このブログは個人的な思いを
この日によせて書いたものです。
8年を迎えて
ようやく書けるようになりました。
とてもとても長い文面になります。
スルーしていただいても全然かまいません。
2011年3月11日
あの日は当直のために軽く昼寝をした後、
出かける準備をしていた時だった。
大学が春休みで帰省していた娘も
友人と会うと言って準備をしていた14時46分、
激しい震れと同時に携帯電話から
けたたましい地震警報が鳴り響いた。
右に左に激しい揺れが強くなったり
弱くなったりしながら
いつまでも止まらなかった。
そばにいた愛犬のロップも隅の方で縮こまり、
ぷるぷると震えながら失禁してしまっていた。
大丈夫だよ、大丈夫だよ、と抱え込み
ガチャン、パリンと物が壊れる音、
ギシギシと激しく気踏む音を耳にしながら
娘と一緒に抱き合い
「長いよ~、あっ、また強くなった」
「そこ危ないから、もっとこっち」と
声掛け合いながら
ただひたすら時を過ぎるのを待った。
長い長い時間だった。
電気は消え、ストーブも消えていた。
携帯も繋がらない。
家の中は
足の踏み場を探さなければならないほど、
全ての物が雪崩たように散乱していた。
途方にくれた。
夜勤に出掛けなければならなかった私は、
とりあえず毛布をリビングに用意した後、
娘と愛犬を残し出勤した。
後ろ髪引かれながら…
病棟でも倒れた戸棚や開き戸、
カルテに資料の整理、患者さんをデイルームに
集めて安全を確保していた。
日勤の人も何人か残ってくれての当直。
唯一の情報源がラジオだったが、
状況が読み取れない私たちは
ラジオから流れる意味が飲み込めない。
「石巻の海には何十人、
何百人という遺体が浮かんでいます」
「暗闇のため、
その人数が把握出来ておりません」
遺体?
何十?何百?
なぜ?何?いったいどうなってる?
余震が頻回に続く中、その度毎に
患者さんを落ち着かせ、懐中電灯で
灯りをとり、照らしながら、
仮眠のとれない夜勤が終わった。
長い夜だった。
その後に引き継ぎ、何とか帰宅。
一人と一匹残してきてしまった。
どんな夜を過ごしただろうと
胸が潰される思いで帰宅した。
家に戻ると散乱したリビングの中、
ソファーに愛犬と抱き合いながら
ウトウトしている娘の姿があった。
会社から帰れないでいた主人が朝早くに
短い時間何とか帰宅し娘にラジオと懐中電灯、
簡単な食べ物と飲み物を用意してくれ、
また職場に戻っていったらしい。
「ロップもずっとぷるぷる震えてるし、
クンクン、スピスピ泣くし。
弱いものがそばにいると強くいられるね。」と、疲れた表情で微笑んでいた。
その後、安心したのか、
深い眠りに入っていった。
神様の采配…
娘が帰省してくれていて良かった…
壁の壁紙にいくつもの亀裂が入り、
中のセメントボードが剥き出しになっていた。
バイクが倒れていたり、
本棚が倒れていたりしたものの、
家はなんとか持ちこたえてくれていたので、
取り敢えず足の踏み場だけを掃除し確保した。
水も止まり、電気もつかないので、
ホコリの被った石油ストーブを取り出し、
暖めた。
それからは、
ただただ命を繋ぐために奔走した。
水をもらうために小学校で6時間並んで
4リットルの水2本を確保した。
あっちのお店が開くらしいと聞けば
行って2、3時間並んでわずかな肉を買い付け、
こっちのお店が開くらしいと聞けばまた
2、3時間並んでパンを買う。
ひたすら、ひたすら並んだ記憶しかない。
部屋も片付けても片付けても片付かない。
職場に行けば、職員の家族や親類が
石巻や女川、松島にいて、
家が車が流されてしまった。
行方不明で見つからない。
親が、兄弟が、お祖父ちゃんが、
お祖母ちゃんが…
そんな会話ばかりが交わされる。
私のうちはまだましなんだ。
被災地だけど、被災者ではないんだ、
と言い聞かせていた。
4月に入り、
ようやく高速バスも動くらしいとの情報で、
娘はどうにか東京に戻ることができた。
並ぶことも、食事を心配することも、
片付けることも疲れてしまっていた。
そんな中、体調を崩して早退した。
家にもどり、テレビを付けると
スマップが写しだされていた。
義援金のお願いをしていた。
昼食をとりながらボーッと眺めていた。
食事が喉を通らなかった。
すると、突然涙が溢れてきた。
止まることを知らないように次から次へと
溢れてきた。
大声で泣いた。
ただただ、大声で泣いた。
泣いているうちに深い眠りに落ちた。
目覚めると西日がリビングに射していた。
震災から3週間がたっていた。
周りの人たちが、
あまりに壮絶な体験をしていた事で、
私くらいのは何てことないんだ、と、
言い聞かせていた。
けれど、
当時の恐怖や、仕事のために
一人と一匹残して来てしまった辛さや
テレビから写し出される津波や被害の苦しさ。
そんな事を私は誰とも話せないでいた。
私なんてこんなこと、大したことではないと
言い聞せすぎたのかもしれない。
些細な思いも口にして、誰かと
共有すれば良かったのかもしれないのに、
私はできなかった。
自分の重い思いに
押し潰されてしまったのかも知れなかった。
泣いた後、
ちょっと何かが落ちた気がした。
あれから8年の月日が流れます。
あの時の想いは、決して忘れられないけれど
あんな思いを誰かがしてはいけないと
思っています。
プライベートサロンを開業してから
様々な方が訪ねてくださいます。
震災のことだけではなく、心の苦しさや辛さ、
その方々の身体だけでなく
心のケアサロンとして、話せる場所に
なってくれたら、と思っています。
話すことは離すこと、そして、放すこと。
ちょっとでも心の重荷をおろしていただけたなら
幸せです。
長い話をお付き合い頂いた方、
ありがとうございました。
