おぃっす~音譜


DJ☆GOですチョキ



みんな、


BEST OF HOOD SOUND 03聴いてくれて、


本当にありがとう!!


そして、


沢山のコメント本当に本当にありがとう!!


頑張って作ったんでマジで超嬉しいッスアップ


なんだかんだ言っても、俺の原点はDJ。


MIX CDも1997年からずっと、こだわり続けてきたから、


やりがいのある仕事です。


1曲1曲をどうすれば原曲よりかっこよくなるか?


何の次につなげばかっこよくなるか?


選曲、つなぎ、スクラッチ。


全てにおいて、MIXは物凄く深いです。



そして、


正確なミックスを軸とする俺のスタイルは…


師匠「宇治田みのる」さんから受け継いだ、


ミノルイズムなのです!!




さぁ~


遂にやってきましたよ!


明日、12/05は…


川崎 @SERBIAN NIGHT「KKC」で、


念願の、師匠と共演が叶いましたビックリマーク
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正直、


俺のDJプレイ、マイクでの喋りは、、

みのるさんの影響を100%受けてますビックリマーク


是非、生のプレイを見に来てください!!




んなわけで、



俺の師匠の話をします!!!!





俺が、みのるさんを知ったのは90年代初頭。


TBSの「あなたにオンタイム」や、


当時、若者に一番人気だった雑誌「FINE」など。


さらには、


みのるさんのクラブが六本木で大流行。


「エロス」って言う超有名なクラブがあった。


当時、金曜土曜はもちろん、、


水曜日なのに鬼のようにお客さんが入ってて今じゃありえない光景だった。


そんな中、少年○から出てきた俺は、


ターンテーブルをゲットしてDJを覚え、DJになると決心した。


意外にも、テクニック的なことは、触ったらすぐ出来ちゃったみたいな感じでした。


スタイルは、もちろんオールジャンル & G-RAP。



そして、


この後、初めて生のみのるさんを見たのが、この水曜日。


この時、なんとも言えない衝撃を受けた。


俺もああなりたい!ってね。



しばらくして、


夜の世界の繋がりで、知人にみのるさんを紹介してもらうことになった。


この時、俺は18歳。


六本木の「R?HALL」って店で、


毎週金曜日に「SUPER FLYDAY」と言う600人~1000人オーバーのイベントを、


みのるさんが主催していた。


毎週金曜日に、この人数はヤバスギ。


そんで、


俺は、みのるさんに弟子にしてくださいと申し出た。


しかし、


みのるさんは優しく接してくれたけど、当然すぐにDJが出来るわけが無い。


でも、俺はみのるさんと話せるだけで凄く嬉しかった。


だって芸能人ですから。




弟子入り志願して、


まず、俺がやったことは…


毎週金曜日、誰よりも一番に現場に行ってイベント準備をする。


イベントのフライヤーを渋谷センター街などで配る。


いつでもプレイできるようにレコードを準備する。


それ以外は、とにかくみのるさんのケアをしていた。


正直、1人でフライヤーを配るのは辛かったかもしれないけど、、


何も考えず、3ヶ月やり続けた。




そして、ある金曜日。


いつものように大盛り上がりしてる、みのるさんのプレイをDJブース横で見ていると…


突然俺に、


「GO、やってみろ!」


と、言ってくれた。



一瞬、何がなんだかわからなく一気に緊張が走った。


心の中で、


え…?

こんなにイイ時間で沢山のお客さんが盛り上がってる中で。。。

マジすか…?


と、ビビって。


みのるさんに、「大丈夫ですかね?」


と言うと、


「大丈夫だよ!」


と笑顔で言ってくれた。



そしたら、緊張もほぐれて、


すぐに嬉しさが込み上げてきた。



結果、

スゲェ~嬉しくて、


楽しく失敗も無くプレイできたけど、


心の中では、かなり必死だったと思う(笑)




