おはようございます。

3児のママ、落ちこぼれ母ちゃんおきざりすです。

 

昨日は久しぶりに1人目の学童のお迎えを歩いていけました!!

突発的な仕事があって、残業したりして夫にお迎えお願いしたり、私が車で迎えに行ったりで。

子どもも歩きで帰りたいらしいし、二人で歩きながらだと学校このこともよく話してくれるから、なるべく歩きで迎えに行こうと思っています。

ま、私はバイク通勤なので、私が迎えに行くときは歩きになるんですけどね。

二人の時間ってなかなか取れないので、大事にしていきたいです。

 

 

前々回、この1人目が小学校にいきしぶることを書きました。

この、7つの習慣から気になったこと↓

 

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則

  インサイド・アウトサイド

     個性主義と人格主義  

 

・問題なのは何を見ているかではなくどのようなレンズで見ているか

・状況を変えたければまずは自分が変わる必要があり、変わるには物の見方を変えなくてはならない

・息子の姿より世間の目に映る自分たちの姿が気になっていた

・息子を変えようとせず、一歩離れたて距離をおき、彼に対する私たちの見方から離れて、彼自身の本質、独自性、一人の人間としての彼本来の価値を感じ取ろうと努力した

・息子を肯定し、彼の価値を認め、成長を喜ぶことが親の自然な役割

 

 

1つずつ私に当てはめてみたいと思います。

 

 

・問題なのは何を見ているかではなくどのようなレンズで見ているか

子供のことを学校がイヤなんだ。

楽しくないんだ。

YouTube見ていたいだけでしょ?

勉強がつまらないだけかな?

親が言わないと遅刻する子、準備できない子なんだ。

というレンズで子供を見ていたかも・・・

あとは、学校は遅刻してはいけない場所だ

という固定概念もありそう。

ま、遅刻しない方がもちろんいいです。先生や他のお子さんにも迷惑はかけないし。

でもよく考えたら、わたしもよく遅刻していたし、それで死ぬことはないし、悪い思い出も残っていない。

よく走って学校に行っていた、近道して登校していたのは覚えていますけど。

 

 

・状況を変えたければまずは自分が変わる必要があり、変わるには物の見方を変えなくてはならない

私が変わる、私の子供の見方を変える必要がある

→何でもできるし、できない時は助けてって言える子だ

→授業はつまらないらしいけど、なんだかんだ帰ったら楽しそうに話してくれる

→学校行かないって言い始めたらどうしよう、ってはじめから心配していたけど、それは子供を信じていないってことかも

 

 

・息子の姿より世間の目に映る自分たちの姿が気になっていた

これが一番大きい問題かも・・・

→遅刻させる親、できない子の親、って思われるのが嫌ってこころの奥底で思っている

だから、早く準備しなさい!!って怒っちゃう。

余計に子供は行きたくなくなる。また起こる。子供が泣く。余計に遅刻にまっしぐら。学校行かないって言いだす。

の悪循環を何回繰り返したことか・・・

→遅刻するのは子供で、遅刻してどうなるかは子供の問題、どう感じるかは子供の問題。

それは私の問題ではない。問題を分離することにします。

もちろん、1年生なのでまだまだ親のサポートは必要ですけど、干渉しすぎないように問題を分離することを心がけたい。

 

 

・息子を変えようとせず、一歩離れたて距離をおき、彼に対する私たちの見方から離れて、彼自身の本質、独自性、一人の人間としての彼本来の価値を感じ取ろうと努力した

→もっと子供を観察しないとな~。表面的だけではなくて。

→色メガネは外して、純粋に子供をみられるように努力する

→失敗からも学んでほしいから、手を差し出し過ぎないように気を付ける

 

 

・息子を肯定し、彼の価値を認め、成長を喜ぶことが親の自然な役割

→否定はしていないはずだけど、早くしなさいを連発するのも否定なのかも

→ありのままの子供を認めていきたい

→親の役割りってそれだけなんだ!!しつけとか必要ないのかも

 

 

固定概念を思い込みをはずした目で子供を見ていきたいです。

最後までありがとうございました!