みなさま祈り合わせどうもありがとうございました。
受け止めさせていただきました。
感じた事がありましたらコミュのイベント欄かこちらの日記にコメントをください。
さすが、未開の地?です。
アクシデントがばんばん起こります。
事の始まりは、パプアニューギニア国の玄関口ポートモレスビーから目的地ラバウルへ向かう途中の飛行機です。
ラバウルとは、日本軍が太平洋のアジア諸国をどんどん併合して行っている時の最先端の場所。あの「さぁ~~らぁ~~ば、ラバウルよぉ~~~、また来るまで、、」という歌詞を聞いた事がある方は多いと思いますが、このラバウルの地には沈んだ零戦や日本海軍の遺品が、巨大な洞穴などにたくさん見られ、零戦ポイントがあちこちにある地で、日本からの巡礼者が訪れるそんな村です。
この街のもと飛行場があった場所に目的の場所がありました。
ここがスタート地点だと感じていました。
成田から到着した首都ポートモレスビーから、このラパウル行きの飛行機に乗りこみ、無事到着し飛行場で荷物を待っていました。
しかし、待てど暮らせど、わたしの荷物だけが出て来ないのです。
「ああ、ついにやられたかぁ~~」と一瞬思いました。
痺れをこらして、ニューギニア航空のカウンターに行き、自分のタグを見せ、なぜ来ないんだ!と伝えました。
すると、
「あなた、そりゃ来ないよ。これはラパウル行きの荷物だよ!」
ええ?(〇o〇;)
どういうこと?
実は、このラパウル行きの飛行機は途中、レイと言う街で途中寄港する飛行機だったのです。それも知らず最初の寄港地を勝手にラバウルだと思い込んで降りてしまっていたのでした。
ただのギャグです。
慌てました!
ニューギニア航空のカウンターの方は、こっちに来なさい。とわたしは、空港係員室に招き入れられました。
「もう、便は出てしまったから、ポートモレスビーに戻るしかないから、次の便の手配をしてみるわ。少し待っててね!」
『ええ!それじゃあ、もしポートモレスビーからラバウルへの次の便が無かったりしたら、あしたしかラバウルにはつかないかもしれないの?』
「そうね、つけたらラッキーかも?」
「ガーン!! ( ̄□ ̄;)!! 」
これはえらい事に成った、実はこの2日後のマダン行きはチケットが取れず、ポートモレスビーへいったん戻るまで1日しかもう時間がないのだ。もし、今日入れなければお祈りをする時間さえ確保できないではないか!
(汗)った。
レイの事務所の方が、ニューギニア航空のポートモレスビー本部へ連絡してくれた。
すると状態は一気に動いた!
『あなた!なにしてんの!早く外へに走りなさい!』
「ええ? ええ?」
「なんだ? なんだ?」
あわてて、レイの飛行場の内側に、係員に先導されて飛び出すわたし!
すると、もうすでに滑走路を走っていたラバウル行きのさっきの飛行機がこちらに引き返してくるではないか!
(@_@;)
本部に伝えたら、すぐに飛行機を呼び戻してくれて、それならすぐにその人を乗せて飛ぶようにと管制塔からパイロットに指示が飛んだようだ。
こんなことないだろう、、、
とは思ったが、飛行機は本当にレイの滑走路のわたしの真ん前まで戻って来た。
そしてなんとか(;-_-;) をかきながら再搭乗したわたし。
搭乗し、いきなり滑走路から自分たちの乗った飛行機が戻ってくるのを体験した多くのパプアニューギニア人(PNGと愛情を持って呼ぶらしい)全員は、あっけにとられた顔でわたしを見ていた。口々に笑いながらみんなこちらに視線を送っていた。
居心地わるいったら、ありゃしない!
