昨日の続きです



ひとつ屋根の下で暮らした祖父母

優しいばっかりの温和なじいさんばあさんではなかったから

あたたかい思い出はたくさんあるけれど、厳しくてめんどくさい面もいろいろあった


母にも 

あまり甘えた記憶も無いし、かばってもらえたこともない

幼き頃の良い思い出もいくつかあるけれど、元々きっと情の薄い人なんじゃないかとも思う

精神的に護ってもらった助けられたという感じではないの

私達が父に対して、少しでも反抗的な態度・気に入らない物言いなどしようものなら

その怒りはまず私達本人に向くけれど

その後ずっとネチネチやられるのは母

だから母は、父の逆鱗に触れぬよう、更に 舅姑のご機嫌を乱さぬよう

私達に注意ばかりしていなければならなかったのだろう

私が母に対して 親子としての感謝の感情が湧くのは、主に息子を産んだ後から



そして私の傷は

誰より 父の、機嫌と気分に左右され続けた

暴言 や 暴力、勝手な決めつけ

威張り散らす 「王様」 と

役立たずでやっかいと決めつけられた 「しもべ」 のような図式

いや、冗談でも言い過ぎでもなく✋


気分で逆上し ひと暴れした後は 母に命令

私達は父の前に無理やり引きずり出され 並ばされて 土下座

「ごめんなさい すいませんでした 許して下さい」

正座をし

両手をつき

頭を床にすりつける

自分の 人間としての尊厳 を根こそぎ奪われる

こんな日常

私達が悪いとか悪くないとかは関係ないから


機嫌が悪い時に当たり散らすけれども、普段は愛情を感じるやり取りがある とか

食卓を囲んで 朗らかに会話がはずむ とか

そういう、一緒に住んでる 「家族」 としての繋がりを実感するようなこともない

どっちが上であるか? を植え付けられ思い知らされる

上下関係の 強要 のみ


時代の背景もあったとは思うし、実際仕事が忙しくて留守がちな人ではあった

けれど

どんなに仕事人間であろうが、照れ屋でどう接して良いかわからなかろうが

我が子可愛いという感情があれば、少しでも関心や愛情を持ってる人だったならば

いつかどこかのタイミングで、こちらがそれを感じ取る瞬間はあるだろう?

それが、まっっっっったく 無かった ってこと



そこそこ大きくなってからは、何かと言うとお金をちらつかせる・・・

これが本当に嫌で嫌で

親というより人間として、全く尊敬出来ない存在であることが

そんな人が 自分の親である ということが辛かった


帰省する時の新幹線の駅からの たとえ10分だって

車の中での二人きり・・なんていういうシチュエーションは想像しただけで無理で

迎えに来てもらうのは 母か、祖父か?姉妹の誰かか?

そのどれもダメなら、到着時間を知らせずにタクシーで帰るっていうワザを使ってたくらい

二人きりで何かしなくちゃ 何処かへ行かなくちゃならないなんて

考えただけで吐き気がしてた

いつも 心に 「鎧」 をつけて対峙する

力を抜いて会話をしたことは、昨年までは一度もない

言葉の通り

心が、父を全く受け付けられないような感じ


すごーく簡単に言うと

安心感を感じる家庭 で育つことが出来なかった

ということだろうか



*******



結婚してからは

「私の所属先はもう他にあるから!」 と

それまでの恐怖心が逆転して

そんなに気に入らないならいつでもケンカ出来るけど?みたいな

(もちろん泣きながらになるけどね) 

私の息子が初孫で

男の子が欲しくてしょうがなかった父に めちゃくちゃ可愛がられていたのを良いことに

は?そんな態度でいるならもう連れて来ないよ?みたいな

私はいつでも縁切れるんだからね

という 「強気」 に変わってた (もろにそう宣言する訳ではないけれど)


それで気持ちが楽になったことは確かで

そこからは少しは話せるようになった気がするけど

どんな状況になったって

あの人は嫌い、近寄りたくない 

傷つけられるから

どうせ嫌な思いしかしないんだから

って思ってた



*******



ここまで思い出しながら書いてみて

ひどいなー

つらいなー

って思った、すごく・・・

書いてるだけで吐きそうになる 辛くて

それでね

私ってほんとようやったね☆ っとも思った

こんな相手と もう一回関わってみようなんて考えたんだから

それで、今は普通に二人きりで 抵抗も構えもなくしゃべれるし

どこへでも一緒に行くし (って運転出来ないからという事情もありで)

