私の母は4年前に亡くなりました。


今の私の年より若い時に、脳梗塞をおこし、右半身麻痺の後遺症が残りました。


医師には車椅子生活になると言われましたが、懸命のリハビリで杖をついて歩けるまでになりました。


母は私以上に、やると言ったら徹底的にやる人!

リハビリの先生にもお母さんは本当に頑張り屋さんですね!てよく褒められました。

そんな頑張り屋さんの母でしたが、晩年は体力も落ち、再度脳梗塞を起こし入退院を繰り返していました。


4年前の夏

妹から母が再度入院したと連絡が…


体内の酸素濃度がかなり低くなり、身体的にはもう、寿命。

後は本人の気力がいつまで持つか…

今の内に会いたい人には合わせてあげてください…と主治医に言われたとの事…


覚悟はしていたものの…

ついにその時が… 


妹から意識がある内に、1日でも早く帰って来てと…

私もすぐにでも飛んで帰りたかった!


ただ…その頃は新しいプロジェクトの立ち上げ前で、それに伴う、新たなスタッフの研修係を任されており、誰かに任せて実家に帰るなんぞ、絶対に出来ない状況でした…😰💦…


しかし、どうしても母に会いたい!

私だと分かる内に会いたくて、上司に相談したところ…


すまないが、一週間だけ待ってくれ!

一週間もすれば、プロジェクトも形が出来上がる。

そうすれば、研修は俺が交われるから、

一週間だけ待ってくれ!と頭を下げられてしまった。


そうだよな…

今すぐはどう足掻いても、抜ける事はできない…


父からも仕事を優先しなさいと言われた。

そっちを放って帰って来ても母さんは喜ばんぞ!

…それも分かってる…


一週間…一週間…一週間…

後はもう 神頼みしかない!!!


あっそうだ!!!


その日から 仕事帰りにいつも行くお寺に行き、お大師様にお願いする事に…


表門は閉まっていますが、お寺の奥に宿舎が有る為、脇門はいつも開いているので、そこから真っ直ぐ太子堂に向かいました。


夜の7時過ぎ頃…

夏なので、まだ少し明るい…

太子堂の扉も、もう閉められているので、

お大師様のお姿(仏像)は見れませんがお大師様に届くように大きな声で


「お大師様!! ○○の○○です。

私の母が…母が…

母をまだ連れて行かないで下さい!…

あと一週間 一週間したら帰れますので!

それまでどうか どうか連れて行かないで下さい!」

お願いします。私の寿命を母に使って下さい。どうかどうか、お願いします!!!

そう 言い終えた所で…

太子堂の灯りが、バチッと点いた!


えっ?! 声に反応したの?

人の気配で点灯するのか…

そんな電灯には見えないけど…

どう見ても裸電球…


何か…私にスポットライトが当たっている感じがする…

ならば、もう一度!


お大師様! 

私が帰れる日までどうか、どうか!

まだまだ 親孝行させてください。

母を助けてください。

お願いします。

どうかお願いします!!


涙と鼻水でグチャグチャな顔に

当たる灯り…柔らかで…

まるで私の話をじっくり聞いてくれているようでした。…


お大師様 遅い時間に来て、大きな声を出して申し訳ありませんでした。


そう伝えると灯は静かに消えました。


お大師様 私の話を聞いてくださったのかな…

いや…聞いて下さったはず!

あの灯りは きっと聞いてるよて合図!

よね?! うん!

信じる者は救われる!


