話の内容はちょっとズレるかもしれないけど、“意思を持つ”って大切だなーと最近しみじみ感じているのでリブログを...
例えば昔、幼少期~中学生の頃にピアノを習っていたわけですが
習い始めた理由が「姉がやってたから」らしい。しかも3歳程度で大した“意思”なんてない時期。
それで妥協で続けて約12年、ある程度弾けるようにはなったけど、先生には最後まで「行き当たりばったりで弾くな」と言われ続けた。
うん。「弾きたい」って言う“意思”は殆ど無く、辞めるって言えなくて(正確には言ったけど辞めるような流れに出来なかっただけではあるけど...)惰性で“なんとなく”続けてたんだから、それは行き当たりばったりにもなるし、ある程度のレベルで止まるよね。
音楽に限らず「表現する」って言うのは自分の想いを「表に現す」、そこに“意思”が無ければ空っぽで、聴いてて首を傾げるはず。
さっさと辞めればよかったかもしれないけど、その“辞める意思”すら半端で辞められなかった。
今になって、どれだけの時間をその“なんとなく”に使ってたんだろうなーって考えたら、勿体無かったかも。
でも、その時期ってそもそも「生きようとする意思」も「死のうとする意思」も特に無くって、どちらかと言えば空虚だったし...( ゚д゚)ハッ!学生時代全部勿体なかったのか!?
でもそのおかげ(?)で大学入試をまともに受けず予備校に行って、そこでわりと仲のいい友達が出来たり、
大学に1年遅れて入った上にやっぱり“なんとなく”過ごしたせいで1年余分に通って、そのおかげで今の会社に就職してこうして生きてるから...
別の世界線はわからないし、過去の自分はバイバイ!今現在きちんと“意思”を持って生きてる!
高校生の時に「どうやって死ぬのが一番楽かな?」「練炭?」「あ、買ったら教えて」「ホームセンターにある?ネットだとウチは親が...」「え?ついでに頼もうと思ったのに」みたいな会話をしてたのを思い出したw
自分よりひどい人間嫌いを発症してた地元のKくん、
お互いに「最低でも月に1~2回は学校を休まないとやってられない」みたいな考えを持ってたし、高校で一番仲良しだったからなー!