なんなら、同じラインに立ってケンカだって出来る

もう、これだけで神レベルやん♪♪♪



*******




だって・・・向こうが悪いんだから仕方ない

そうやっていつも 誰かのせいにしていた

だって 私から始めたんじゃない

だって 親が怒るから



向こうから謝ってくれたら

親 が 愛してさえくれたら



これはもう不毛過ぎる、負の連鎖だ


これ言い出したら

本当に相手が謝って来ない限り状況は好転する訳がないし

相手が死んでしまっていたら

思いをぶつけることすら出来ず、二度と自分の気持ちも救われることがなくなってしまう

一生その傷と共に生きなきゃいけない


たとえ謝ってもらえたとしても

あなたが、取り戻せはしない過去に縛られていれば

そこから前には進めない


それでも、何がなんでも

「自分から仕掛けたことではないのだから、こちらからすり寄るなんて出来はしないのよ!」

と・・・思ってしまう

そこからまた堂々巡りが始まる


それが、当たり前の反応


ずっと相手を憎み続けたって、不毛だって

それでもいいの

無理にその気持ちを治めようとしなくていい


でも

それが苦しくて生きるのがつらいなら、抜ける方が楽になる





私がそこを どうやって変えたのか

その考え方に縛り付けられていた頃は (昨年の五月までコレでした)

どう考えても堂々巡りで

自分のせいじゃないんだもん仕方ないじゃない

私は悪くないから

私から謝ったり ご機嫌伺いしたりして近付くなんて

どう考えても変だよ

向こうからそうしてきたら別だけどさ

こんな思いばっかりだった



じゃ どうやって変われたの?

それはね









ソコの答えはないんだな実は・・・


えっ!(°▽°)

がくっ⤵


いや、やり方は確かにあるのだけど

すっきりわかりやすくは説明出来ないというか

「家族のお話」 の過去記事やら、その他の記事の 心のことを書いてるもの 

なんかを読み合わせてみて~ ってことになるのだけど・・・

また書くうちに出てくるかも?なので

昨年からの動きと合わせて、私の感情を更につらつらと書いてみます


*******


父とのことは そもそも解決するつもりが無かったから

ただそのまま うっちゃっておいただけ


他に抱えていた 精神的な葛藤から抜けられた時

この課題が目の前にあったっていうだけだから


自分の生まれた家庭をどうにかしてやろうなんて

全く思っていなかった


これだけは無理!!

この人のやってきたことはどんな理由があったって許せない!!

って感情が強すぎたから

別に一生親しくするつもりなんてないから このままでいいよ って

これに関しては 過去にも私なりに努力はしたつもりだし

孫 (私の息子) のおかげで

一生にたった一度、何年か前に 「ごめん」 って謝ってもらったし

私はあの人を許さないけど

このたった一度の ごめん を抱いて生きていこう

くらいに思ってた

あの人が変わるなんてことは有り得ないんだから

もう二度と期待するつもりもないし

だいたいもう死ぬまで会わなくたっていいんだから


ここまで思っていた相手だから

解決する気なんてさらさらなかった


ただ

どんなにあきらめても

親という、

替えのきかない存在からの 愛情 を

優しくて居心地のよい

ほんわかとした時間とか 安らげる空間ってものを

一度でいいから味わってみたかったな~って

そんな光景が当たり前な家に育つというのは

どんな気分なんだろうなって

それは いつも 幾つになっても思ってた

その愛情への渇望は消えることはない


だけど

「あの人」 とそうなりたい訳ではない

「あの人」 からそれが欲しい訳ではない

あの人からの優しさや愛情なんて!!!

それはそれで考えらんない

今さら過ぎて気持ち悪い

そんな感じ



こうやって文章にすると複雑だな~

でもこういう家族の元で育った人にはよくわかる感情ではないかな?



私達は

私は

姉妹四人で居たから ここまで来られたって思う

双子だったから

辛くて 深い傷と、それぞれの心の闇を 分け合って生きてきた

泣いたり・・文句言ったり・・

自分の感情や思いを出しきって

励まし合ったり助け合ったりしてね

ありがとう

お互いがいなかったら、私達の心はもっと大変な痛手を負っていたね



でも

このお互いの傷の舐めあいっこじゃ解決できなかった

このまま気持ちが変わることなく年を重ねていけば

70代になっても

未だ 親の呪縛やトラウマから逃れられない 父や叔母達と同じに

長くて苦しい人生が待っていたんだと思う


そう、父も同じだった

オレは親から大事にされた って言うけど

最近になって 伯母達から聞く昔話と

私自身が幼き頃から見ていた、祖父母を含めたこの家族の

異様な雰囲気、闇、イビツな関係性 を思い出せば

父も傷つけられていたのがわかるから・・・





続きます