英語教育の「切札幻想」

2020年から小学校での英語教育が必修化されているそうだ。私は最近まで必修であることを知らなかった。実は早期英語教育は、2002年から「総合的な学習の時間」などで試行されてきたが、大きな効果は確認されなかったという。こうした結果は海外の英語教育でも同様だった。


しかし、一度政策化された施策は文部科学省も簡単には方向転換できず、期待した成果が得られなくても継続されている。著者は、このように新しい処方箋に飛びつく傾向を「切札幻想」と呼ぶ。その背景には、小学校英語というインプットによって英語力が向上するという単純な因果関係を信じてしまうことや、信頼性の低いエビデンスが提示されることがあるという。


教育改革が失敗する理由として、全体的な向上度の軽視、成果の定量化の不足、学力向上に影響する多様な要因の分析の難しさ、そして実施可能性への理解不足などが挙げられる。早期英語教育についても、教員の訓練や配置といった実現可能性が十分に検討されていない。また、「効果があった」とされる研究結果も、特定の条件下で得られた成果であるにもかかわらず、その条件が実施段階では無視されがちである。さらに、一度「効果がある」と認識されると、否定的な情報は軽視されたり排除されたりし、都合のよい情報だけに注目が集まる。こうした認知バイアスも問題を深刻化させている。


著者によれば、現在さらに懸念されるのは自治体による早期英語教育推進の動きである。代表的な施策として、外国人指導助手(ALT)の増員、到達度テストの導入、ITやAIの活用などがある。しかし、これらについては効果が限定的であることが分かっているか、あるいは十分な検証が行われていない。それにもかかわらず、「ネイティブが教えれば効果がありそうだ」といった直感的な期待によって推進されているという。著者が批判するのは、うまくいかない状況への対策として、「切札」とみなされた政策が十分な検討もないまま導入される現状である。


日本では英語の必要性そのものが低いことが根本的な要因であり、その結果として英語との接触量や学習量が少なくても生活できてしまう。この当たり前の現実をまず理解する必要があるという。実際、日本の英語依存度は他の非英語圏諸国と比べても際立って低い。海外番組は吹き替えで視聴でき、教科書も日本語だけで済み、多くの職業ではキャリアアップに英語がほとんど関係しない。そのような環境の中で教育効果を高めることは容易ではない。


確かに、これまでの日本では英語に無縁でも十分に生きていくことができた。しかし、このまま国力の低下が続けば状況は大きく変わるのではないかと思う。最大の要因は円安である。円は主要通貨のほぼすべてに対して価値を下げており、海外で働くことが合理的な選択肢として受け入れられ始めている。オーストラリアにはワーキングホリデーの日本人があふれているというし、米国の入国管理当局は売春目的で渡航する日本人女性への警戒を強めているとも報じられている。専門性や技術を持つ人材にとっても、海外で得られる収入の方が圧倒的に高くなっている。企業に雇われる必要のない人ほど、海外市場へ活躍の場を移す傾向は強まるだろう。私の業界でも、円建てより外貨建ての仕事が増えている。同じ仕事でも英語で対応するだけで報酬が2〜3倍になるのであれば、英語習得へのインセンティブはこれまでとは比較にならないほど大きくなる。そもそも、海外での就労を想定するなら日本の大学に行くことがハンデになる可能性もあり、実際に日本でインターナショナルスクールの人気が高まっているのは、そうした現状への反応とも言えるだろう。


もっとも、これは国内市場だけに依存してきた人々が取り残される未来でもある。英語力の有無が所得格差を拡大させ、頭脳流出によって国力は更に低下するというスパイラル。そんなディストピア社会が現実味を帯びつつあるのかもしれない。