太子堂は通常、中に入る事が出来て、いつもお大師様の像と向かい合いながらお経をあげています。


お経を終えた後も、お大師様の像を見つめていると時々、言葉が不意に頭に閃くんです。

時には叱られたり、励まされたり…


お四国を回っていた時も、お大師様の石像を見つめたり、話し掛けたりしていました。


このお寺のお大師様は、何かリアルで本当にそこにいらっしゃるみたいな感じです。


(この写真のお大師様とお顔が少し似ている…かな…
太子堂のお大師様は祭壇に座っていらっしゃいます。)

その次の日も 一週間ずっと、仕事帰りに同じように太子堂で声を張り上げお願いしました。


お大師様にやはり願が届いたのか、母の容態は安定しており、無事に一週間が過ぎました…


上司はこっちは気にするなと言ってはくれましたが、とりあえず10日間の休みを頂き、夜行バスに乗り、母のいる病院へ…


母は意識はあり、か細い声でしたが、

おかえり〜と言ってくれた。


食事も少し摂れるようでした。

はぁ~良かったぁ〜… 💦💦…


完全看護ではありましたが、父と妹と私の交代で夜も一緒に付き添った…


体内酸素が少ないため、横になると息苦しくなり、夜勤の医師が飛んできて酸素の濃度を上げ、注射と投薬で、ようやく少し眠れる そんな状態が続いた。


少しでも眠れると、昼間も元気になり、甘い物も食べたり、少し話しも出来た。

私は、母の手が冷たくならないようにいつも手を擦っていた…


母の弟夫婦や、遠くに住む母にとっては孫と曾孫達も、お見舞に来てくれたりして、すごく嬉しそうに笑っていた。


このまま無事に、もっともっと長生きしてくれるんじゃないかな!て思えるくらい楽しそうにしていた…


私にとっても、滅多に会えない親戚に会えて嬉しかった。

皆で母を囲んで写真も撮った…


でも…時間は止まる事を知らない…

あっと言う間に時は過ぎ…

東京に戻る日に…

戻りたくなかったけれど、一応 社会人ですからね…


出発の時間が迫る…

胸が引き裂かれるような想いで、

涙をこらえるのがやっと…


泣顔は見せたくない…

やっと声を絞り出し…


お母ちゃん…

そろそろ出なきゃいけないから…


私がそう話すと…

母は 渾身の力を込めて

ギューッと私の手を握って…

ゆっくりと頷いた。

頑張りなさいよって、言葉が…

伝わって来た…


またお盆休みに帰ってくるから、それまで元気でいてよ!

うん うんと頷いた母……


それが母との最後の時となりました…


東京に戻り、約一ヶ月後…

妹から、今、亡くなったと連絡が来ました…


前日まで落ち着いていたが、容態が急変してしまい、呼び掛けにも反応しなくなり、最後に父が大きな声で呼ぶと、


目を見開き、周りの人を見回した後、ゆっくりと目を閉じたそうです。


きっと皆にありがとうって伝えていたんでしょうね…


とうとう逝ってしまった…


頑張り屋さんの母らしく、寿命と言われてから、2ヶ月近く頑張った…


本当によく頑張ったね!お母ちゃん…

ゆっくり休んでね

今まで、ありがとう…

そう 母に死化粧を、しながら伝えた…


葬儀を済ませ東京へ戻った翌日

お大師様に会いにお寺へ…


太子堂に上り、いつものようにお経を唱え、そしてお大師様に御礼を申し上げました。

いつもより 穏やかで優しそうなお顔…


大変だったね…て 

労って頂いてるみたい…


お大師様…

一週間 待って頂き、さらに10日間

私に与えて下さり 本当に本当に

ありがとうございました。


最期は看取れなかったけれど、

10日間も一緒にいられました…

親孝行の真似事も出来ました!


すべて…

お大師様のおかげです。…

私の願をきいて下さり、心から

心から 感謝申し上げます。


お大師様も母と同じように

ゆっくりとうん、うんて…


思わずクスッと笑ってしまった…

粋だな〜お大師様…


太子堂を出ると…

どんより雲の切れ目から、夏らしい

真っ青な空が…


私はここにいるよ!母が…伝えてる…


知ってるよ!

皆に好かれる人で、菩薩顔だった母…

神様と仏様と一緒にいる!

輪廻転生はもうしない…


分かってるよ!

そこから 皆を見守っててね!

神様 仏様によろしくね〜

じゃあね…

青空に手を振った…