まずは戦場。

南ベトナム(長年に亘りベトナム共和国)と北ベトナム(ベトナム民主共和国)を分けていた場所。

第一次インドシナ戦争の停戦ラインであり、1954年7月21日のジュネーブ協定により発効した。ほぼ北緯17度線に沿っていたことから、朝鮮半島の「38度線」と比して「17度線」と呼ばれる。

第二次インドシナ戦争(或いはベトナム戦争)の期間中、軍事境界線一帯は、北ベトナム軍と南ベトナム軍・アメリカ軍の双方にとって、重要な戦場となっていた。




この地に30キロにも及ぶ地下通路が造られていた。

1年半で、手掘りでこれだけの蟻の巣のような洞窟を作り上げ、北からの物資を運び、また爆撃よけでここに住んだと言われる。。


中を歩く。
$見えない世界の本当の事。


暗くて長い、あたまがあたるくらいの低さの人工洞窟に、家族の休める場所や赤ちゃんを産む場所などがあった。17人の赤ちゃんがこの洞窟の中で生まれたんだそうだ。


歩いているとすぐに腰が痛くなる。
なにせずっと何キロも中腰で歩かないと行けない。

こんなところで、よく重いミサイルや武器を持って歩けたものだと感心する。
こんなんでは、アメリカ軍がいくら軍隊を投入しようとも勝てない訳だ。



わたしたちはできるだけろうそくを使わなかった。
なぜならアメリカの飛行機から見つけられるかもしれないから、、

だからろうそくを持って歩く代わりにわたしたちは、こころを持って歩いた。


といった言葉が印象に残った。。




この地の海沿いの入り口で手を合わせる。


世界中の聖地で集めて来た水を捧げ、、


もって来たチベタンベルが、響き渡る。。。



しばしの沈黙。


入り口
$見えない世界の本当の事。



目を閉じると数百、数千の頭の形をしたものがみえる。。

いったいどれだけの方がここの戦闘で命をおとしたんだろう。

しばらくうごけなくなる。。。







近くには、こんなゆったりとした時間も流れているというのに、、、
$見えない世界の本当の事。







次は北ベトナムと南ベトナムを分けていた橋に向かう。。

こちらでも大きな戦いがあったそうだ。
碑にむかい手を合わせる。
たくさんのエネルギー体が見える。。


そこで、橋の真ん中、国境があったあたりまで入って行く。
通常は橋の中まで足を踏み入れる事は出来ない。

だそうなのだが、なぜかこの日監視員がいなくて、真ん中まで行けてしまう。
当時は青と赤で橋がふたつに塗られていて、どこまでがこちらの国なのかがわかるようにしてあった。

いつも、こういうことが起こる。

見えない世界の本当の事。


見えない世界の本当の事。

その真ん中に立てた。

片足は赤側、もう片足は青側に立ち、まずは東に向かって手を合わせる。
そして、祈りの後、今度は西側に向かって手を合わせる。



先ほどまで感じていた数千、数万の頭がみえなくなった。。



気がする。。




身体もかるくなった。。。


さっきから背中から首から、何かが入り込んで来ていて、重いのを感じていた。。。


痛みがあったはずの場所もすべて、きれいさっぱりな状態が不思議だった。。



つづく、、、



ベトナムのお話し、続きもね。と言う方は、ペタしてね



ベトナムの歴史! 何度でもクリックしてね!


こちらの3つ↓を押してくださいね☆ 
そして見えない世界の、、、を押して帰って来てね☆ヾ(≧∇≦*)ゝ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

よろしくお願いします☆ありがとうございました。


いつもありがとうございます。感謝しております。m(_ _)m