人それぞれの器。

 

補助金をもらうのに、今時短要請受け休業中の飲食店の写真を撮りに行ってきた。

(18時から営業のお店のため、20時に店終いじゃ、人件費も捻出できない。)

 

写真を撮るため、電気をつけたら、速攻で地元の方が来てくれて、

店内の写真を撮っているときも、電話がなりやまなかった。

 

おにぎり屋さんから始まり、地域の人の声をきき続け、

メニュー数が膨大になったこの食堂は、やっぱり地元の人に愛されてるんだなって実感させて頂いた。

 

 

誰もいない店内や、祖父が掘り上げた地下室を眺めながら、

祖父の偉大さを噛みしめながら、その後あたりを散歩して帰ってきた。

 

祖父は、鞄一つで祖母とこの地に来て、

お饅頭屋さんの一室でお饅頭を作るところから始まり、

その後小売業をはじめ、(この地にビールを初めて持ってきたのはうちのおじいちゃんらしい)

アイスクリーム屋さん、おにぎり屋さん、お弁当屋さんとなり、

 

今では、食堂と、民宿2軒を作るまで事業を拡大させていった。

子供が6人いたため、6人の子供たちを食べさせるために必死になって働いた。

飲食業だったら、食いっぱぐれることもないだろうと、今の食堂がスタートした。

 

匿名で、1万円からはじめた街への寄付金を年に1万円ずつ増やしていき、

ボケちゃってからも、ボケ方が行動的で、真面目な性質が分かるボケ方をしていた。

お世話になったみんなに配るんだ。って、銀座で高級腕時計凄い数注文してきたり、学校に寄付するんだって、二宮金次郎の銅像注文してきたり。笑

 

いつでも町のこと。みんなのことを考えているおじいちゃんだった。

 

自分自身は、質素な生活で、ヨレヨレのシャツをきて、自転車にのって町の中を散歩してた。

 

そんなおじいちゃんが、汗水流して作り上げたものを、そう易々手放しちゃだめだよなって、補助金の申請書を打ちこみはじめた。

 

そこに、喧嘩中の母がやってきた。

 

 

家業を潰すことにほっとしていたところに、やっぱりやる、と私と父が言い始め、

自分のお兄さんがたは、抜ける算段

我が家が最後貧乏くじを引く羽目になるんじゃないかと、わーわーヒステリックをおこされたので、

 

この間まで、「りっちゃんがやることで、家の事なんじゃないの?」

とか、自分で新規事業を立ち上げる勉強をしている私に言っておいて、

今度、やる気になったら

「この商売は難しい。いい加減楽になりたい。」

とか、疲れ任せにヒステリーをぶつけられ、

 

こっちからしたら、役員としての仕事何もやらないで、、給料泥棒してるような人、

早々にいなくなってほしいし、やるにしてもパートって立場に切り替わって欲しいのだけど、

自分の立場というものを分かっていなく、無責任に、その時その時の感情をただぶつけてくるので、

 

「自分の都合で人を振り回さないで欲しい!」

と、一括して、その後、コミュニケーションを避けていたのだが、

 

父に、今の社長ともども母もやめさせるべきだと説得し、

社長と、弟さん、母(現在のへっぽこ役員陣)を全て退任してもらう方向で動いてもらった。

 

母としては、自分だけ退職金をもらえず、この商売の貧乏くじを引くか係になりのが、面白くなかったみたいだ。

 

で、退職金もらえることに安心して、精神的安定を取り戻し、話しかけてきたわけだけど、

 

(今、連携を考えているアクティビティ会社さんに傘を借りてきたので、それを返しにいってくれないかと。話しかけてきた。

私も家業を存続させるのであれば、周りの企業さんとの連携を考えているが、こんなに家の中が固まっていなのに、

無責任な話をしにいけないなと、家の中がもう少しまとまってから話に行くつもりだった。)

 

お爺ちゃんの頑張りに、自分も頑張るぞと心入れ替えて、パソコンにむかっていたわけだが、

 

自分の話を延々され、退職金や、祖父が作り上げた事業に対するリスペクト心や、地域や従業員の方に対する思いやりや責任も何もない話しにげんなりした。

ほんとこいつら自分のことしか考えてない。

 

いつもは、喧嘩になることを避け、

やさしく、そうだね。よく頑張ったねと、肯定的な言葉しか使わないのだけど、

 

私も四六時中勉強してるし、何より、家業の近年んの財務諸表にあったまきていたので、

 

「おじいちゃんの生き方は尊敬できるけれど、母たちの代の生き方は尊敬できない。」

と、きっぱり今回は言った。

 

ヒステリーをおこされなくて今回は助かったけど、

開き直って「軽蔑されてもいい。でも自分の身は自分で守る。私は私なりによく頑張った。」

 

という論を展開された。

 

 

私もむくれた口のスタンスを急に直すことはできず、

素直にその考えを受け入れることができなかったが、

 

確かにそれも一理ある。

 

バブル崩壊後、たくさんのお店が潰れていった。

 

その中でうちみたいな小さなところが生き残れたのは、母たち世代が、真面目な働き者で、

一生懸命汗水流して、働き続けてくれたおかげだ。

 

そのおかげで、私も姉も、大学まで行くことができた。

 

しかし、近年の財務諸表を見て、まだまだ納得しきれていない自分もいる。

 

赤字垂れ流し体質の責任は誰にあるのか。

 

精一杯働いていれば、それは正義なのか。

 

どんなに利益を残してなかろうと。精一杯働いてきたのだから、その分の対価を貰うべきものなのか。

 

 

お爺ちゃんはよく言っていた。「入ってきた分だけ、使えるんだよ。」

 

入ってきてないのに、その場にいたからって、雇われ人みたいにお金貰ってくのって、なんか違くない?

 

しかし、どんなに役員としての責務を何もやってなかろうと(話すと喧嘩になっちゃうとかで役員会議とかまったくなしでやってきた人たち)

この財産は、この人たちの頑張りによって積み上げてきたものだ。

 

本当は、その積み上げてきたものを次の代に活かして欲しいけど、

そう思って頑張ってきた人たちではないので、致し方ない。

 

公平に分配し、いなくなってもらう。

 

お疲れ様です。って素直に思える気持ちもあるけれど、

器ちっちゃいですねって、見下してる気持ちもある。