( ̄口 ̄;)
なかには「俺たちは時間を無駄にしたじゃないか!」と言ったものもいたが、なぜかその言葉は非難ではなく、愛情にあふれているように聞こえた。
実は、今だから言えるが、わたしはネットや本の知識で、PNGは怖い人たちだと思い込まされていた。その貧困故に怖い場所もあるのは事実のようだが、実際にこの地を自分の足で踏んでみると人々はシャイながらフレンドリーで遠くのインターネットショップまで歩く道すがら、たくさんの中高生とすれ違ったけれど、みんな恥ずかしそうにしながらも「ハロー!」「Good afternoon !」などと声をかけてくるし、こちらが言葉を返すとうれしそうにハニカミながら手を振って来てさらに挨拶を繰り返す。
ラバウルの大人達も見ず知らずの日本人にすぐ声をかけてくれて、レストランでは、自分の席に来ないか?とか、なにかしら話しかけずにはおれない様子だ。
お祈りの帰りに魚屋さんが路上に出ていた(今釣ったものを木に干しているだけなんだが)ので、晩ご飯に車を止めてもらったが、ここでも魚売りのおばちゃんやおじちゃんが子どもを連れて集まって来てくれて、あーでもない、こーでもないと即席の漫才会場と道お売り場は化していた。
こうやってお魚を並べている。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/eb/44/j/o0400055010599027072.jpg?caw=800)
ど迫力の親指おばさん。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/14/e6/j/o0400032610599027073.jpg?caw=800)
まさに、この地の楽しさや現地の方のこころの広さを知ったと言う感じだった。
そうして、無事に(?)ラバウルに着いたわたしは、さっそく明日のお祈りの準備に入った。行く場所の選定と時間配分、値段交渉、海から行くか?陸から行くべきか?など、ポートモレスビーの空港で、だれと交渉するのか名前を聞いておいた。すると到着間もなくその方から部屋のベルが鳴り、「ポールです。打ち合わせできますか?」と来た。
行く場所を決め、チャーターの価格と時間を決めた。
お祈りの前日は。禁酒、小食。これはもう、3日していた。
翌朝、なぜかポールが時間を早めないか?
といって来たが、もう決められているので時間は動かせないと断った。
こちらは日本より1時間早い。
なので、12時スタートとすれば、こちらでは13時に開始する事に成る。
前の日記では書かなかったが、受け取る側の意識の中でこの時間範囲内で起こる祈りのエネルギーはすべて受け取り、この大地に流して参りますと宣言を事前に行ない取りこぼしのないように調整を取っておいた。
次回の予定は21日の日本時間午前11時です。
この時間が無理そうな方は、この時間に合わせます。と宣言して同じ形の祈りを送ってください。こちらで受け止めるようにいたします。
ちょうど、このマダン当たりが曇っているイメージが出ていましたので、それを払拭して西にスライドしその後北へ登らせ、それがさらに天空に消えて行くくらいのイメージでお願いします。
(-人-)
そして、その地に向かうとすごい風景が飛びこんで来ました。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/95/08/j/o0400030010599027069.jpg?caw=800)
途中、原住民のマーケットを見かけたのでドライバーに訪ねてみると、この人たちは火山の近くに住んでいたんだけど噴火で家がなくなったり住める状態ではなくなったので、この辺りに移動して住んでいる人たちなんだ。という。
どんどん、あたりの風景がかわってきて、アメリカ映画などで見るゴーストタウンの様相を見せて来た。ここにさっきのマーケットの人たちは以前住んでいたんだ。
そして、活火山。
まるで死の世界を見ているようでした。
1994年に3つの火山が爆発し、このあたり一帯は溶岩で埋め尽くされた。住民は逃げ惑った。いくつもの廃墟と成った家がみられ、裸に成った大きな樹木があちこちに立ち尽くしている。
世界各地の活火山の場所もここと同じようにこんな不毛な地獄絵図のような様相を呈していたんだろうな。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/8f/1c/j/o0400030010599027075.jpg?caw=800)
いま、その火山の脈が、この地から西に動いてインドネシアに向かおうとしています。そしてそれは北に方向を変えながらフィリピン、台湾を経て、沖縄諸島、九州、本州全体、さらに北へと向かおうとしている。
この情報が入ったのは、今年の春頃。
まだ、ほんの数ヶ月前の事だった。
それと時を同じくして、日本人の方にインドネシアの大きな存在の波が降ろされました。「大きな揺れが起きる、しかし、これは避けられない地球の自然浄化だ」と。
これは火山の波の流れを汲み、とどまっていた地震のエネルギーを刺激し、津波、地震の大きなものが向かって動いていますよという暗示だった。
日本に向かっている大地震や富士山の大噴火被害と言うよりも、今回は太平洋沿岸のすべての諸国に関わるものであると直感した。
しかし、どこかに急に行くのにはお金がない。時間は確保できるように気を配り始めていたので大丈夫だった。そんなとき、あのすごい石が見つかり、それによって活動できる資金が生まれ、ここに来れる事に愛成った。なにしろパプアは来る人がそんなに多くないので他の国よりだいぶ高いのだ。
魔法の石を市価の1/3で分けられて喜んでいただいて、そして祈りに入れた。
3方得(徳)だ。
みなさんありがとうございます。
そのスギライトも祈りの前、すごい色に変わっていた!
なんとすごい石なんだろう?!
『やれんのか?』『やれんのか?』『ホントにやれんのか?』で、いつもぎりぎりの選択に成る。
今回、ここに来るには様々な葛藤があった。
なぜ、俺でないと行けないの?
なぜ、こんな辛い思いをしないといけないの?
他の人でもいいじゃん!
次の人でもいいじゃんか!
体調崩しても行かなきゃいけないの?
禁酒、小食をどうして強制してくるの?
・・・・・
ボルケーノ(火山)は目の前にあった。
いよいよ行かなければ成らない!
もう、ここに至ってこころは固まっている!
熱帯の熱さと火山灰が下からの熱気で上げられて砂嵐のように荒れている。
まわりには、はげにされた樹木が立ち尽くしていた。。
つづく
早くしてほしいな、な方は、![ペタしてね](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/decoPeta/pc/decoPeta_15.gif)
受け止めさせていただきました。
感じた事がありましたらコミュのイベント欄かこちらの日記にコメントをください。
さすが、未開の地?です。
アクシデントがばんばん起こります。
事の始まりは、パプアニューギニア国の玄関口ポートモレスビーから目的地ラバウルへ向かう途中の飛行機です。
ラバウルとは、日本軍が太平洋のアジア諸国をどんどん併合して行っている時の最先端の場所。あの「さぁ~~らぁ~~ば、ラバウルよぉ~~~、また来るまで、、」という歌詞を聞いた事がある方は多いと思いますが、このラバウルの地には沈んだ零戦や日本海軍の遺品が、巨大な洞穴などにたくさん見られ、零戦ポイントがあちこちにある地で、日本からの巡礼者が訪れるそんな村です。
この街のもと飛行場があった場所に目的の場所がありました。
ここがスタート地点だと感じていました。
成田から到着した首都ポートモレスビーから、このラパウル行きの飛行機に乗りこみ、無事到着し飛行場で荷物を待っていました。
しかし、待てど暮らせど、わたしの荷物だけが出て来ないのです。
「ああ、ついにやられたかぁ~~」と一瞬思いました。
痺れをこらして、ニューギニア航空のカウンターに行き、自分のタグを見せ、なぜ来ないんだ!と伝えました。
すると、
「あなた、そりゃ来ないよ。これはラパウル行きの荷物だよ!」
ええ?(〇o〇;)
どういうこと?
実は、このラパウル行きの飛行機は途中、レイと言う街で途中寄港する飛行機だったのです。それも知らず最初の寄港地を勝手にラバウルだと思い込んで降りてしまっていたのでした。
ただのギャグです。
慌てました!
