マッサージって 単純に 体をほぐすだけじゃない


日常のあれやこれやからちょっとした愚痴

施術中の 何気ない会話のつもりでいても

体をほぐしてもらいながら、言葉が口をついて出てきた時には

思ってる以上に 自分の気持ちが素直に出ていたり

今の自分の立ち位置を確認出来たりすることもあるから

体をさわる というのはそういうこと


心のなかで 少し黒くなり始めたモノを吐き出してすっきりするとか

日常の、忙しい~疲れる~だけなことが

口に出してみると 実は楽しくてしあわせなことだと気がつくとか



理想の癒しとは

体がゆるんでいくと、気持ちもゆったりして

そこで起こっているのは、 「氣」 が合っている施術者とのエネルギー交換でもあり

心も同時にほぐれるものであると思っている


だからすっきりするの

自分の手では、いくらやっても

自分自身のエネルギーをこね混ぜてかき回しているだけ

それが

この人!と思える人の手に我が身を委ねる時

ここへこよう!って思った時点で、もう選んでいるし

一度受けた人のところへまた行こうと思うのなら

既に 相性はいいと思うから

体も・・・心もちょっとずつ、開かれ始める


何度も通っているところなら

もう迷いなく 心もがっつり!委ねきれているので

その 心身の解放感 は凄いものがある


その空間に数時間居るだけで 良いエネルギー循環が起こり

リセットしてチューニングして・・・

溜まってしまったモノしっかり出して

そこに少し栄養補給したり、ホッと一息ついてもらったりして

生きるエネルギーをきちんと循環出来る体 になって帰って行く


私がやっているのは、そういう仕事なんだと意識しています

単純に 体のメンテナンス というだけではなくて

目指しているのは、そんな空間と時間なのです









昨日は電車で2時間ほどの距離に住んでる息子に会いに・・

知らなかったんだけど、そこはお花の栽培も盛んなようで

ドライブしていても 道路沿いにお花が咲いてるビニールハウスがいっぱい

新鮮で色とりどりのお花がた~くさん!そして安いっっ!

ついつい後先考えずに沢山買ってしまった帰り・・

は 大阪に着いたらもう終電間際の深夜

そんな時間に

新聞紙で無造作にくるっと包んだ花の束を、更にショッピングバッグに突っ込んで

トレンチコートの肩から下げて 大阪駅をずんずん歩いていた

・・・変なオバサンは私だー 笑






はい、ここからやっとタイトルのお話 いきますよ

え?

ここまでの、前フリやったん?って

え・・・・・えぇ・・まぁ・・毎度 す す すんません ( ̄∇ ̄*)ゞ




さて、

現在、毎月遠い実家へ帰省しておりますが

そこでは最早、親戚の叔父さん伯母さん、父や姉妹は

私のマッサージの常連客様でございまして

じっくり体をほぐしていると

今まで聞いたこともない 伯母 (叔母) 達の

幼き頃の苦労話から 若かりし頃のまさかの恋バナ!

今現在の生活の中での想いアレコレがいっぱい飛び出して来るのです



~~ ある日の伯母との会話 から ~~

の祖母は、今年の5月の入院をきっかけに 施設で生活することになりました

そんな100歳越えの祖母ですが、

78歳になる伯母 (祖母にとっては ) が時々顔を見に行くと

毎回必ず、「何かお前にあげるものはないかな~」 などと

母親として 娘に 何かしてあげたい みたいな言動をする、と言うのです


そんな 「母親の気遣い」 を目の当たりにする伯母さんは

「人は 幾つになっても 親であり子である」 のだな~と思う

と、私に言います

100歳になっても、まだ親でいることをやめられず

80歳を目前にしても、親が生きているうちは子である と



その伯母は、夫と 息子夫婦と 孫たちと暮らしています


伯母が 畑で手ずから収穫した野菜や、わざわざ買い求めた 「息子の好物」

食卓の息子のイスの前並べます
(ちなみにその 「息子」 は私の従兄弟なので、もうオッサンです)


そして、大家族の大きなテーブルに並んだおかずから

が、「自分の息子 (伯母の孫)」 のために好物を選んで

夫 (伯母の息子) の席の前から 「息子(孫)」 イスの前

並べ直す (移動させる) んだって!


そうされても

もちろん伯母は いつだって 「母親の気持ち」 はわかっているつもりだし

嫁にとっての息子 は 自分の孫 であるわけで

ずっと同居して、生まれた時から大事に 共に育てている孫も可愛いのだから

と、大抵は 嫁のやることを黙って見ている

でもさ~〇〇子~

私だって 自分の息子に食べさせたいと思うからそれを用意する訳じゃん

あんまり毎回それやられると我慢出来なくなってさ~・・・」

で、こないだ言ったの

「ちょっと!あんたばっかりが 親 じゃないんだよ」 って

嫁、しばし固まって・・・

「あ、そうなんだね~ほんとだね~ごめんね~」

「でも、やっぱり私は自分の子にしてやりたいから~

・・・・・

こうやって書くと、一見ただの嫁姑のよくあるやつね~なんだけどね

(ちなみに ここの嫁姑は普段からはっきり言いたいこと言い合ってはケロっとしてる
そんな、わりと良好な?関係のようですよ)


100歳のおばあさんはまだ「母親」 で

その 「娘」 である、80歳目前の これまた結構なおばあさんだけど 「母親」

50歳を越えたおっさんは、その、娘でばあさんの 「息子」 であり 「父親」

その 「息子の嫁」 もまた、

すぐ近所に介護の必要な両親がいる40代半ばの 「娘」 であり 「母親」 でもあり

もうすぐ20歳になろうかという青年達は

「子」 であり 「孫」 であり はたまた100歳のばあさんの 「ひ孫」 で

もう数年もしたら 「親」 になるかも知れず・・・


みんな、親であり、子であるのだ!

