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童話と道徳と精神と行為

命は一個 人生は一回 命を守るのは真心
だから大切ね「真心」




エリーザと十一人の兄達との間には
積み上げてきた信頼関係がありました

だからね
エリーザの行為を 疑うことなく見守ったの

また  その行為が自分たちへの愛の行為だと
信じて信頼してくれたのよね

どんなに エリーザを愛してその手の中に
抱いたとしても
王とエリーザの間には  まだ 育まれていない
ものでした

無理よね
何をしても  話しかけても  優しく慰めても
抱いても 与えても…

笑顔一つ見せてくれない
何を考えているのか…わからない

王は どうしたらいいのか わかんないで
当たり前よね

怪しい行動をする
笑いもしない女を疑いを持って
訝しがる

そんな  周りの人々の行動も  当たり前よね


決定的証拠に思える行動を見てしまうと
疑う余地なしと魔女に仕立て上げられても
仕方ないわよね

自分の行為が周りに与える影響への
自己責任よ

エリーザの選択した行為に
エリーザは自己責任を持つ事になる

それが  周りの人々にどれだけ理解されなくても
信念を曲げる訳にはいかない
絶対やり通すと決めた事が 自らの命を危険に追いやっても…

そんな手厳しいこと…どうして出来る?

愛よ

愛しい人を守るために 
愛しい人を無くさないために
愛しい人の自由を取り返すために

選択したのよね

自己犠牲に覚悟をもって 向かえるのは
根底に 愛する人を護る という 信念があるからよ

自分の自由も危険も見返りも 求めず
尽くせるのは

愛しているからに他ならない

それ以外に理由はないもの!

愛している  は  自分の行い
愛されたいから  行うこととは違う

人魚姫とエリーザの違いは ここよね

愛し合いたいから 選択した行為と
愛しているから 選択した行為で

現れでる結果が違う

言葉を使えない  言葉で伝えられない
愛を表現すること  限られてること同じ

人魚姫が尽くした事の 意味と
エリーザが尽くした事の 意味は

全然違うもの


精神論を語る者
ツインレイを語る者が よく言うのよ

愛されたければ
愛しなさい

人魚姫の愛には 当てはまる
エリーザの愛には それは無い!

二つのお話の最終章に 現れでた結果はどだったかしら?

答えは  描かれてるよね

真反対よね


信頼関係
どんな見姿を見せても 行動を見せても
そこに 信頼が有るか無いかで
信用されるか されないか が決まるのよ…

命に関わる事よ

人魚姫とエリーザの愛を 見比べるとね
観えてくる

王子と王の表現を比べると 
何が必要なのかも 観えてくる


関係を創る

という事よ


つづく