昨日の話には、まだ続きがある。

 

知り合いが一番しんどかったと言っていたのは、

同情した“その後”だった。

 

最初は、ただの気遣いだったらしい。

「大丈夫?」

「無理せんでええで」

その程度の、よくある言葉。

 

でも、相手はそれを

“一時的な優しさ”ではなく

“恒久的な居場所”として受け取ってしまった。

 

連絡の頻度が増え、

内容は徐々に重くなっていく。

 

・今日はしんどかった

・理解してくれるのはあなただけ

・周りは冷たい

・自分は被害者だ

 

話を聞く側の気力や都合は、

ほとんど考慮されていなかったらしい。

 

知り合いはこう言っていた。

 

「心配して手を差し伸べたら、

 その手を“杖”にされた感じやった」

 

なるほど、と思った。

 

同情を向けられることに慣れすぎると、

自分の足で立つ努力をしなくなる人がいる。

 

自分で整理する前に、誰かに預ける。

向き合う前に、共感を要求する。

解決より、慰めを優先する。

 

それが続くと、

相手は“支え合う存在”ではなく、

“感情のゴミ箱”になってしまう。

 

しかも厄介なのは、

依存している本人にその自覚がないことだ。

 

自分では

「助けを求めているだけ」

「弱っているだけ」

と思っている。

 

でも実際は、

相手の時間と感情を一方的に消費している。

 

知り合いは、ある時ふと気づいたらしい。

 

自分がその人と話した後、

毎回どっと疲れていることに。

 

励ましても、

状況は何も変わらない。

前向きな話を振っても、

すぐに“可哀想な自分”に戻る。

 

その瞬間、

同情は責任に変わり、

優しさは重荷になった。

 

メンヘラ気質の一番の問題は、

感情が不安定なことじゃない。

 

同情してくれた相手に、

 無自覚に依存してしまうことだ。

 

そして、

依存された側が距離を取ると、

「裏切られた」

「見捨てられた」

と被害者意識がさらに強化される。

 

完全に、負のループだ。

 

知り合いは最後にこう言っていた。

 

「助けたい気持ちは本物やったけど、

 あれは助けじゃなくて延命やったな」

 

厳しいけど、正直な言葉だと思う。

 

同情は、

立ち上がろうとする人に向けるもの。

 

寄りかかるための場所じゃない。

 

それを履き違えた瞬間、

人は“可哀想な存在”から

“距離を置かれる存在”に変わっていく。

 

静かに、確実に。