こんにちは、のこです。

わたしには娘が1人います。


7歳なので本来なら学校へ行っているはずなんですが、
フロリダはコロナ感染者が一時期全米一になっていたこともあり、
今年いっぱいはホームスクールを決めました。

今は午前中の2時間、フロリダのオンラインスクールの授業を受けていますので、
その時間がわたしの自由に使える時間です。


去年もオンラインだったんですが、始まって数ヶ月はずっと横についていました。

放っておくとお絵描きをしたり、おもちゃで遊んだり、
ベッドに寝転んだり、
知らぬ間にリビングへ行ってチップスをとって
授業中にスクリーンの前で平然と食べていたり...。

我が子ながら驚きます、本当に。

いまだにそんなこともあるんですが、(というか、きっとドアの向こうは自由な世界)
それでも、今年度は思い切って離れてみた方がお互いにとって良かったと思っています。

そう思いたい。


先生を信頼すること。

授業を聞いていなくて困ったら、自分の責任。
それを注意するのもしないのも、先生の判断。

定期的に娘の成績や様子を知らせてくれるのですが、
特に何も言われたことはないので、もうこのままでいこうと思っています。


そう言えば、こちらの学校は先生が怒っている姿は見たことがありません。
親が怒っている姿もほとんど見たことがありません。

だめなことはだめときっぱり言っているのは見かけますが、
さらっとしているような気がする。

タイムアウトで壁に向かって立たせる、別室で心をしずめる、反省を促す等は
やっているのでしょうが、
少なくとも公共の場で大声でどなっている人は見かけません。

だからと言って虐待がないということではないんですが、
子どもに向かって声を荒げる大人を良しとしていない世間の空気があるような気がするなぁ。

日本にいた頃は、逆に、注意しない、怒らない親がいたら、
その親が批判的な目で見られることも多かったように思います。

子どもに注意をしているんだけど、
その実、その世間の目があるから注意しなきゃというプレッシャーを感じているというか。

もちろん危ない、命に関わるような危険な行為を子どもがした場合は言語道断ですが、
皆がもう少し、おおらかにかまえることができる社会だといいのにと感じることもありました。


さて、それはともかく、そのオンラインレッスンの2時間だけがわたしの1人きりの時間。

それが終われば、課題をやるのに声かけをしたり、
ランチを作ったり、
後片付けをしたり、
娘に日本語の勉強を教えたりするので、
午後からは夕方までほぼ一緒の空間で過ごしています。

夕方には一緒に散歩に行くか、
わたしはジョギング、娘はスクーターで池の周りを走ったり。

帰宅すると、わたしは晩ごはんの準備。
ここから娘は部屋で好きなことをする時間です。

以前は粘土遊びやお絵描き、レゴやドール遊びが多かったんですが、
1人で遊ぶのが好きではないため、
それらの遊びのときは絶対にお呼びがかかる。

でもこちらも忙しいので断る。
そうすると、1人でできる遊び=ゲームをすることになってしまいます。

一日に30分は1人で静かな環境で本を読むことは続けてくれているので、
その30分は読書をしているんですが、
それ以外は晩ごはんまで、1人でゲームをしているか、
お友だちとFacetimeやMessengerで電話をしながら
一緒にオンラインでゲームをしていることが多いです。

 

7歳でオンラインゲーム。

世間からのご批判もあるでしょうが、一度知ってしまったゲームの世界。

後戻りなんてできやしないんです。

覚悟を決めて突き進むしかない!

ビデオゲームの存在がない時代に育った自分としては、

心身ともの健康に悪影響ではないかなどと時折考えてしまうこともあるんですが。

 

いや、いい面も見よう。


オンラインでお友だちと顔を見ながらおしゃべりして、
かつゲームをできるなんて!

コロナがこの時代にやってきて、
少しは救いだったのかと思うほど。

お友だちとこんな風にオンラインで顔を見てコミュニケーションができなければ、
娘はきっともっと孤独を感じていたでしょう。


ところで娘が好きなゲームは、
『Minecraft』『PKXD』『Roblox』。

 



もちろん、ゲームを一様にだめなものと思っているわけではありません。

上記のゲームはどんなものかと娘と一緒にやってみたことがあるのですが、
想像力や創造力も使いますし、広がりがあっておもしろい。

ただ、スクリーンばかり見て目が悪くなりそうとか、
ゲームの中の世界がすべてになってしまうのが恐ろしいとか、
そういう心配を完全に消し去ることはできません。

何かを、誰かを「たおす」「殺す」ようなゲームは7歳にはやってほしくないとも思います。

でも、たとえば『Minecraft』で、
ベッドを作るためにWoolが必要で、そのために羊の毛を刈るとか、
何か食べないとおなかが減ってしまうので、かわいい牛や豚をやっつけてお肉をいただかないといけないとか、
住居の確保のために木を切り倒すとか、
そういった生き物の命の犠牲の上にわたしたちは生きているのだいうことを学ぶチャンスにもなっているんですよね。

他にも、畑を作って種を撒いて育てて収穫するだとか、
斧やシャベルを作るために必要なものは、木や鉄であるとか。
石はどこにあるか、石炭はどこにあるのか、
そういうこともゲームを通して学んでいるんですね。


こうやってどんどん書いているとゲーム推進派のようだ。


学校に通っていない今だから、どこまでを許容するかは難しくて、
親であるわたし自身がしっかり考えて対応していかないといけないと思っています。

学校もバーチャルで進んでいくし、
お友だちとのプレイデートもバーチャルのようなもの。
その上フリータイムをゲームに費やしては、
娘の生活がバーチャルな世界に取り込まれてしまうような気がして。


この時代の変化、テクノロジーの進化をしっかりと受け止め、
受け入れていけるよう自分の器を広げていきたいと思う一方、

それでもわたしは最後の砦として、ゲームを何でもアリにはしないように見守っていきたいと思います。

 

そんな砦、すぐに突破されそうですけど。