そしてここから、俺のプロとしてのDJ活動が始まった。



「FINE NIGHT全国ツアー」に出演させてもらったり。


「DAYONE」が大ヒットしたEAST END+YURIの


「DAYONE全国ツアー」に参加させてもらったり。


ヴェルファーレ club spaceでレギュラーやらせてもらったり。


ブラザーコーンさん、DJ YUTAKAさん、


ZEEBRA君、K-DUB君、DJ KEN-BO君、


など、


まだ若い俺を数え切れないほどの有名なアーティストさん達と大舞台で仕事させてもらいました。


その他にも、


サーフィンの大会で、MCをこなすみのるさんの横でタイムキーパーやったり。


時には、マネージャーの変わりにマネージャーやったり。


土曜日は毎週、一緒に新幹線や飛行機乗って飛び回ってました。


俺は弟子=付き人だったので結構な時間一緒に居て、


3日間寝ないでDJ&仕事したこともあった。


しっかし、いつも超緊張してた。


一緒に居る時は異常なくらい「ビシ!!」っとしてたもんな。


場所をわきまえず「ビシ!!」っとしすぎて怒られたこともあった(笑)


でも、これは師匠だから当たり前。


厳しかったけど、笑えることも沢山あったし、


今思うと、本当に楽しかった。


だから、みのるさんのスタイルを吸収できたんだよね。


みのるさんをよく知る人に言われます、


GOを見てると、言動や行動がみのるさんだね♪って。


たしかに、弟子は師匠を見て育つと思います。




俺は、みのるさんをDJとしても尊敬してるけど、


人間として全てを尊敬している。


格好やスタイルも違う俺から見ても、


本当にカッコイイ人で。


何でも真似をしていました。


たとえば、タバコ。


俺はそもそも「KOOL」を吸っていたんだけど、


みのるさんが「SALEM」吸ってたんで即変更(笑)


今も俺は「SALEM」です。


そして、基本はみのるさんがタバコ切れた時のために出来るだけ2箱所持するようにしてた。


あとね~♪


みのるさんが当時乗ってた車、


これまたヤバかったな~!


これ↓
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1984年式 キャデラック エルドラド 純正コンバー!

見るからにスターが乗る車!

外装も内装も白で、みのるさんに超似合ってた!

しかも、当時日本に1、2台しか無かった希少車。


そんな車を冬でも屋根開けて、


タイヤが鳴くぐらいコーナー攻めて、


たまにアメ車ならではの走行中のエンストが起きても、


走りながら「スゥ~」っとニュートラルに入れエンジンかけて走る姿、


正直憧れました。



俺、最近ビッグ買ったけど、、


師匠が乗ってたこの車に乗りたいんです!

ただ、コンバーとなると日本に無いので候補に入れることも出来なかった。



その現車がこれ↓
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俺が成人式の時、会場行くのに貸してくれた時の写真。


写真は、俺と一緒にみのるさんにお世話になってた親友と。


当時免許の無い俺は当然運転してませんが。。。


こんな希少車を貸してくれました。
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ありがとうございました。




みのるさんは、


俺にとって親父でもありました。


曲がったことをした時は、ブッ飛ばされました。


地方で友人の車を無免許で運転して、殴られました。


DJプレイでクソみたい失敗した時、後ろから蹴り入れられました。


でも、


ゴロツキだった俺が今こうしてDJとしてやっていけるのも、


大人として仕事が出来るのも、


本気で叱ってくれたからです。




一緒にレコード屋に行くと、金が無い俺に沢山レコード買ってくれました。


高級な食事も沢山連れてってもらいました。


みのるさんが出演してたドラマ「若者のすべて」にも出させていただきました。




みのるさんは、


その昔、まだお金を今ほど稼いでない時でも。


若い衆に腹いっぱい飯を食わせ、


家に帰って一人でカップラーメンを食べてるような方なんです。


今まで色んな場面を見てきたけど、


どんなことにも絶対にひるまない強い男でもあるし。


心の広いとても優しい男でもあります。


男として憧れます!


本当に。





こんなこともありました。


1996年12月23日


深夜、首都高速で。


みのるさんのシボレー・タホスポーツを先頭に、


後ろから、俺と相方のカジタの運転で仕事から池尻の事務所に戻る時のこと。。。


深夜の首都高で何百メートルか先を走るみのるさんを追いかけるように


走ってると渋谷出口の手前で俺の友人がスピードの出しすぎで後輪が滑り、


スピンして壁に正面から激突する大事故を起こしてしまいました。


フロントは潰れて大破。


幸いなことにシートベルトをしてたので、むち打ちで済みましたが、かなりの事故。


みのるさんの車は、だいぶ先を走っていたので気付いてないと思って、


ソッコウで電話したら…


今まで聞いた事無い泣きそうな声で、


「大丈夫か~!!」


って心配して何回も叫んでました。


そしたら、


何百メートルも先の渋谷出口に車を止めて、


周りの車に気付かせるため服を脱いで、


それを振り回しながら路肩の無い危険な首都高を、


必死な顔して走って助けに来てくれました(涙)


