ここでは、座るちゃんとした瞑想の事を指しています。

ちょうど、ブログを書いているときに信頼する友人からメールが入りました。
その方の認知する『瞑想』です。

瞑想ではたくさんの方が救われています。本当の人生を取り戻したり、瞑想を行なって本当のことを知ってしまった方々がさらにたくさんの方を『惑いの道』から救われ、本来の道へを向かわさせています。

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では、一部ですが、


これ 瞑想においては、

いかなる努力も 無駄にはならず、いかなる障害も 存在しない。

この瞑想においては、確固とした理知が一点に集中している。

しかし、優柔不断な者たちの知識は、多岐に分かれて限りなく多様である。


享楽や 権力に深く執着している者、

華やかな言葉に想いが囚われている者の心には、

理知の確固とした状態が生じることはない。



元性を脱し、常に純粋性にとどまり、所有にとらわれず、真我を保つのだ。

自分の中にも 外にも、あらゆるところに

智慧という水があふれていれば、小さな井戸である知識は無用となる。



それと同様に、悟りを得た瞑想者にとって、知識は すべて無用となる。

行動のみを制御すべきであって、決してその結果を制御すべきではない。

行動のために生きるべきではなく、また、無活動にとらわれるべきでもない。


執着を捨て、成功や失敗の中にも平静を保ち、

純粋なる心、正しき理知にのみ従い、瞑想に立脚して行動せよ。



なぜなら、心の平静こそが 瞑想であるのだから。

純粋なる心、正しき理知を よりどころとせよ。



哀れむべきは(行動の)成果のために生きる者である。

理知が(真我と)結合した者は、

この世においてさえ、善と 悪とを ともに捨て去る。


理知が 真我にしっかりと結合した者たちは、行動から生じる成果を放棄し、

誕生の束縛から開放され、苦しみのない状態に到達する。

理知が 迷いの泥沼を渡り終えるとき、あなたは、すでに聞いたことにも、

これから聞くであろうことにも、無関心となるであろう。


(中略)


確立した状態にない人には、理知もなく、安定した想念もない。

安定した想念のない人には平安がない。

平安のない人にどうして幸福があるだろうか・・・


(メール)
まさに、その通りだと思います。

本来、スピリチュアリティというのは、目に見えない存在を理解することによって自分が縛り付けていた自分自身からの開放を目的にしたものであると感じております。

物質・金銭・名誉・地位など、現世利益に偏ることによって、「~しなければならない」「~なりたい」「~するべきだ」という”自分で創り出した枠”を取り除いてゆくことが、スピリチュアリティであると考えます。

それは、自分自身で創り出した枠を取り除いてゆく方法であって、 自分自身の心からの開放であるともいえます。

自然の摂理のリズムの流れを感じることによって、自分もその一部だと認識することから始まり、自分に足りないなにかを欲するのではなく、自分以外の何者になるわけでもなく、”ありのまま”である自分に還って見直すことで、もう既に満たされていることや、一人で生きているのではなく、多くのものの支えによって生かされていることに気付くことが大切なことではないかと思います。

そして、ダンマパダでも、バガヴァット・ギーターでも、ウパニシャッドでも、

その様に偏っている心を理解し、読み解く術が書かれています。


それらの教典の中には、

 ” 自分を見つめる ” という本来の瞑想法の重要性が説かれています。


そして、Ricky☆さんのやっていらっしゃることは、人の ” 気付きへの誘いと導き ”いう、とても大切な天命であると感じております。

益々のご活躍を、とても楽しみにしております。





メールありがとうございます。 (^人^)

瞑想を行ない、常にニュートラルな考えを持って行動している人でないと、なかなか自分に必要な、その言葉やシンクロに気がつかないようです。

必要ななにかが自分に近づいている時、それに気付くか気がつかないかはその人の状態にもよっても左右されます。例えば、すぐ横にあなたの大事な方がいても、あなたの心の中が、悲しみで下を向いていたり、怒りで遠くを見ていたりすれば、あなたはその大切な誰かに気がつかないわけです。


瞑想では、自分のネガティブな感情を自分でコントロールする事も出来ます。
すなわち、サッとその怒りや辛さも消せる事も出来るようになるのです。
「消せる」とすると少し語弊がありますが、本来の人間があるべきこの宇宙全体の状態に、持って行く事が可能になります。

いつでも、静寂を手に入れる事ができるということですね。


常に、自分のこころを平穏に、ニュートラルな状態に、置いておけば自然と隣にいるあなたの大事な方との出会いを実現できるのです。

また、瞑想はその自分に必要なシンクロニシティーを実現することを早めます。
確実にして行く事が出来るのです。






瞑想をまるで悪いもののように偏見を持つべきではありません。

瞑想は宗教活動でもなく、誰かの『教え』を守るような事でもありません。

人類が目覚めることを教えてくださる、『自分のこころの探求』と成ります。


本来の自分は、ただ座るという瞑想で知っていくことができるのです。

そして、本来のこの世界はどういうものかが理解できるのです。



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