こんにちは、りこです。
12月に入りましたね。
私は12月生まれでして、なかなか冬が好きだったんです。
冬は空気がしんとして、綺麗だな と感じるので。
足先も手先もかじかんで、それでも元気よく外で遊んでいた頃。
雪が降れば大喜びで足跡をつけながら近所の幼なじみの家へ遊びに行っていた頃。
すっかり冷えても家に帰ればこたつがあって、一度入ったら抜けられない…
こたつの上のミカン、お煎餅、あったかい緑茶。
夜は家族でテレビを見てあーだこーだ喋る。
だから冬が好きだった。
でも悲しいかな 歳を取ると冬の寒さは身体に堪える。
今私がいるのはマレーシアで、常夏の国です。
つまり一年中夏。ずっと夏で平均気温は35度くらい。
まぁ本当にずっと夏なんです。
だけど私が住んでいるのは標高1500メートルの高原地帯。
涼しい場所で、ときに寒くもあります。
一番寒い時はうちの町で10度くらいだったかな?
セーターやフリースを着る時もあります。
今、その寒い季節で 寒い季節はもの悲しくなるのです。
10度くらいだったら日本の冬に比べたら全然なのでは?
って思いますよね。
だから私は自分でも、この悲しい気持ちはなんだろうと思っていたのですが、
なんとなく原因と感じているのは
- 家の床が全てタイル
- 暖房がない
- バスタブがない
ことな気がします。
冷えた身体を温めるということができないんです。
寒い季節以外の秋のような気候だと快適なのですが、寒い時期は寒い。
しかし暖房をつけないといけないほどではないので暖房の需要がない。
つまり暖房は手に入らない。
それが気持ちをネガティブな方へ向けてしまうことがあるのです。
で、なんなのかというと・・・
すみません、これぜーんぶ前置きでした。
私は前置きがいつも長くて
本当に言いたいことの方が短いんですけど、今日もそれ。
ちょっと真面目。
やっぱり生きてますから、暗い気持ちに足を引っ張られることがありますよね。
だって誰でもその人だけの悩みを持っている。
言葉にできない苦しみもある。
話せることと話せないことがある。
そんな時、皆さんはどうしてますか?
私はなかなかに感情的な人間で寛容ではない方だと自分でも思うので
怒りや失望、といった感情にすごく振り回されてしまうことが結構あります。
本当は慈悲深い弥勒菩薩のようでいたいのに、完全に阿修羅です。
そんな私が最近ネガティブな感情のふっきり方を見つけました。
それは
「心を宇宙まで飛ばしちゃうこと」。
りこがまたおかしなこと言い出したぞ というのこの心配はまるっと無視。
いやいや理にかなってるから聞くだけ聞いて。
どっかの惑星に行った気分になって、地球を眺めてみてください。
これね、一年くらい前に描いた詩画なんです。
“小さな私たち”
小さな惑星の
小さな私たち
出会って 好きになって
失望して 離れていった
人は愛し 人は殺し
人は憎み 人は許し
平等にくる終わりだけ
持て余して 恐れて
心待ちにして 消えた
小さな惑星の
小さな私たち
その小さな物語
いつか消えるその
小さな物語
小さな惑星の
小さな私たち
出会って 好きになって
失望して 離れていった
人は愛し 人は殺し
人は憎み 人は許し
平等にくる終わりだけ
持て余して 恐れて
心待ちにして 消えた
小さな惑星の
小さな私たち
その小さな物語
いつか消えるその
小さな物語
自分の創作なんですけど、今これに救われてるんですよ。
これはですね。
誰にでもその人の苦しみがあって喜びがあって
でもその全てをひっくるめた人生そのものはきっと
遠くから眺めたらキラキラ光って見えるほど綺麗なのだろう
という意味なんですが、
壮大な視点で遠くから見ると、悩みも苦しみもきっとこの万物の流転の中では
小さく輝くその人のドラマなんだと思えるんじゃないかな と。
そう考えると少し、気が楽になるというか。
そう思わないと絶望してしまうから
自分が抱える問題にも テレビで流れる悲しいニュースにも
人が人を傷つける様を目の当たりにしても
絶望しない考え方を持ちたいというか。
とどのつまり 私は人間が好きなのだろうな と思います。
うむ、長いわりに要領を得ない投稿だったかな。
今日はここまで。
読んでくれた方、ありがとうございました。