本当にあの時はすいませんでした。



あとあと聞いたら、


バックミラーで見てたら俺等の車が凄い事故り方だったので、


本気で死んだんじゃないかと心配してくれたみたいでした。


その後も、2重事故が起きない様に冷静に指示してくれました。

自分が跳ねられる危険があることなんて考えないで、


あんな場所を走って助けに来てくれたみのるさんは、


血の繋がった父親のようでした。






続いて


「FINE NIGHT」で初めてロスに行った時の話。


俺もDJとして参加させてもらったわけですが、


俺はロス=GANGSTA RAPだと思って、


「よ~し!俺のジャンルが本場で発揮できるぜ!」


と、思い。


真っ青な格好でウェッサイのレコード持ってプレイに望んだ!


そして、クラブで出番を待ってると、


日本で流行ってるメジャーな曲で盛り上がってるじゃないですか!?


え?


ここロスでしょ?


じゃ~俺が本場の「GANGSTA RAP」でもっと盛り上げるでしょ!


と意気込んで、


いざプレイ♪


1曲目、


当時最新の、E-40メロウチューン♪


すると…


お客さんがドンドン引いていく。。。


そして、


アッという間にフロアのお客さんが1人も居なくなった。。。(本当に)


はい、


2曲で即交代。


俺、相当~ショックでした。


その後、


悔しくて悔しくて、DJプレイの失敗で初めて泣きました。


あんなに自信満々で真っ青な格好してギャングスタきどってこのザマです。



俺は、DJと言う物をわかっていたつもりだったのに。



ロスだから「GANGSTA RAPでしょ!」と言う先入観で完全舐めてました。


そしたら、


みのるさんは、こうなることがわかっていたかのように真剣にアドバイスしてくれた。


で、


ふと我にかえって考えてみた。



そうです!


DJとは、その場の空気を読み、


お客さんの反応を見て選曲をしなければいけない!


躍らせてナンボの世界なんだ!



この出来事は、


俺にとってDJ人生最大の失敗でもあるけど、


教科書には無い現場ならではの最大のモノを得た。



失敗から学ぶものは、とても大きいもので、


失敗が無ければ成功は無いのだと思います。


あぁ~マジで悔しかった(笑)




みんなも、失敗を恐れずにガンガンいっちゃってください!


肝心なのは失敗を繰り返さないようにすることっす。






そして、


時は1997年。


俺はみのるさんの下を離れた。


正直言うと、


俺は、みのるさんに迷惑をかけたまま。


良い辞め方をしなかった。


すいませんでした。。。



ここから、


一気にアングラDJ生活になり。


DJを本気で辞めようと考えたりもした。


でも、周りの仲間に助けられ。


仲の良い、PSYCHO-LOW達とユニットを組んでラップを本格的に始めた。


そして、MIX CD「WEST COAST SHOW CASE」をリリース。


GANGSTA FMシリーズもここからスタートする。



しかしながら、俺はみのるさんのことは常に気になってて、


みのるさんの事務所で働いていたカジタにみのるさんの情報を聞き出しながら


影で応援していた。





1999年12月31日。


みのるさんがカウントダウンDJをする情報を聞きつけ、


色々謝りたくて勇気を出して会いに行くことになった。



そして、2年ぶりの再会。


すると、みのるさんは。


「おぉ~!GO~元気だったか~~!?」


って、泣いて喜んでくれた。


正直、俺は怒られると思ってたから本当にビックリしました。




その後、みのるさんがプレイすると言うことで。


みんなでフロアに見にいくと、


なんと!


ヒップホップなんてかからない、


超大人のディスコイベントなのに、


俺が「R?HALL」で必ずかけてた、


「CALIFORNIA LOVE」を、


俺の名前を言って、


俺のためにかけてくれた!!!!!!


この時一緒に居たDJ HOKUTO達も俺も全員号泣でした。


いや~、


みのるさん、今考えただけでもヤバいです。。。


感動しました。


こんな自分のために、


本当ありがとうございました。


本当すいませんでした。





この再会から、みのるさんとも会うようになり、


DJまでやらしてもらったりするようになりました。



そして、


俺は地道に活動を続け着々と階段を登り始めていった。





2004年


ある日、みのるさんから電話がかかってきて。


「GO、雑誌のインタビュー見たよ!」


「俺の名前載せてくれてありがとな!」


って、言ってくれました。


確かにカスタムローライディングのインタビューに、


「俺の師匠は宇治田みのるさんだ!」と言いました。


なので、


「いえいえ、とんでもないです!」


と言うと、


「でもな、GO。」


「本当にそれで良いのか?」


「ウェッサイシーンで頑張ってるお前が、俺の名前を出したらマイナスになるんじゃないか?」


って言うんです。


要するに、


メジャーなジャンルをやってるみのるさんが師匠って言ったらマイナスイメージなるんじゃないか?


って言うことです。



すかさず俺は、


「何言ってるんですか!自分の師匠はみのるさんじゃないですか!」


たぶん、みのるさんが言うことに猛烈否定したのは初めてだと思います。


そしたら、


「そっか、ありがとな!」


って言ってくれました。



俺のこと、そこまで気遣ってくれるなんて。。。(泣)





もう、俺はみのるさんに一生頭上がりません。


わかる人はわかると思うんだけど、



「とんぼ」や「オルゴール」の、


長渕 剛と哀川 翔みたい感じですよ。


これは男ならわかると思います。





俺は、


みのるさんからこんな影響を受けました。



DJの繋ぎ…


繋ぐ時、徐々に音を上げるんじゃなく、

イントロが8小節あるものは、

BPMをしっかり合わせフェーダーをド真ん中にして、

前曲と後曲の音量を50/50にして繋ぐ。


さらに、BPMを合わせる時間が無い時は。

BPMを合わせながらフェーダーをド真ん中でミックスする。

(これを覚えると現場で活躍します)




選曲…


選曲は、全て売れてる曲をかけるのでは無く。

途中途中に売れてないけど押したい曲を挟んでかける。

DJしながら、お客さんを見てその場に合った曲を選ぶ。




グルーヴ…


ずっと同じ曲調やテンポじゃなく変化をつける。

曲をかけてるターンテーブルのピッチを少しずつ動かして、

BPMの違う曲を繋いで繰り返していくと最終的にノンストップMIXになる。

繋ぐ曲同士のビートの相性を考える。




これは、俺のプレイやMIX CDに物凄く影響しています。


DJをやりたい人は参考にしてください。



大切なのは、


覚えたこと、教わったことやアドバイスは、


胸に刻み実行し続けること。



怒られたこともその場だけじゃなく、


しっかりと受け止めて改める。


そうすることで成長も早くなると思います。





さて、


まだまだ全然書き足りないですが、


また40000字いっちゃうと困っちゃうからそろそろ終わりかな。


みのるさんのこと全部書いたら、本が1冊書けちゃうよ。



とにかく俺は、


ここまで来れたのはみのるさんが師匠だったから!


みのるさん居なかったら、


今一緒に音楽やってる素晴らしい人達とも確実に出会ってない。


そして、


受け継いだ物をみんなが共感してくれて、


みんなが応援してくれて、


今の俺が居る。


本当に感謝です。




師匠には、今まで。



「すいませんでした」と謝る事ばかりでしたが、



それ以上に


「ありがとうございます」と言う事が一杯あります。




2007年に発売された、俺のファーストアルバム。


「730 RAIDERS」の最後の曲、


「MY ROAD」にあるリリック、



山手線走る 高架下にたむろう

野良猫のようなアウトロー

そんな俺を拾ってくれたM.I.N.O.R.U.



これは、


いつか師匠のことをリリックに入れたいと思っていたことが、


叶った曲。




俺は、この先もずっと!


胸張って言い続ける!


俺の師匠は「宇治田みのるさんだ!」


とね!





最後に、


俺が大切にしてる写真です。
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師匠DJ MINORU & 弟子DJ☆GO




ってことで、


最後まで読んでくれてありがとうございます。


明日、もし時間があるならば。


是非遊びに来てください!


先着200名様、


エントランスで「スーパーフライデー」と言ってくれれば、


振る舞い酒が貰えます。



俺、スゲェ~楽しみっス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


みのるさん、宜しくお願い致します。


師匠のブログ↓

http://ameblo.jp/minoru-ujita/entry-10402998075.html


ライレコハ~~♪