こんにちは。
Twitterで、パラドックスを例に出してSnow Manの話をしました。
けれど、やっぱりツイートの文字数じゃ上手く語れないので
ブログで書いてみようかなと思って、キーボードを叩いています。
今日は「テセウスの船」理論について。
簡単に言うとテセウスの船理論とは、
船(オブジェクト)を修理(再構成)するときに
最終的に全ての部品(構成要素)を取り換えてしまったとして、
それは果たして元の船と同一だと言えるのか?
というパラドックスの事。
わたしはこれがすごく今のSnow Manにも当てはまると思ってる。
代入して、議論できるなと思いました。
深澤くんは「このグループだけはどうしても守りたかった」
そうROTで言ったよね。
深澤くんが守りたかったのは、Snow Manっていうグループ。
Snow Manを守りたかった、だから増員を飲み込んだ。
そう言った意味合いに、わたしには取れた。
わたし以外にもそう捉える人が多いように感じました。
でも、今のSnow Manは果たして、
深澤くんの守りたかったSnow Manなのかな?って思います。
そこに、疑問をずっと抱いている。
アクロバット、安定したユニゾンとハーモニー、高いダンススキル、
6っていう数字、今まで積み重ねてきた時間、トーク、
1歳しか年齢差のないことによる同世代特有の同級生感や空気、
その他にも色々「Snow Man」を構成する要素があったわけで。
そういった要素を、今回の増員ですべて失った。
そして今までになかったものが追加された。
それこそ滝沢氏のいう「新しい風」。
構成する要素を取り払われ、新しい要素が追加されて
正直6人の時とはまったく違うものになったように感じます。
それは、空気感やトークもそうだしパフォーマンスもそうだし。
(ブログ更新していないけれど単独ライブ3/25 生配信視聴済)
正直、Snow ManがSnow Manでなくなっていると感じています。
そんな現状「Snow Man」という名前だけを残して、
それを構成する構成要素や核が変化してしまった今現在、
果たしてそれはSnow Manと呼べるのだろうか。
それはSnow Manの本質は残っているのだろうか。
わたしはNOだと思う。
そもそもがテセウスの船理論自体について、
わたしは多分スノの事以外でも「言えない」と答える。
これはあくまで私の持論だしジャニには関係ない部分なんだけど
例えば何かを壊してしまったときに「弁償するから」って言うよね。
「同じもの買うから許して」って。
でも、私は「この世の中に同じものなんて何もない」と思ってる。
例えば、既製品ならば、同じ姿かたちをしたものはある。
けれど全く同じルートを通ってきて同じように扱われて
同じ環境で生まれて、店に並んで、購入して、っていう
そういったいわゆる「その物自体の人生」が同じ物は、
「その物」自体しかありえないから、「同じ物」なんてないって。
これはある意味哲学だし、それであってただの屁理屈。
だからこそ私は、そんな目に見えない時間の部分ですら
物質的に違うものは同じとは言えないと思ってるから、
そんなの目に見えて違うSnow Manが、
同じSnow Manだなんて言えるはずないんですよね。
だからこそ私は、1.17以降ずっと名前を変えてほしいって言ってる。
別物だと思っているからこそ、別物としてとらえるために、
新しい肩書きが欲しい。
上書きされるのは、どうも私は耐えがたかったから。
名前も変えて、既存曲も捨てて、新しく0からリスタートしてほしい。
そうすれば私たちは永遠に「Snow Man」が好きだと言える。
そもそもが0からリスタートする時間なんてないと思っているけど、
でも、今まで積み重ねてきたものを捨てている時点で
同じようなもの。
なのに名前と曲だけ持っていくなんてずるいと思う。
捨ててほしくないものは呆気なく捨て去ったくせに、
そうなった故に捨ててほしいものだけは持っていくなんて。
わたしは、構成要素が物質の本質はそのままに
時間経過によって進化、退化、劣化したものならば、
それはロジックとして同一といって成り立つと思うんだけど、
物質としてモノ自体が別物に取り換えられてしまった場合は
それはロジックとして成り立たないのじゃないかなと思ってる。
だからいまのSnow Manをテセウスの船理論に当てはめたとき
私の中では同一だというにはロジカルではないと思っています。
分かりやすく言うと……。
例えば6人のメンバーがいて、そのキャラや立ち位置が
時間経過によって変化していったとして、
それは同一のグループだと言えるけれど
メンバーチェンジしてしまったらそれは同一ではない、って事かな。
名前だけ残したところで、本質の核や構成要素や過去が
全て一新されて、変革されてしまったらそれは、
同じ名を持つものなだけでそのもの自身ではないのじゃないかな。
あくまでこれは私個人の考え。
パラドックスや哲学なんて人の数だけ考え方があると思うし、
何が正解で何が間違いだなんてないんだと思う。
ただ、わたしはこう思っていると書き記しておきたかったのと、
パラドックスとしてこういう哲学があるんですが、
Snow Manにも当てはまりますよね~ってだけに過ぎません。(笑)
だからこそ。
いまのSnow Manを見る「ファン」の中で思考のずれが生じても
それは仕方のないことだし、
ある意味自然な流れなのかもしれないね。
今日はこのへんで終わります。