全日本開幕戦と恩師偲ぶ会
開幕戦当日お越しの皆様で、このブログを見てくれて居る人は少ないと思いますが偲ぶコーナーへ来ていただき誠にありがとうございました。
本当に沢山の方々に来ていただき故人のコメントを代弁させていただくような
形でご対応させていただきました。
私の頭の上?上方?より
「それは違うだろ、話を誇張するな!」とか、中には「そうそう、その通り、よしよし」等も有ったかと思います・・
出るは出るはの懐かしいコメント、忘れていた様なこと等もあり、なつかしさ再現及び認識リセットです、恩師は「ほんとにお前は・・」と呆れた顔しながら「ありがとね~」と笑っている筈と(勝手に)思っています😅
今も複雑なのですが、私の心の中の四角い感受性ボックス、悲しみで角から崩れ始めたり、良い思い出でそれが一部修復出来たり、なかなか難しいです。
あくまで自称ですが自身感受性が強く何事にも感動的になります、企業の一員として戦う場面がなかなか多かったので止む無く一番鍛えたのが、実は「鈍感力!」で、これが無いと社会人そしてプロジェクトを引っ張る担当者として生きていけませんでした。
お陰様で弱点?をある程度隠せはしましたが本質は変わっていないのです。
忙しそうなY社ファクトリーテントの横で人当たり?に疲れるほどの会話を終日
行っていました。
昼食購入、セクションチラ見、それとトイレ・・・・
”歩いて10歩で、止まって10分”と言う感じで多くの方々に話しかけていただき
皆さんの元気な姿を確認できたのはとても良かったです。
最後にちょっとだけご報告
実は現在海外とトライアル系の仕事をしています、集中すると頭の中がすべてその色になってしまうのが私の特徴?、タイミングを見てまたご紹介いたします
生涯開発者も中々魅力的ですね
2024(令和6年)
皆様
大変ご挨拶が遅れてしまいましたが本年もよろしくお願いいたします。
今年は良い年になりますように・・・そうお願いしていた矢先、元日に地震災害が発生してとても残念で悲しい気持ちを持ちながら過ごしていた時に、又もやの訃報が、
昨年から続いていたこの悲しい出来事はもう終わって欲しかった。
その方は私の恩人でありレース関係では大先輩、私が新米の頃はいつも後ろを追いかけて、仕事に慣れてきた頃にはÝ社で担当職となっていたトライアルを強力に
バックアップしてくれていました。社内でははっきり言って弱小プロジェクトで、いつも担当として四苦八苦。
私が手も足も出なくなりそうになっていた時、札幌に居る
これまた強力なトライアル支援者の社長さんと一緒にわざわざÝ本社に来ていただき、トライアルモデルの再販を
直訴してくれたこと私は決して忘れません、
「作ってくれたら私たちが責任をもって全力で売り切ります」
その言葉を聞いてどれだけ自身のパワーとなった事か。
他にもお世話になった事は数知れず
東京よりも東へ行ったときは「帰りに寄ってけ」と言われ
何時も美味しいご馳走を頂いていました。自身東京の道は全く不慣れでダメなのですが千葉寄りの首都高速から東名までの道はすんなりと行けるのです。
晩年は何か少しでも恩返しをと思い自分なりに出来る事を探していました。欧州のトライアル会社訪問とか国別対抗戦(デナシオン)を見学したり、だいたい私の対応レベルは適当(いいかげん)な外国語と食事はメニューに画像付きの店でないと行けない(説明が出来ない)ので3軒ほどを順番にのみ、それでもなかなか良い経験が出来たと喜んで頂けたのが少しだけ恩返しが出来たな?等と、
お話続けるとほぼ本日エンドレスとなりますので
昨年の10月全日本TR東北大会でお会い出来ました。
ほんとお元気でした。
年末に体調を崩されているとの連絡を頂き心配していたのですが、新年に入り電話を頂き安心しましたが言葉をしゃべるのがとても苦しそうでした。
「もうしゃべらなくて良いですから、、症状が落ち着いたころにそちらへ行きますのでお医者様の言う事をしっかりと守り(焦らず)早く良くなってくださいね」
「了解」というご返事をいただきました。
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固有名詞は出しませんがお知り合いの方でしたら何方
かわかると思います、今週の土日全日本TR開幕戦キョウセイの会場内でその大先輩を偲ぶ催しが企画されています。私も故人と色々な約束が有りそれを実行するためにキョウセイへ行きます、その周辺をメインにウロウロしておりますので、どうぞ遠慮なくお話掛け下さい、
故人への伝言も受け付けますので
それではよろしくお願いいたします。
つぶやき、その2
2023年が今まさに終わろうとしています
今年は色々な事が有りました。
特にお別れが多かったこと、忘れられない一年になっています
・私のトライアル人生の日本における師匠の訃報を聞いた時言葉が有りませんでした。
高校生時代から優しく指導していただき、ときには道に迷いそうになった時
行くべき道に明かりを灯して導いてくれました。
私のバイク作りの中に師匠にいの一番に乗ってもらいたいという気持ちは
常にあり、苦労しながら作り上げた自信作に乗ってもらいたいと広報室経由で
お願いしていました。
その優しいお褒めの言葉や時には厳しいご指摘も、すべてが自身のパワーと
なっていた事、改めて感じていました。
まだまだご教授いただきたかったです。
失礼な使い回しかもしれませんが
「俺に口でかなう奴、いる訳ないだろう」が確かにと思いながら納得の言葉でした。
・秋の全日本トライアル50周年企画でもしかしたらお会いできるかもと期待していました。第一回全日本大会で私と優勝を争った(争ってくれた)ライバル
いえライバルなんてとんでもない、今だからカミングアウトしますが、実は
その方の大ファンだったのです、ちょっと肘を高めに上げたライディングフォーム、モトクロス時代も知っております落ち着いて正確な走り、執筆された
トライアル論の100%がうなずける事、子供時代に駆けっこをしたら学年で
一番遅かったそれでもプロライダーになれたという言葉、私自身がとても
励まされた事。お会いすると○○君〇〇君と優しく話しかけてくれたこと
ライダース2代目と一緒に居た時に2代目にあなたの父が居なければ私が
初代チャンピオンで名前を歴史に残せた。などと笑顔で話をしてくれる
でもあの時の〇〇君にはちょっとかなわなかった。
優しい笑顔と穏やかな言葉使いがとても印象に残っています、
そのうち私も行きますので、第一回の接戦もう一度お願い出来ますか?
・もう一人、いつも私及びチームの影の支えとなってご協力いただきました。
日焼けしたお顔と髭がお似合いで、困っているといつも後方よりご支援を
頂きました。
フランスより取り寄せたプロトタイプの出来が悪く公式練習後にクラックが
至る所に発生その修復をお願いしたり、その感謝を良い仕事でお返し出来なかった事が何よりの心残りです。
ラーメンを注文してスープのみ飲んで満足している一寸変わった所も大会時の
緊張をほぐしてくれたかも?
私の両親は茨城県出身です同じイントネーションの話し言葉を聞くと安心感が高まっていくんですよねー
皆さんの事、決して忘れません、私に出来る恩返しはトライアルの普及に
務める事、現在出来る事は少なくなりましたが、まだまだ可能性は有ります
小さな力ですが強い意志と気合を入れて取り組んだら、もしかかしたら
山?が動いてくれるかもしれない、引き続き頑張っていきます。
その為にもボロが出始めている自身の体、メンテしつつ健康を取り戻さねば
いけませんね・・・
忘れられない2023年