親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いた、「呪い」や「祝福」について。

 

いったいどうして、「祝福」ではなく「呪い」という態度が発生してしまうんだろう? と、ちょっと考えてみました。

 

ひとつ思いついたのは、近頃の人々は「待てない」ようになってしまっているから? ということ。
急いで答えを出さないと置き去りにされてしまう! ……と、やたら焦らされているから?

 

ちょうど、今日から大学入試センター試験が始まったところだけど、こうした入試みたいに、限られた時間の中で問題を解けるか否か、というようなことで、もっぱら人となりを判断される風潮の、弊害だったりするのでは? などと思えてきます。
(先生は、ご職業から考えるに、大学入試なんて、きっとソツなくこなされてきたんでしょうけど、「なにかにつけて動作が遅い」と1月14日のお手紙に書いたりしていた自分としては、今あらためて振り返ってみると、なんともイヤな思い出だなー……。)

 

そこでちょっとひらめいたのが、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉。(聞き慣れない外来語なので、もしかして全然見当違いかも、だけど)

 

ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)は詩人ジョン・キーツが 不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。
…(中略)…
人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

 

ネガティブ・ケイパビリティ - Wikipedia

 

あくまで自分の主観だけど、これって、昨日のお手紙の「祝福」に通じるところがありそうなんですよね。「語り尽すことができない」とか「世界が汲み尽くし得ないほど広く深いという自覚を持つ」とか。
だから、言葉にこそ最初に「ネガティブ」って付いているけれど、じつは逆にポジティブなことのような気がします。

 

それでは、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより