rico8001のブログ・バドセブ副作用から

rico8001のブログ・バドセブ副作用から

腎盂癌、膀胱がん、根治不能尿路上皮がん、肺転移、抗がん剤で、治療中

2026年1月3日

ウルフムーン

1月4日

一冊の本

●バドセブ治療開始から、一冊の本を毎月繰り返し読み続けて5年目になりました。苦痛で眠れないとき、苛立っとき・・・

 老人にとってこの一冊の本は、たましいの治療薬です。

 「今日という日は贈り物」から

 はじめに

 いま世界は単純なものに飢えている。わたしが言っているのは、さまざまな社会問題の論議や政治や宗教の偽りの単純さのことではない。自然界にたくさんあるもののことである――燃えるような日没、小川のさざ波、風のため息、コオロギの鳴き声。日。神秘。不思議。空恐ろしいほどの欲望と無関心の時代にあって,わたしたちを生そのものの核心につなぐ根本的な真理。

 わたしはアメリカの南西部に住んでいる。夜明けにはカラスが窓の外のビャクシンの木に止まり、執拗に鳴いてわたしを目覚めさせる。一瞬、わたしは彼のうしろに、ここから遠からぬ,かっては噴火していた火山の集熱を見る。彼は存在し続けるもの。

 家の裏側のテラスではくすんだ茶緑色のトカゲが、恐竜のミニチュアのような姿で、陽光を浴びながら上ったり下ったりを繰り返している。その不恰好なエアロビクスに、わたしは最初の爬虫類以来の反射運動を見る。彼はわたしが不安なとき、いつでも元気づけてくれる。彼もまた存在し続けるもの。

 近くの荒野を徘徊するコヨーテはわたしのために一晩中セレナーデを奏でる。注意深く聴いていると彼らがさまざまな歌を歌っているのがわかる。その声に私は言葉以前の言語の躍動を感じる。このコヨーテたちは単に存在し続けているだけではない。毒で、銃弾で、鉄の罠でその他のあらゆる方法で、彼らを殺そうとする人間たちから辛くも実をかわして生きている。

 単純な真理、それこそ今日の科学時代の不安の中で見失われてものである。ショッピングモールをうろつく若者たちの虚ろな目がわたしを悩ませる。わたしたちの命に関して何をしてもよく、何をしてはいけないと声高に語る政治家や宗教指導者の荒々しい声も同様である。精神的な崩壊がコンピューター、銀行や病院での呼び出し待ち、申込書や所得税の申告書、あるいは州間のハイウェー、スノーモービル、ファストフードチェーン、ネットワークTV、フォルマート、ディズニー、そしてまたプラスチック製のすべてに明らかに表れている。世界はいま画一と些末と人間性の喪失へと自分を作り替えている。ホピ民族の人々はこれをコヤニスカチと呼ぶ。すなわち、混乱、絶望、バランスを失った生き方。彼らは何世紀も前に今日わたしたちの国を麻痺させている道徳的、精神的危機を予言した。

 ニューメキシコのブエブロ・インディアンはもう三十年以上も前から、わたしの友人である。彼らはわちしの野に咲く一本のバラの深さをじっくり観察することを、また、新緑や眠たげなカメ、川の石、過ぎゆく雲などの意味について考えることを教えてくれた。彼らはわたしを山に連れて行き、わたしはそこで神秘的な癒しの慈悲を感じた。彼らはわたしに地面にうつ伏せになるときのやり方を教えてくれ、わたしはそうして葉や花や草の循環性を発見した。彼らはどうすれば聴こえるのかを教えてくれた。画の掴まえ方。小川と話しをする方法。いかにしてカラスゃコヨーテを精神の導き手として受け入れるかを。いかにして過ぎ去った生命とすべての後に続く生命とのわたしたちの脆い結びつきを認識するかを。

 かくていま、インディアンの古い石臼を手にするとき、わたしはその昔、女が下臼の前に屈んでトウモロコシを挽いたり、、野生の動物の肉を柔らかくなるまで叩いて、火で焼く準備をしている姿を彷彿とする。彼女の人生が厳しいものだったとしても、見返りがあった。いまわたしが頭上に看ているのと同じ白い雲を見、同じ赤い土り上を歩き、おなじきれいな空気を吸ったのだった。荒野に散在する陶片を見つけるとき、わたしは彼女と血のつながりを感じる。粘土の壺にああした単純な模様を描いた女はどんな人だったっろう? 労働しつつ彼女は何を思っただろう? 彼女の子どもは無事に育ったろうか?彼女は愛されただろうか?