ニューギニア航空のカウンターの方は、こっちに来なさい。とわたしは、空港係員室に招き入れられました。
「もう、便は出てしまったから、ポートモレスビーに戻るしかないから、次の便の手配をしてみるわ。少し待っててね!」
『ええ!それじゃあ、もしポートモレスビーからラバウルへの次の便が無かったりしたら、あしたしかラバウルにはつかないかもしれないの?』
「そうね、つけたらラッキーかも?」
「ガーン!! ( ̄□ ̄;)!! 」
これはえらい事に成った、実はこの2日後のマダン行きはチケットが取れず、ポートモレスビーへいったん戻るまで1日しかもう時間がないのだ。もし、今日入れなければお祈りをする時間さえ確保できないではないか!
(汗)った。
レイの事務所の方が、ニューギニア航空のポートモレスビー本部へ連絡してくれた。
すると状態は一気に動いた!
『あなた!なにしてんの!早く外へに走りなさい!』
「ええ? ええ?」
「なんだ? なんだ?」
あわてて、レイの飛行場の内側に、係員に先導されて飛び出すわたし!
すると、もうすでに滑走路を走っていたラバウル行きのさっきの飛行機がこちらに引き返してくるではないか!
(@_@;)
本部に伝えたら、すぐに飛行機を呼び戻してくれて、それならすぐにその人を乗せて飛ぶようにと管制塔からパイロットに指示が飛んだようだ。
こんなことないだろう、、、
とは思ったが、飛行機は本当にレイの滑走路のわたしの真ん前まで戻って来た。
そしてなんとか(;-_-;) をかきながら再搭乗したわたし。
搭乗し、いきなり滑走路から自分たちの乗った飛行機が戻ってくるのを体験した多くのパプアニューギニア人(PNGと愛情を持って呼ぶらしい)全員は、あっけにとられた顔でわたしを見ていた。口々に笑いながらみんなこちらに視線を送っていた。
居心地わるいったら、ありゃしない!
( ̄口 ̄;)
なかには「俺たちは時間を無駄にしたじゃないか!」と言ったものもいたが、なぜかその言葉は非難ではなく、愛情にあふれているように聞こえた。
実は、今だから言えるが、わたしはネットや本の知識で、PNGは怖い人たちだと思い込まされていた。その貧困故に怖い場所もあるのは事実のようだが、実際にこの地を自分の足で踏んでみると人々はシャイながらフレンドリーで遠くのインターネットショップまで歩く道すがら、たくさんの中高生とすれ違ったけれど、みんな恥ずかしそうにしながらも「ハロー!」「Good afternoon !」などと声をかけてくるし、こちらが言葉を返すとうれしそうにハニカミながら手を振って来てさらに挨拶を繰り返す。
ラバウルの大人達も見ず知らずの日本人にすぐ声をかけてくれて、レストランでは、自分の席に来ないか?とか、なにかしら話しかけずにはおれない様子だ。
お祈りの帰りに魚屋さんが路上に出ていた(今釣ったものを木に干しているだけなんだが)ので、晩ご飯に車を止めてもらったが、ここでも魚売りのおばちゃんやおじちゃんが子どもを連れて集まって来てくれて、あーでもない、こーでもないと即席の漫才会場と道お売り場は化していた。
こうやってお魚を並べている。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/eb/44/j/o0400055010599027072.jpg?caw=800)
ど迫力の親指おばさん。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/14/e6/j/o0400032610599027073.jpg?caw=800)
まさに、この地の楽しさや現地の方のこころの広さを知ったと言う感じだった。
そうして、無事に(?)ラバウルに着いたわたしは、さっそく明日のお祈りの準備に入った。行く場所の選定と時間配分、値段交渉、海から行くか?陸から行くべきか?など、ポートモレスビーの空港で、だれと交渉するのか名前を聞いておいた。すると到着間もなくその方から部屋のベルが鳴り、「ポールです。打ち合わせできますか?」と来た。
行く場所を決め、チャーターの価格と時間を決めた。
お祈りの前日は。禁酒、小食。これはもう、3日していた。
翌朝、なぜかポールが時間を早めないか?
