中東問題 | RIDDLE CRITIC

中東問題

11月11日、パレスチナ自治政府、PLO、ファタハの議長を任じていたアラファト氏が亡くなられました。
新聞やニュースで大きく報道されていますが、彼の死によって今後の中東和平がどのように進むのか、論議が沸いています。
しかし中東問題とは何なのでしょうか?気になったので調べてみました。

第一次世界大戦前にパレスチナ地域を支配していたのはオスマン・トルコ帝国。しかしその支配力はすでに弱体化し始めており、列強国にとって格好の餌食でした。
特に積極的に侵奪を試みたのが、大英帝国。
英国は自国にとって有利に事が運ぶように、パレスチナ地域の大部分に居住していたアラブ人に、オスマン・トルコを倒した後はアラブ人のための国を建設する、というフセイン・マクマホン書簡を約束しました。
それから一年後、英国はさらに内外のユダヤ人の協力を得るために、「英国政府がパレスチナでのユダヤ人の民族郷土を建設を支持し、努力する」というバルフォア宣言を出します。
この二つの約束は明らかに矛盾するものであり、英国がパレスチナ地域で台頭するために行った二枚舌外交でした。

かくて英国はパレスチナ地域を植民地支配する権益を獲得しましたが、矛盾した欺瞞の約束の代償を支払うことになります。
第一次世界大戦が終わるやいなや、大量のユダヤ人がパレスチナ地域に流入し、ユダヤ人王国の建設に奔走し始めるからです。
かつて支配していたこの地域に自分達の国を建設することは、流浪の民であったユダヤ人にとって長年の悲願でした。
しかし事実上同地域を支配していたアラブ人にとって、突然やってきたユダヤ人に土地を明け渡す義理はありません。
当然アラブ人の大反乱が起こり、ここにユダヤ人とアラブ人の闘争が始まります。

混乱する状況の中、事態の収拾がつけなくなってしまった英国は、この紛争の処理を国連に委託します。
国連総会は事態の解決をはかるため、パレスチナをアラブ・ユダヤの2カ国に分割し、エルサレム及び周辺地域を国際管理下に置く、という裁決を下します。
ここに、ユダヤ人国家であるイスラエルの建国を見たユダヤ人は狂喜乱舞しますが、周辺地域に追いやられたアラブ人にとって納得できるはずもありません。
1948年5月14日、イスラエルの建国が宣言されたこの日に、アラブ人国家であるエジプト、シリア、ヨルダン、サウジアラビア、イラク、レバノンはイスラエルへの侵攻を開始します。(第1次中東戦争

一国対複数国という構図を見ると、戦力差は圧倒的だと感じますがユダヤ人には強力なバックアップがありました。
2000年以上に渡り流浪の民であったユダヤ人は、世界中に隠然たる勢力を伸ばしていたからです。
欧米、特に多数の有力なユダヤ人勢力を抱えるアメリカの支援により、数次に渡る戦争に勝利したイスラエルはパレスチナ地域のほぼ全域を支配下に収めるのでした。

列強国の思惑に翻弄され、自分達の居住地を追い落とされたパレスチナのアラブ人たち。
そんな悲劇的な状況からの解放を目指したのが、1950年代末に結成された「ファタハ」、そして1964年に結成された「PLO(Palestine Liberation Organization)」です。
そのリーダーとして長年活躍していたのがアラファト氏。
彼は国際的な場所でパレスチナの悲劇を何度も訴え、地道な努力によってPLOをパレスチナ人を代表する組織として多数の国々に認知させました。

パレスチナ人によるテロ、それに対するイスラエルの軍事力による報復。
憎悪が憎悪を産むという悲劇の螺旋は今なお続いていますが、何とか平和的な解決を図ろうと双方の歩み寄り、そして対話交渉が続いています。

数多くの国家、人種、宗教の思惑が絡み合い、複雑な様相を呈している中東問題。
歴史が深いだけに根本的な解決は非常に困難なのかもしれません。
やはり人間は過去の遺恨を忘れ、互いに手を取り合うことはできないのでしょうか。
今回調べてみて、平和への道がいかに険しく達成しがたいものであるかを実感しました。
しかし人類が今後も地球で共生していく以上、和平への努力を続けていかなければならないのだろうと思います。