こんにちは、のこです。


単一臍帯動脈という言葉を知っていますか。

わたしは娘を妊娠したとき、香港生活も3年になっていて、
仕事も変わらず続けながら、産休育休を数ヶ月いただいたら
復帰をするつもりでいました。

香港は共働きがほとんどで(日本からの駐在は別だと思いますが)、
お手伝いさんがいる家庭も多いし、
その形態もさまざまでした。

お手伝いさんが住み込みで家族の一員のような場合もあるし、
1日のうちの数時間だけ、お掃除だけ、食事の準備だけ、子どもの世話や送り迎えだけ、というような形もありました。

もちろん日本で生まれ育っているわたし、
お手伝いの人とはいえ他人が家の中のことをしてくれるという環境は
受け入れ難かった。

それでも共働き夫婦に子どもができたら、
数ヶ月から預かってくれる保育園がある(すぐに入れるかどうかは別にして)日本とは事情が違う香港では、
お手伝いさんを雇う選択肢しかないのですよね。

祖父母や頼ることができる家族、親戚もいない場合。

のこ夫とそれについて話し合い、
お互いの勤務時間をできるだけずらして
子どもを見ながら、
どうしてもどちらの都合もつかない時間にお手伝いの方をお願いするようにしようと話がまとまっていました。

職場にもその旨伝え、
幸い悪阻の時期を乗り越えた後は順調な妊娠経過を送っていたので
仕事も変わらず臨月まで続けられそうと勢いこんでいたわたしです。


ところが。

妊娠6ヶ月検診にいったとき、
女医さんが、それまでの検診のときとは明らかに違う顔をしている。

割とすぐ終わる検診が、
今日は説明が長い。

6ヶ月検診は、35歳以上の妊婦対象のものでわたしはちょうどそのとき35歳。

今にして思えば、一般的にハイリスクとなる高齢出産のため、より詳しく検査をするための検診で、

そのことをよくわかっていなかった自分も準備不足でした。

英語で話す女医さん。
半分ぐらいしか理解できなかったけど、
通常の妊娠では見られない何かがありそうなことはわかりました。

一緒に聞いていたのこ夫に病院を出てから説明してもらいました。

赤ちゃんとお母さんをつなぐ臍帯に問題があるらしいこと。

まとめると、

染色体異常
内蔵奇形
特に心臓と腎臓に問題があることが多い
栄養が十分に届かず育たない

これらの可能性を指摘され、
出産時の子どものケアがきちんとできる大きな病院で出産することを
勧められました。

けれど、すべて可能性の話で、
その日の検診で今現在の「事実」としてわかったことは、

「単一臍帯動脈」ということです。

初めて聞く言葉。

さっそくネットで調べてみましたが、
当時はほとんど情報がありませんでした。

わたしが見つけられたのは、たった1つのブログ。

そのブログから、「単一臍帯動脈」とは、へその緒の動脈が2本あるべきところ、1本しかないということがわかりました。
なるほど、だから栄養が行き届かず育たないことがあるという説明にも納得です。
また、そのブログではダウン症との関連についても触れられていました。

病院では、内蔵奇形について長く説明があったのですが、
その可能性が何%ぐらいなのかはそのときはわかりませんでした。

今改めて調べてみると、

「単一臍帯動脈は全出生の0.6〜1%に発生し20〜30%に胎児奇形(泌尿生殖器系や心奇形)を合併し約25%に子宮内胎児発育不全(FGR)を併発,染色体異常にも関連すると言われる臍帯の異常である。」

とあります。

「全出生の1%」だと割とあることなのかもしれないと考えられもしましたが、
当時は情報があまり見つけられず、
日本人の医師ではない産科にかかっていたので日本語で聞くこともできず、
ただ内蔵奇形も染色体異常も可能性の話なので、
今その異常が見つかったわけではないと自分に言い聞かせて
心を落ち着けることしかできませんでした。

ただ、この検診結果がその後のわたしたちの計画を大きく変えることになります。

わたしは、初めての出産を不安なまま外国で迎えて、
もし心臓など身体に問題を抱えた子どもが生まれたとしたら、
職場復帰どころではないと考え始めました。

お手伝いの方にまかせられる状況にもならない可能性もあります。

家族、親戚などの頼れる人もいない、
そんな中、障害をもった子どもの子育てが自分にできるのだろうか。

また、出産時に何かあったらすぐ対応できるNICUがあり、
日本語で話せる環境で生みたいという気持ちも出てきました。

そして、のこ夫もその気持ちを理解してくれ、
帰国の可能性も考えようとした頃、
のこ夫の職場の状況が激変し、責任が増えるのに給与がなぜか下がるという事態に。

他にもさまざまなことが重なり、
もう日本に帰国するのがベストと2人の気持ちが一致しました。

そうして、ついこの間今後の計画を話し合い、
香港の就労ビザを更新してもらったばかりなのにも関わらず、
勝手ながら日本帰国をせざるを得ない状況になったこと、
上司に伝えるのはとても心苦しかったです。

