母のいる施設は老人健康保険施設(略して老健)と言います。

病院と違い、お医者さんは常駐していません。

なので母は深夜に息をひきとりましたが、それを確認するお医者さんが夜中で不在のため、

ひとまず朝まで待って下さいとスタッフの方に言われました。

 

亡くなった母と対面。節子ハムスターのように息をひきとる瞬間を見届けることはできませんでした。

でもそれで良かったのかもしれない。もし間近で見ていたら、たぶんこの先何年もそのシーンが頭から離れないだろう。

 

何か月も点滴していたけど、むくみも一切なく、チヨさんとてもきれいですよ

 

スタッフの方がそう言ってくれました。

母は確かに小さくはなっていましたが、まさに“枯れるように死ぬ”という言葉がぴったりだと思いました。

きっと臓器の働きはちゃんとしていて、最後まで吸収&排泄ができていたんでしょうね。

亡くなる前日もオムツは濡れていると聞いていたので。

 

数年前、母の体調が悪くなり施設からいったん病院に移り、約1か月入院生活をしたことがありました。

その時も、今後食事ができなくなるかも…と言われ、胃ろうをするかどうかと考えた時が

あったのです。胃ろうをしても生き続けてほしいのか。本人はどんな気持ちなんだろう?

もちろん聞くこともできないので、通常周りの家族にその判断はゆだねられるのですが、

私は母の気持ちをおおよそ予測できていたので、胃ろうはしないと決めていました。

同時に延命治療もしないと。

なので、前回もですが今回も、母の容態が悪くなった時に施設のスタッフの方にはその旨を伝え、

もし本人が苦しんだりしていないようなら病院には送らず、最後はこの介護施設で看取りたいと言っていました。

 

幸いにも母は眠るように息をひきとりました。苦しむこともなく。老衰です。

 

認知は進んでいて、ここ数年は一人娘である私の名前も覚えてなかったけれど。

話もほとんどできなかったけれど。

でもいつも私の顔を見ると、目を丸くして私を見るんです。

「あら、アンタ、来たのね」と言わんばかりに。

だから絶対わかっていると私は信じています。

 

・・・・・・・

 

ひとまず私が数日前まで使っていたソファをベッドにして、ダンナと息子、3人でゴロゴロしながら時間を過ごしました。

夜が明け、お医者さんが死亡確認をし、施設のスタッフの方がひとり一人部屋を訪れて

母のベッドの横に立ち、お別れの言葉をいただきました。

5年間の施設での思い出話とか、いろいろ、いろいろ話していただきました。

 

そのスタッフの方々の姿を見て、本当に感謝の気持ちしかありませんでした。

それがマニュアルだろうがどうでもいいです。

本当にこの方々のおかげで、認知症になった母を、こうして穏やかな気持ちで見送ることができたのですから。

 

母は10年以上前から互助会に入っており、

葬儀の会場も決まっていたので、葬儀場へ電話をするのも混乱することなくできました。

 

スタッフの方に母の身体をきれいに拭いていただき、パジャマから用意してあった服に着替えさせてもらいました。

そうこうしている間に葬儀場から手配された車が到着。

介護施設の正面玄関にたくさんのスタッフの方が集まっており、皆さんにお見送りされました。

 

もうここへ通うこともないんだな。

 

5年間通った施設とも今日でお別れ。その時は、母が亡くなったことに対しての実感はまだ乏しく

スタッフの見送る姿を車内から見ながら、そんなことを思ったのを、今でも覚えています。