多くの人は、神社仏閣へお参りすると、お賽銭をあげて「豊かにしてください」「幸せになりたいです」 「合格しますように」といったお願いをすると思います。

神様にお願いをすることを、神頼みだと考えているんだよね。

だけどひとりさんがやってるお参りは、その真逆です。

こちらから神様にお願いをするのではなく、

「神様の頼みを実行する」

私は、これを神頼みだと考えています。

神様が欲しいのは、お賽銭ではありません。

神様の世界にお金を持って行けるはずがないし、神様はお金がなくてもすべてを持っている。

というか、この世界にお金をつくってくれたのも神様だしね。

神様が望むのは、あなたが人生を楽しんで笑顔になることです。

そしてその明るい波動で、周りの人も笑顔にすることを望んでいるんだよ。

あなたが幸せになるのが、神様の一番の喜び。

そんな神様の意を汲んで実行することが、真の神頼みなんだ。

でね、神様が望むことのお手伝いをしていれば、神様が喜んでいくらでもご褒美をくれるから、結果的にあなたの欲しいものが手に入る。

そもそも、欲しいものを神様にお願いするのは「自分はそれを持っていない」という不足感を強調するようなもので、波動の法則で言えば、ますますそれが手に入らない現実をオーダーしていることになります。

しかも、深刻な顔でお参りなんてしようものなら、波動まで重くなって、神様との間にぶ厚い壁をつくっちゃうだけなんだよ。

神様に伝えたいことがあるのなら、明るい笑顔で感謝の言葉を選ぶこと。

「いつもありがとうございます」

「おかげさまで豊かになりました」

そうやってお参りしな。

今の自分の現実がどうであれ、神様に感謝を伝えることは「すでにそれを持っている」という満たされた波動になるから、いちいち「これをください」なんて言わなくても、必要なものは自然に手に入るんです。

また、神様はしつこいのが苦手です。

苦手というか、波動が違い過ぎて関わることができないの。

だってさ、粘着質なしつこさってどう考えても波動が重いでしょ?(笑)

それに対して、「ふわふわ」でさらっと軽いのが神様の波動。

両者はどこまでいっても相容れない関係なんです。

その意味では、ネガティブな思考はもちろん、「お金が欲しい」「出世したい」みたいな欲も、じっと握り続けないでパッと手放すのがマルだね。

人間には欲があるから楽しいし、欲のおかげでがんばれることもあります。

決して、欲は悪いものではありません。

でも、その欲に執着して 「お金〜、お金〜」なんてしつこく求めると、途端に波動が重くなる。

それでは、神様もあなたの願いを叶えられないよ。

ただし、同じ欲でも「お金が入ったら、家族旅行をして楽しむぞ〜」「出世して、ますます仕事を楽しむぞ〜」みたいな明るい欲ならだいじょうぶです。

神様は楽しいのが好きなの。

明るく楽しい欲なら大歓迎だから、「ふわふわ」で自由に妄想を広げたらいいよ。


斎藤一人 柴村恵美子 著

『龍の奇跡を起こす ふわふわの魔法』より