それでも何度もお別れのお食事会に連れて行っていただき、
職場の方々には本当によくしてもらいました。

そうして妊娠8ヶ月でお腹もかなり大きくなっていましたが、
小さな機体のピーチ航空に乗って日本へ帰国。

香港ー関西のフライトが4時間程度だったからなんとかなった気がします。

香港を離れる2週間前まで仕事をし、
飛行機に乗る前日まで、香港でお世話になった人や
香港で仲良くなったお友だちと会ってお別れの挨拶をし、
その間、引越しの荷物を整理して郵便局にのこ夫と共に少しずつ持っていっては日本に郵送したことを覚えています。

我ながらよくやった。

もちろんおなかが張ったりしないようには気をつけていましたが、
できるだけ普段通り動いていたのが逆によかったかもしれません。
不安でいっぱいの妊娠期をそのことばかり考えて過ごすのは辛いです。

さて、日本についてからは実家でのこ夫と共にお世話になりました。

日本の冬は寒い。
おいしいお母さんのごはんを食べて、あんまり動くこともなく
ゆっくり過ごさせてもらいました。

初めて日本の産婦人科を訪れたとき、
「単一臍帯動脈」のことについてももちろん医師に話しました。

ですが、あまり深掘りはされなかったので、
そんなに心配することでもないのかもしれないと思い始めました。

当時がそうだったのか、たまたまそういう医師だったのかわかりませんが、
香港の6ヶ月検診で指摘されたことに対してはあまり反応がありませんでした。

医師も知らないことはなかったでしょうが、

生まれてから臍帯の動脈が1本しかなかったことに気がつくことはあるけど…

ぐらいの反応。

赤ちゃんも標準サイズに育っているし問題ないでしょうとのことでした。

日本の6ヶ月検診ではそこまで調べることもなかったのかもしれません。

わたしもそういうことに関しては楽天的に適応してしまいがちで、
ついこの間まで抱えていた不安も少しずつうやむやになるほど、
悲観することなくある意味良い方に流され、出産を迎えました。


3月半ばなのに雪が降っていた夜中。

陣痛は痛かったけど、始まってから4時間という安産だったのもあり、
まだいける、まだいける、とギリギリまでつぶやいていたほどです。

生まれたのは女の子。

元気な泣き声を聞いて、

よかった

と心底ほっとし、どんな子でもとにかく生まれてくれてよかった

もう泣けて泣けて、

よかった

しか声になりませんでした。

 



胸の奥の方に押し込めていた不安から解放されたような気持ち。
健康体だったのかどうかはこの瞬間わたしにはもちろんわからないのです
が、
もうそういうものもすべて手放して、
とにかく生まれてくれた喜びに包まれた、最高に幸せな瞬間。


単一臍帯動脈のことをわたしの方から医師や看護師に
不安なこととして事前に伝えていたので、
子どもは産後の入院中に検査をしてもらいました。

心室にも心房にも穴があいていましたが、
それ以外に異常は見当たらなかった。

その後心室中隔欠損のため定期検診に通いましたが、
1歳の誕生日の検診で、すべての穴が閉じていることが確認されました。

強い心臓が必要なアスリートや自衛隊員にはなれないけど、
通常の生活は問題なく送れるでしょうと医師からの説明。


あの、6ヶ月検診での不穏な女医の表情から始まって、
くすぶり続けてきた不安な気持ちにようやく一区切りついた瞬間です。

娘はこのような経過を経て7歳の現在まで
元気に育ってくれています。

何より大切で、生きていてくれるだけで、元気でいてくれるだけでいいと心底思う。


妊娠中に、この「単一臍帯動脈」という聞き慣れない言葉を医師から告げられて心配している方がもしいらっしゃったら、
わたしの経験を一つの例として読んでいただけたら幸いです。

万一の心構えも必要でしょうが、
生まれるまであまり心配してもどうにもならないのも事実。

ただ妊娠期の不安なときに、一つでも多くの例に接した方が良いと思い、

ブログに書いてみました。


ところでもちろん4人きょうだいの3番目として育ったわたしは、
子どももできればたくさん育てたい、希望はずっとあります。

でも、この単一臍帯動脈のことはずっと頭にひっかかっていました。
その原因が母親側にある場合、反復率や影響について考えないといけない。

そのことが、2人目を考える際の大きな不安要素になっていくんですが、
その話はまた別の機会に。

 



このダブルガーゼのおくるみは、
日本に帰国してから出産までの2ヶ月ちょっとの間の人生で一番ゆっくりできた日々に、
生まれてくる子を思いながら手縫いで作ったものです。

赤ちゃんのころは身体全部をつつむことができたし、
保育園のお昼寝用ブランケットとしても使いました。

アメリカに引越してくるときにも持ってきて、
車で少し長い移動をするときなどに必ず持っていきます。
たたむとすごく小さくなるんですが、ちょっとかけてあげるのに便利。

やはりNaniIROのダブルガーゼは赤でも優しい。
ベージュと赤の組み合わせもいいです。

直線縫いだけで作れるし、
大きさも適当に赤ちゃんを包めるぐらい(わたしは100cm前後の正方形で作った記憶)に裁断して、
縫い合わせて裏返すだけなので、簡単です。
フード部分はなくてもいいと思います。
肌に当たる内側を柔らかいガーゼ、外側をキルティングやウールのような厚手のものにして、冬でも使えるようにするのも良いかもしれませんね。

お気に入りの布で作ると、長く使えて、良い思い出の品になるかもしれません。
おすすめです。