といって来たが、もう決められているので時間は動かせないと断った。
こちらは日本より1時間早い。
なので、12時スタートとすれば、こちらでは13時に開始する事に成る。
前の日記では書かなかったが、受け取る側の意識の中でこの時間範囲内で起こる祈りのエネルギーはすべて受け取り、この大地に流して参りますと宣言を事前に行ない取りこぼしのないように調整を取っておいた。
次回の予定は21日の日本時間午前11時です。
この時間が無理そうな方は、この時間に合わせます。と宣言して同じ形の祈りを送ってください。こちらで受け止めるようにいたします。
ちょうど、このマダン当たりが曇っているイメージが出ていましたので、それを払拭して西にスライドしその後北へ登らせ、それがさらに天空に消えて行くくらいのイメージでお願いします。
(-人-)
そして、その地に向かうとすごい風景が飛びこんで来ました。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/95/08/j/o0400030010599027069.jpg?caw=800)
途中、原住民のマーケットを見かけたのでドライバーに訪ねてみると、この人たちは火山の近くに住んでいたんだけど噴火で家がなくなったり住める状態ではなくなったので、この辺りに移動して住んでいる人たちなんだ。という。
どんどん、あたりの風景がかわってきて、アメリカ映画などで見るゴーストタウンの様相を見せて来た。ここにさっきのマーケットの人たちは以前住んでいたんだ。
そして、活火山。
まるで死の世界を見ているようでした。
1994年に3つの火山が爆発し、このあたり一帯は溶岩で埋め尽くされた。住民は逃げ惑った。いくつもの廃墟と成った家がみられ、裸に成った大きな樹木があちこちに立ち尽くしている。
世界各地の活火山の場所もここと同じようにこんな不毛な地獄絵図のような様相を呈していたんだろうな。
![$見えない世界の本当の事。](https://stat.ameba.jp/user_images/20100619/19/rickyno/8f/1c/j/o0400030010599027075.jpg?caw=800)
いま、その火山の脈が、この地から西に動いてインドネシアに向かおうとしています。そしてそれは北に方向を変えながらフィリピン、台湾を経て、沖縄諸島、九州、本州全体、さらに北へと向かおうとしている。
この情報が入ったのは、今年の春頃。
まだ、ほんの数ヶ月前の事だった。
それと時を同じくして、日本人の方にインドネシアの大きな存在の波が降ろされました。「大きな揺れが起きる、しかし、これは避けられない地球の自然浄化だ」と。
これは火山の波の流れを汲み、とどまっていた地震のエネルギーを刺激し、津波、地震の大きなものが向かって動いていますよという暗示だった。
日本に向かっている大地震や富士山の大噴火被害と言うよりも、今回は太平洋沿岸のすべての諸国に関わるものであると直感した。
しかし、どこかに急に行くのにはお金がない。時間は確保できるように気を配り始めていたので大丈夫だった。そんなとき、あのすごい石が見つかり、それによって活動できる資金が生まれ、ここに来れる事に愛成った。なにしろパプアは来る人がそんなに多くないので他の国よりだいぶ高いのだ。
魔法の石を市価の1/3で分けられて喜んでいただいて、そして祈りに入れた。
3方得(徳)だ。
みなさんありがとうございます。
そのスギライトも祈りの前、すごい色に変わっていた!
なんとすごい石なんだろう?!
『やれんのか?』『やれんのか?』『ホントにやれんのか?』で、いつもぎりぎりの選択に成る。
今回、ここに来るには様々な葛藤があった。
なぜ、俺でないと行けないの?
なぜ、こんな辛い思いをしないといけないの?
他の人でもいいじゃん!
次の人でもいいじゃんか!
体調崩しても行かなきゃいけないの?
禁酒、小食をどうして強制してくるの?
・・・・・
ボルケーノ(火山)は目の前にあった。
いよいよ行かなければ成らない!
もう、ここに至ってこころは固まっている!
熱帯の熱さと火山灰が下からの熱気で上げられて砂嵐のように荒れている。
まわりには、はげにされた樹木が立ち尽くしていた。。
つづく
早くしてほしいな、な方は、
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