今日は少し長い話を聞いた。
こちらが聞いたわけでもないのに。
異動してきた人が、
前にいた部署の話を始めた。
しかも「戻された時」の話だ。
「本当は別の部署にいたんですけどね」
「適正とか考えずに人を動かすから、ああなるんですよ」
最初からトーンは決まっていた。
悪いのは組織。
判断した上層部。
環境。
自分は、その被害者。
話を聞いていて気づいたのは、
一度も「自分はこう改善しようとした」という話が出てこないことだ。
代わりに出てくるのは、
「周りが足を引っ張った」
「分かってない人間が多かった」
「自分の力を活かせていなかった」
全部、外。
しばらくして、
少し誇らしげにこう言った。
「で、結局、適応障害の診断書をもらったんです」
ここで一瞬、空気が変わった。
本人は気づいていない。
「ほら見たことか、って感じですよ」
「上もさすがに何も言えなくなったみたいで」
完全に“勝った話”として語っている。
診断書を盾にして、
組織を論破したという認識らしい。
でも、
それを聞いている側の感覚はまったく違う。
仕事の中身の話がない。
成果の話もない。
努力の痕跡も見えない。
あるのは、
プライドだけ高く、
自分は出来る側の人間だという自己評価。
そして、
評価されない理由はすべて他人のせい。
正直に言えば、
「仕事ができない人」というより、
「仕事を覚える前に納得してしまった人」に見えた。
自分は正しい。
だから変わる必要はない。
その姿勢で、
診断書だけを“証明”として振りかざすと、
周りはもう何も言わなくなる。
注意もしないし、
期待もしない。
それを
「理解された」と勘違いしているだけだ。
本人の努力が足りない、
そう断じるのは簡単だけど、
もっと正確に言えば、
努力を“する前に諦める癖”が染みついている。
自分は出来る。
だから結果が出ないのはおかしい。
おかしいのは環境。
この思考に入った人間は、
どの部署に行っても同じ話をする。
敵を変えながら、
同じ戦いを繰り返す。
組織は、
そういう人を正面から否定しない。
ただ、
静かに扱いを変える。
今日の話を聞いて、
この人はたぶん、
それにまだ気づいていない。
でも、
もう始まっている。