私には父親はいなく、ほぼ生まれた時から母と二人だけの生活でした。母は昔で言う“職業婦人”というやつで、長年、とある会社の経理をしながら私を育ててくれました。当時はパソコンももちろんないので“ソロバン1つで生き抜いてきた”って感じです。
小さな2DKのマンション?ビル?に住んでいましたが、私はウチが貧乏だと思ったこともありませんでした。当時の女性としてはお給料もわりと良かったようです。
たとえばテレビで新しいおもちゃのコマーシャルをやるとしますよね。
それを見て私が「あれほしい」と言うと、翌日もう買ってきてあるんです。
大人になってから母に聞いたら、母にとって常に私に罪悪感があったから…と言っていました。そして
あそこの家はお父さんがいないから〇〇を買ってあげられない
などと絶対他人に言われたくない!そんな意地も母にはあったそうです。
だから母から「うちはお金がないから買えない」って言葉を聞いたことが
なかったんです。私はほぼ毎日息子に言ってしまいますが
とにかく母子家庭だとバカにされたくない!強くいなきゃ!と自分自身に言い聞かせて生きてきたんだと思います。まさに昔の人って感じです。
私の小学・中学時代は、いわゆる母子家庭は少なく、
「お父さんがいない」ってことは、友達にも堂々と言えることもできず、私にとってはちょっと恥ずかしいというか、触れられたくない部分ではありました。
今でも覚えてるんですが、中学1年の時、新しく友達になった子の家に遊びに行く話になった時に「ZUBORAちゃん(私)は来たらだめ。うちのお母さんが遊んだらダメって言ったよ。だってZUBORAちゃんちはお父さんがいないから」と面と向かって言われたことありましたもん。すごい差別…そんな時代だったんですよ。今じゃ考えられませんが。
とにかく、母の人生は私だけが生きがいだった…と言っても過言ではありません。
再婚も考えず、ひたすら私のことだけ考えて生きてきたんだと思います。
思春期、反抗期などいろいろありましたが、でも基本的に恋愛の話でさえ何でも母に話していたし、私が大人になるまでは二人で一緒に泣いて笑って生きてきた感じです。
ただ私のせいで、ひたすら働く人生だったなぁ。
もっと楽しいことたくさんさせてあげたかったなあ。と思うんですが
でも母自体が地味な人で、確かに生活のために仕事をしていたけれど
仕事が生きがいだったし、本を読むのも好きで、勉強家。
逆にあまり人と接するのが好きじゃない。限りなく孤独を愛した人でした。
だからたとえ有り余るほどのお金があっても、いろんなモノを買ったり
旅行したり、そんなハデなこともしないだろうな…と考えると
私がいちおう結婚し、孫の顔を見せられたことで
ひとまず安心はしたんだろうと言うことで、
まあ親孝行したことにしておこう…と勝手ながら思っています。
亡くなる数年間は認知症になり、まともな話ができませんでしたが
良い悪いはおいておいて、ここまで母と密に生きてきた中で
母の気持ちはほぼ、手に取るようにわかります。
そんな母からのメッセージ
私はずっとアンタの母だからね
その言葉の裏には
チヨ(母の名前)の人生のほとんどが「母として生きた人生」だった。
ということと、母として見守ってるよという意味とか…いろいろあると思います。
亡くなったんだから、もっと自由にのびのび生きればいいのに、と思いますが
きっと母である自分を私の中に刻み付けておきたかったとか
そんな意味もあるんじゃないかと勝手に想像しています。
母の日に亡くなった私の母。
言葉も話せない母が、伝えたかった最後のメッセージだと思っています。