凄すぎてややこしや~ (゜▽゜*)






~~ 現在の 私と息子の話 ~~

大学が遠いためにひとり暮らしをしている息子

離れて暮らしていても 息子の食卓事情 は気にならない訳はなく

かと言って、バイトだなんだで家に確実に居るという日がわかりづらいので

宅急便で冷凍したおかずを送るっていうのもなかなか出来ない


なので、息子が家に来る時など、会える時には

その日のご飯の仕度だけじゃなく

息子の好きな物や 自炊していても自分ではなかなか作れないであろうものを

あれこれ考えを巡らせながら

何種類かを用意し、パッキングし、冷凍して持たせます


食べる人のことを想いながら 丁寧に心を込めて作る

作っている自分も楽しい

これは、毎日毎日、家のこと 子供を育てるということ に追われていた

昔の私には無かった感情ですね

そういう 「責任感」 「やらなしゃーない」を越えた所にあった

やってあげたい、まだやってあげられる という

しあわせな気持ちに気づけたのも良い経験です


もちろん昨日息子の所に行った時も、好きな物や喜びそうな物を考えて

いくつか持って行きました (保冷用の大きなショッピングバッグに詰め込んで!)

出かける間際に

「あ、朝ごはん用に玉子サンドでも作ってあげたらよかったかな?」

とか思って

・・・いやいや、彼氏とピクニックちゃうねんから~って自分に突っ込んで

もちろん時間も材料もないので玉子サンドはあきらめ (笑)

で、

息子は息子で

レンタカー借りる手筈を整え、おかんの好きなCD持って来てな~って前準備あって

駅で会った第一声

ドライブコースとか 昼飯 晩飯 食べる店とか

だいたい見当つけてプラン立てといた」

って・・・

らぶらぶカップル❤のデートかっ (  ̄▽ ̄)



そんなキモい仲良し母子の会話の中で、元夫のこともちょいちょい出ます


「オレ、コーヒー好きやから結構飲むねんけど

お父さんがな、オレが実家帰る度に おう、これも持って行けよ~って

自分用に買い置きしてるドリッパー付きのコーヒー山ほど持たせてくれるねん

とか

「うん、だいたいオレが帰ると 仕事帰りの おとんが

ちょっと待っとけよ~って 嬉しそうにご飯作ってくれるで

ケーキとかもよう買って来るしな

とか 言うんです



こんな会話を通して、今の私は思います



仕事仕事で、家のことも一人息子のことも大して気に留めない夫

あんたも親やねんで!っていつも怒りと共に思っていたし、何度も言ってた私


だけどね

今になって、息子から聞く話で気付く


ひょっとしたら、夫が 「父親をやる」 チャンスやタイミングを

「私が奪っていた」 という面も あるのかもしれない、と


そして

今のこの二人のやり取りを、見ることもなく

また、見たいとは思わないけれど

自分も お父さん (親) であるという気持ちを味わう機会を

夫から完全に奪ってしまうような采配になっていなくてよかったなと・・・


ここでも 「私の親心」 としては

元夫に その気持ちを味わわせてあげられてよかった、というより

息子が

母からだけじゃなくて

父親からも、親らしい愛情たるものを貰えていること

それを受け取る、それを感じる時間が、沢山得られていることに対して

そんな話が聞けてよかったな~しあわせだな~と心から思うのです



同時に、私が仕事を通して耳にする

いろんな人生を送ってきている沢山の人のお話

何気ない日常を綴る会話のようでいて、実は私自身が気づけることの宝庫であり

私にとっては良い人生勉強の場でもあるのです

ありがたいですね




つい最近まで、縁を切ってもいいと思っていたほどの 「父親との関わり」 も

どんどん進化?変化?しています


晩酌しながら、自分の思いや昔話など

父の方からいろいろ話して来ることもあるし

朝の連ドラ見ながら あれはこういうことや 次はこうなるんちゃうかと言い合ったり

姉や妹が 父の嫌なところを列挙する時、

その姉妹の気持ちは もちろん私が一番よく知っているモノであるのに

なんかもやもやして、父の立場になってかばってあげたい衝動が起こることも!

だいぶ自然に、まあ親子っぽくなって来てるんじゃないかな?


私的には

自分の息子と過ごす時間のようには、自然体ではいられないし

通じひんのよね~ちゃうねんな~その感覚 、ってこともやっぱり多い

でも

今までのような 「俺様感」 は もう父からは出て来ません

私が、もう 「それ」 をキャッチしないから


今も 父の 「それ」 を受け取り続ける姉は、まだまだ辛さの真っ只中にいます

誰にも助けられない

私が方法をわかっていても、教えたから出来る 抜け出せる ということではないから

今の私を見せ続けることが大事で

それこそ、マッサージをしながら一緒に話をすることが姉の気持ちの助けになる

と思うだけです


親と子 って・・・兄弟姉妹って

どんな縁があってそうなってるんやろね