先日の卒業式が終わったあと、夜からは、専攻語の教授や講師を交え謝恩会が開かれました赤ワイン

 

事前には知っていたものの、やはり1番嬉しかったのは、

大1~2の時にかなりお世話になった、ネイティブの講師が来てくださったこと!!

彼女は去年あたりから、他大に移ったものの、

私達の大学に在籍していた時は、本当に熱心な中国語の指導を行っていました。

彼女の名前は、他の専攻語の学生でも知ってるくらいキョロキョロ

 

今日は、そんな「名物ネイティブ講師・Q先生」の思い出を…

 

Q先生は北京出身で、中国国内の言語専門の大学を卒業されている。

日本に住んで長く、日本語もとても流暢に使いこなす。

すらっと背が高く、いつもにこにこしている印象だ。

 

Q先生の中国語指導で1番有名なのは、発音指導

どの言語にも共通しているが、特に中国語では、兎にも角にも発音が肝心だ。

声調の違いで、がらっと意味が変わってしまうし、発音できない音は聞き取れないものだ、リスニングにも影響する。

 

今は懐かし5年前。希望に胸を膨らませた新1年生を待っていたのは、

1ヶ月に及ぶ、Q先生の徹底した発音指導であった。

 

まず、授業で鏡を持参させ、口や舌の位置を理解させる。

Q先生は「会話」の授業を担当していたのだが、「会話」だからこそなのだろう、

最初から「你好」以上に、母音/声調/子音ばかりやっていた。

北京式の巻き舌も、en/eng/an/angなども、全て徹底的に練習した(というかさせられた)。

 

Q先生は、授業の他にも、中国語を勉強する場を設けようと、大学公認の中国語サークルを立ち上げていた。

そこで、先輩からとんでもない話を聞かされるのである。

「Q先生に鉛筆を口に突っ込まれて泣いて辞めた子がいるんだよね〜

 

…鉛筆を口に突っ込んで指導⁉︎((((;゚Д゚))))

しかし、十中八九先輩方は口を揃えて言うのである、

「でもQ先生の発音指導は、本当にいいよ」「Q先生のおかげで留学先で1番上のクラスに入れた」と。

 

その生徒ができるまで、何度でも発音させる。

生徒の発音を聞いて、舌や口の位置がどう間違っているか指摘し、正しい音になるまで指導する。

声調が全くできない子には、ゴールデンウィーク中に簡単な聽寫(ディクテーション)の課題を出す。

 

あの噂通り、「鉛筆を口に突っ込む」指導も本当に目にした。

事前に知っていたのもあるが、むしろ徹底した指導空間に染まっていたからなのか、特段驚きもしなかった。

 

ある学生は「毎回会話の授業が来ると緊張する」といい、

電子辞書の発音を聞けば「Q先生に声が似てドキッとする」とビビってすらいた(最早笑い話であるが)。

 

しかし誰1人、Q先生に反発したり、やめたりはしなかった。

あの教室にいた十数名(少人数クラスに分けていた)は、必死に彼女の指導についていこうとしていたのである。

彼女の、指導への純粋で熱い思い、プロ意識を、全員感じ取っていたのだ。

そしてそれはいつしか、彼女に対する厚い信頼へと変わっていた。

 

発音指導は、いよいよ教科書の会話文を学ぶ段階に入ってからも続いた。

教科書のモデル音声よりも、ゆっくりと発音させられ、

自由会話の時間中に1人1人呼び出し、個々人の苦手な発音をそれぞれ指摘(今思えば、生徒の実力把握が完璧)。

教科書のスキットを一通り学習し終えると、「背」(暗記)を次の授業までに課せられ、1人1人当てられ暗唱させられる。

(この「背」は、中国語専攻の名物用語の1つでもある)

 

学年が上がれば、今度は「背」に加えて「聽寫」(書き取り)「作文」(なぜか私のクラスだけ1番多く800字以上書かされた)と

中国語の授業は他にもあるにも関わらず、4技能オールインワン!と言わんばかりの大量の課題が詰め込まれた。

(今考えれば、課題を出す側はチェックの負担が相当あったはず)

 

時々、他の専攻語の友人から「ネイティブの授業は緩い」と耳にしたが、Q先生は例外であった。

 

今振り返っても、「あの時は1番しんどかった」という言葉が一言目には出てくるが、

しかし、やはり誰1人としてQ先生についていくのをやめなかった。

なぜなら、これらは全て「私達の中国語を上達させたいからなんだ」という信頼が、私達の中にあったからである。

 

Q先生は、確かに厳しかった。クラス全員怒られたこともある。

しかし、本当に私達のことを考えていたのだと、真心があるのだと授業やそれ以外の場面で感じていた。

どんなに出来が悪いと思っていても、「授業に出て課題を全て出せばS」(成績)の評価がつけられた。

中国語サークルに思い切って顔を出せば、「よく来てくれたね」「頑張ったね」と褒めてくれ、

授業中どんなに叱っても、私達1人1人の良いところをきちんと見ていてくれたのである。

 

「鉛筆を口に突っ込む」指導は賛否両論あるだろう。

しかし、この指導で咎められないのは、中国語指導と学生に心を注いだQ先生ただ1人だけだと思う。

鉛筆を口に突っ込んだのは、単純に「口の形を覚えさせたかった」だけだと、わかっているからなのである。

 

 

Q先生の指導を2年受け、大3に進級した私達の多くは、中国や台湾へ留学に飛び立った。

私の場合であるが、当初は特に、多くの台湾人から「ものすごい大陸発音ね」と二言目には言われた。

しかし、同時に「正しく、綺麗な発音ね」とも言われることも多かった。

1学期目に受けた中国語のクラスでは、自由会話中に先生から

「あなた日本人に特徴的な発音がないけど、どこで習ったの?」と聞かれた。

 

そんな時、大抵私はこう答えていた。

「…日本の大学で学びました。先生が厳しかったんです。」

答えるたびに、しばらく会っていなかったQ先生への感謝が湧いていた。

 

Q先生の2年間の指導では、自分や他の学生が間違った発音をするたび、彼女が指摘するというのが予測できていた。

そのせいだろう、Q先生の指導から離れたあとも、自分や他人の不正確な発音を耳にすると、

私の「心の中のQ先生」が反応し、直したい衝動に駆られるのである(笑)。

敏感なセンサーのようだが、本家のQ先生は、口や舌の何が間違っているのかまでわかるのだから、まだまだである。

 

正直な話であるが、他の留学生が、発音や声調を無視したまま話すのを聞くたびに、

「教わってこなかったのだろうか」「そもそも自分で気にならないのか」と首を傾げていた。

 

もちろん、発音は全てではない。

Q先生の言葉を借りるなら、「発音は見た目で、文法や話す内容は中身」である。

しかし、どうせなら「スタイルよく」いきたいものではないだろうか。

 

 

時を戻して、先日の卒業式。慣れない袴で校舎を歩き回り、Q先生に渡す色紙にメッセージを記した。

いろんな思いが溢れ、最早何を書けばよいのかと悩んだが、

熱心な指導のお礼に加え、「プロとしての姿勢を学びました」と添えた。

彼女の徹底かつ熱心な指導自体が、プロそのものであるが、

Q先生自身だけでなく、私達学習者に対しても「やるなら徹底してやりなさい」という

「プロとしての心構え」も伝えたかったのかもしれない。

 

本当に、Q先生は「名物ネイティブ講師」であった。

今、他大でQ先生に教わっている学生は、本当に幸せだと思う。

そして、在学中にQ先生の指導を2年も受けられた自分達も、幸せ者だろう。