キラキラ


二回目の南の島へは、やっぱりワクワクするものではなかった。


厳しく、優しい、大好きなばぁばが脳卒中で倒れたお見舞いだったから・・・。


田舎の病院では手に負えず、台北の国立病院に入院していたばぁば。


1週間付き添ったが、うー!あー!しか返事してくれなかった。


「ばぁば、わたし、学校があるから帰るね、早く元気になってね。」


そう告げると付き添ってた1週間・・・うー!あー!しか返事出来なかったばぁばが突然台湾語で私に話しかけた・・・


「キャサありがとう。お帰りなさい。お前、ばぁばに聞きたいコトがあるだろ?お聞きなさい。何でも答えてあげる。」


・・・聞けなかった。


ばぁばが元気になることを信じて祈りながら、飛行機に乗った。


2週間後に、ばぁばは旅立った。


それは、切ない悲しみであるのと同時に・・・わたしの出生の秘密を知る者が、この世に誰もいなくなったことを意味した。





キラキラ


13才の時、選択の余地もなく私の台湾国籍は抹消された。


ある日の夜、机の上に置かれた戸籍謄本を何気に見たら、しっかりと『養子』の文字が刻まれていた。


知っているのと、ナニかで確認してしまうのは少し違っていて・・・養父母への気持ち的な距離は自分の中でまた広がった。


中学校での最初の夏休み・・・池袋駅西部百貨店の前で友達と待ち合わせていたら、身長184cmの養父が私に近づきながら、今まで見たことのない笑顔で手を振っていた。


無警戒にもわたしは、言い知れない暖かさを初めて感じて養父へ手を振り返そうとした瞬間・・・


彼の目が凍った。


わたしを見つけて、養父の目が凍り付いた。


私の少し前に立っていた『あの女』の顔は今も忘れていない。


その日以来・・・私は養母に知らせない代わりに、養父との気持ち的な距離を果てしなく広げることになった。


養母さん・・・教えてあげないで・・・ごめんね。


でも、もう・・・どうでもいいよね。


ごめんね。




キラキラ


小学校でわたしに思いつく限りの差別用語を、浴びせてくれた西村くん。


『ガイジン』、『ダンマリ』、『キョウボーガイジン』、『0点タマゴ』・・・


高校を卒業した後に小学校のクラス会があって、それに参加しました。


みんなからのイジメに巻き込まれないように、こっそり勉強を教えてくれた木村さんの消息がホントなのかどうかを確かめたくて・・・。


西村くんは、わたしを見つけるとすぐに近付いてきました。


「キャサリン・・・俺さ、すんげぇー後悔してたんだ。本当にごめん!俺・・・勇気がなかっただからお前をいじめて隠れみのにしてたんだ。実は俺、朝鮮在日の3世で、親にもバレないように言われてた。なのに同朋のお前をいじめて・・・本当にごめんな!」


彼はまた、高校を卒業してからの就職先をこう話してくれた。


「日本はさ、俺らみたいな在日には差別的でさ、だから俺・・・パチンコ屋に就職したんだ。絶対にパチンコ屋の社長になるんだ!」


彼と握手をして、頑張ってね♪


と言ったついでに・・・朝鮮でも韓国でもアメリカでもいいんだけど・・・わたし、台湾から来たの。


それに、みんな知ってたよ・・・あなたが在日だってこと。


二人で笑った。


半分はイジメに加らなかった同級生と、彼もまた『ガイジン』と知っててイジメなかったみんなに感謝した。


感激屋さんの彼はわたしの手を引っ張って、集まったみんなの前で私に宣言した内容を繰り返した。


二人でみんなに『ありがとう』と言った。


贈られた拍手を聴いて・・・あれ?わたし・・・いま、やっと小学校を卒業した。


そんな気持ちになった。


しかし、木村さんの消息は・・・ホントだった。


受験に悩んで自殺していた。

悲しかった。