3月ほしりこduoサロンのお花アネモネ


~4月営業日ご案内 ~


ほしりこduo新潟県南魚沼市サロン


3日(水)から12日(金)まで

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東京出張もみもみ

 3/30日(土)から2日(火)


本日3月30日から少々前のめりで東京入りです



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ほしりこ兵庫県西宮市サロン


14日(日)から25日(木)まで




※今月はゴールデンウィーク前の26日から再び新潟です。
なのでどこも押せ押せの短め日程となっております。すみません。※


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父が亡くなってからと言うもの

なんやかんや毎年 「法事」 ですねん

もちろん三回忌まではこんなん普通の事なんですけど

自分達(姉妹)の責任で、葬儀からそれ以降の法事まで取り仕切るのは初めてなので

これまでそんな考えたことなかったというか

イイ歳して知らんかったんですけど(恥

新潟の実家 地元の地域では

葬儀から四十九日の法要

そして翌年に一周忌法要

これが終わればもう、大きな法事は三十三回忌までしないんですって!!

そう言えばおじいさんの法事ってあんまりやってなかったか?

えーと、えーと、、、

と、おぼろげ過ぎる記憶を辿りきれず (汗

どんだけ他人事やねんて恥ずかしいんですけど

ほんまに新潟の流儀は知らんかって

(関西の嫁ぎ先では普通に十三回忌とかの法事に呼ばれてたんで)

まあとにかく親戚方の皆さんに集まってもろて、という大きな法事は一周忌で終わりやで、と

父の四十九日辺りでお寺さんやら叔父叔母達から聞いたので

昨年の一周忌が済んだところで、やれやれ~と姉妹共々肩の荷を降ろしていたんです

( 父の三十三回忌なんて私も生きてるかどうかってところなので、これでもう大役はオワタと )



さてこの5月始めにはもう三回忌が来るんですね

そして全く何もしないという訳ではなく、親戚方を呼ばないだけで

4月末にはお寺さんに来て頂いて

お塔婆やお経をあげてもらったりして

姉妹だけでこじんまりと、と思っていた次第です



父は6人兄弟の中で一番乗りで彼の国へと旅立ったので

まだ他5名とその連れ合いさんも皆さんご健在です

同じ市内にも弟姉妹と3人住んでいるので

まずはいつも頼りにしている叔父に相談

「お寺さんにお経あげてもらうから叔父さんも一緒に手を合わせて貰えると父ちゃんも喜ぶと思って、、、」

叔父 「いつにする?せっかくだから他の姉達(叔母)にも声かけるから」

私 「あ、そうだね!じゃ近くの叔母さんにも都合が合えば来てもらうようにしよう」

・・・・・・・

叔父 「んーーーん、、、いや、せっかくだから東京(の叔父叔母)にも声かけてもらって、ついでに兄弟会にしようかな♡」

叔父 「もう兄弟集まるのも何回出来るかわからんしな」


は?


私 「わざわざ東京の叔父叔母まで呼ぶの?いや、あの、だから、お斎とかはしないんだよ?」

叔父 「うんうん分かってるよ~俺達は俺達でついでに兄弟会するだけだから

私 「じゃ家としては法要が終わったら解散という事にさせて貰うよ?」

叔父 「それでイイよ」


~ 2日後 ~

叔父 「俺達(父兄弟)は△△で昼の会にするか夜の会にするか、、、と考えてるんだけど、お前達(姉妹)も一緒にご飯食べるだろ?」

私 「いやいやいや~
だから~それやり始めたらキリが無いからお墓で解散って言ったじゃんか」

叔父 「それからさ~あれだな~、、、夜は東京(の叔父叔母)もせっかくだからホテル取らないでお前のとこに泊めて世話してやってくれ」

私 「あ~もちろんそれは別にええよ~(棒」

・・・・・・・・


東京の叔父叔母には私も日ごろお世話になっているので

全くもって、一向に構わないんですよ

ほんまに

本気と書いてマジで

「東京の叔父叔母だけ」で済めばね 

で、せっかくこちらに来てもらって1泊で帰す訳にも行かないので

2泊

帰る日はいつも御三時頃までゆっくりと

結局のところ都合3日間

「東京」 が帰るまでの間、もちろんお近くの弟姉妹の皆様も

連日大集合でワチャワチャ

という事になりそうっていうか、もうなっちゃってる未来しか読めないっていうか

これ、いつものパターンなんですぅ

そして父が亡くなってから既に何回もやってるんですぅぅ(T0T)


もはや目的が違ってるっていうか

ほぼ法事とか関係なくない?



「もう今度の三回忌で本当に最後 になると思うからさあ   
by まだ72歳の叔父(¬∀¬)


「最後」 「これで終わり」

ああ

ええ響きや~~~

・・・・・

一周忌の時に何回も何回もそのセリフ聞いとるんやでしかし (苦笑




(( お泊まりさんのご飯とか部屋や布団の準備もですけど
兄弟が集まって来る度お茶を出し、またちょいと遊びに出かけて帰って来てはお茶を出し、ご飯食べに出たとして戻ってはまたお茶を出しというお接待が1日何回も繰り返されます。
いつも 「来る一方の人」 にはこういう気苦労と気遣いはわからないでしょう。
皆、自分の家では 「来られる側の人」 やってるんやと思うけど。田舎やし。
今さらながら思うのは
母は、家事全般をこなし、家業も一人前に手伝い、厳しい舅姑と関白亭主に仕え、4人の子育てに夜はまた事務仕事までやって
それ以外に小姑やその家族にも気を遣ったりもてなしたりする場面も多く、ほんまに何十年もようやったな~と。
そして父が亡くなるより先に施設に居てくれてよかったな~と。
母にもうこんな気苦労をさせる事は無いんだという事にホッとしているというか。
今、私が実家でこういう役割を担うという、その役回りというか星回りというか、その意味をしみじみ考えたり。
もちろん一人でじゃなくて双子に助けてもらいながらやれる有り難みとまたその意味を考えたり。))





父のご兄弟方、有り難いことに皆さん大変お元気ですねん (* ̄∇ ̄*)

これっきりこれっきりもう~
これっきり~ですかぁ↗~~???

ほんまに???

ほん、、、、、、、、、、、(自重




長なりましたね
久しぶりに