 

 アメリカ先住民はこの大陸に二万年以上にわたって住んでいる。彼らの人生は日常の経験に基づいてもので、宗教もそこから生まれた。彼らは罪、過ち、あがない当たる言葉や天国や地獄の概念が存在しなかった。めいめいが自分のことは自分で責任をとった。そして、めいめいが部族ていうより大きなものの利益のために働いた。彼らの行為は一つ複雑な信仰体系によって正当化されていたが、それは侵略者のヨーロッパ人には受け入れ難いものであり、侵略者たちは何千年にもわたって持ち続けてきたもののほとんどすべてを、たった五百年足らずで破壊したのであった。

 アメリカ先住民は爆弾、車輪、化学製品、コンクリートを発明しなかった。彼らは環境汚染、都市の無秩序な拡大、交通渋滞、犯罪を生み出さなかった。彼らの世界では、すべての生き物は大霊(グレイト・スピリット)が宿り、調和と意味と承認を与えた。彼らは人生に目的を求めて遠くを見る必要がなかった。太陽が昇るように彼らも現れ出(い)でた。木が生きて死ぬように彼らも生きて死んだ。一瞬一瞬がそこからしか得られないものを教えた。春が来ると、彼らは花と鳥に目を止めた。クマが道を横切ると、物語を作った。喜び、悲しみ、神秘から生まれた。夜と昼は深い精神的な意味を帯びていた。強大な太陽、満ちては欠ける月、星のめぐり、四季の移り変わりの魔術も然りであった。これらのすべてが、拡大しつつある終わりのない全体の部分をなしている。

 わたしの経験は、大部分きここニューメキシコにおけるものであるが、一部は南ユト民族とコロラドのユトさんのユト民族から学んだ。1911年にタオス・ブエブロのメディスンマン(長老)に初めて出会って以来、わたしはインディアンに対して、いまわたしがカラスやトカゲやコヨーテに感じているのと同じ血の近さを感じるようになった。彼らは――そしてわたしたちも――同じ物質、同じ本質からできている。インデックスではない人々から羨まれ、真似され、悪用されているアメリカ先住民の叡知、それは基本的にわたしたちのまわりの複雑で魔術的な世界を意識し理解することだと気づくのに少し時間がかかった。与え続けているのは自然であって、わたしたちではない。

 ニューメキシコのプエプロ民族にとっては、月の十二の大きな通り道はそのような意識と理解の一部をなすものである。彼らのみつめる月は、彼らの祖先の月であり、これから生まれてくる子どもたちの月だ。それはまたわたしたちの月であり、わたしたちの生き方と世界の危機的状況に反省を促している。なぜなら、人と国家は戦争や暴力によってではなく、昔らの永続的真理よってこそ変わるからである。こうした心理にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教なでのレッテルが張り付いていない。なぜならそれらは単にわたしたちを、互いに、起源に、過ぎ去った時代に包含すべき未来に、最も根源的に結ぶものだからである。

 本書は、わたし自身の理解する月の十二の大きな通り道であり、一連の詩と瞑想からなっている。わたした一人一人の行路の助けとなることを願う。 P7-11

       ナンシー・ウッド

 一九九四年十二月  ニューメキシコ州サンタフェで

 

1月4日

●新年の3が日が過ぎて日常の冬の朝になります。

台所は蒸し器の蒸気で暖かくなっています。

テーブルには豚まんが出来上がっています。

おはようのハグをして、血圧、体温測定です。

仏壇で蝋燭を点けて線香立てリンを叩き朝の挨拶です。お願い

●あったかいキムまんの朝ご飯です。ニコニコ

食ったら寒いのでまた寝んねです。ふとん1ふとん2

 

鳥日記

●車の中から海岸バードウォッチング

今日はマナヅルは5羽でした。

●遊水地をカモが飛んでます。

●タゲリ

●カイツブリ

●イソシギ

●波受け堤防はカワウ、カモメ、カモが見えました。

●遊水地のクロツラヘラサギ20羽を数えました。 

●獲物を探していたトンビ

●フナを捕まえてセンダンの木の上で

●ミサゴはそれを見ています。

 

 

●今日も無事の一日です。

2026日の4日目に〇印です。

 

拙文お読みいただき感謝します

誤字脱字にはご容赦ください