今日はお通夜でした。
いとこのおばあちゃんが一昨日なくなって今日のお通夜に参列してきたのだけれど、そのおばあちゃんの死というものを知った時、直面したとき、すごく色んな感情が湧き上がってきました。
ああ、もっと会いに行けばよかった、、、という後悔の念。
もう会えないんだ、あってお話しすることができないんだ、って思った時、ものすごく悲しくなって寂しくなって涙しました。。。
小学生まで川越に住んでたから、いとこの家にはよく遊びに行っていて、その時おばあちゃんにもすごく面倒みてもらっていつも優しくてあったかくてそんな印象があったなあって。
で、大学でまた東京に出てきたから、気軽に顔を出せる距離にはいたけれど、なんとなくいとことも疎遠になってたりして、で、お母さんがいとこんちに行くたび、わたしのこと気にかけてくれてて、りえちゃんも遊びにおいでよって伝えといてね、いいんだよ気軽に来てくれたら、って言ってくれてたのを何回も聞いてて、行きたいなあと思いつつもう5年くらい会ってなかったのかな。
で、一昨日、亡くなったってのを聞いて
すごーーーくすごーーーーーく後悔の念がわきました。。。
でね、気づいたんだけど、激しく思ったのだけど、「いつか」は存在しないんだなって。
そーやって「いま」っていうときを、その一瞬をちゃんと生きないと後悔するんだなって。
それは1年前に会ってても一週間前におばあちゃんとあってたとしてもそれが最後の会話だったなんてその時は思わないだろうね。
だけどさ、やっぱり会いたい人にはちゃんとその時に会わなきゃ、やりたいことはちゃんとその時にやらなきゃ、感じたことはちゃんとその時に言葉にしなきゃ、
とにかく後悔だけはしたくないなってすっごい思った。
だからおばあちゃんとちゃんと会ってお話もできないままお別れしたのはすっごい寂しかったし、後悔したけど、このことをきっかけにわたしはより、「鮮度」を大切にすることを知りました。
ほんと、ああ、あのときにこうしとけばよかった、ほんとはこうしたかった、っていう後悔だけはしたくないなって。
だからそのときそのときのベストを尽くせたないいなって。
いやでもそれはとにかくガムシャラに頑張ることとも違うんだ。
なんかわたしはベストを尽くすっていうと死にそうになりながら身を削るみたいなイメージがあったんだけども、そーゆーのではなくて、うまくできない時とか何にもしたくない時とかそれがその日のベストならそれでよくて、自分が猛スピードで進んで行きたい時はそれがよくて。
そーやって自分の心の声をちゃんと聞きながら生きていきたい。
生きていく。
おばあちゃん、ありがとう。
安らかなお顔ですごく嬉しかった。
天国でゆっくりしてね。
笑顔で見守っていてね。