしまうのか―「公開羞恥刑」と解離の深いつながり | いつも空が見えるから
この中に出てくる、「解離」とか「離人症」、ちょっと幼少時などに心当たりがあるかも。
要するに、日常的・慢性的に、恥ずかしい目にあわされていて、逃げられなかった、ってことなんだろうなあ。
な~んてこといいだすと、もしかしたら、なにかしらの専門的な治療的なものを受けた方がいいのか!? って感じになってきてしまうかもしれませんが(汗)
ちょっと、今日のところは、これ以上このようなことを考えているのはキツいので、つづきはまた。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより