タイで生まれた女性はお寺に入り、お坊さんになる事は出来ない。
(流派やお寺にもよるんだろうけど)
女人禁制の神聖なる場所に女性は出入りできないのだ。

じゃあタイ人女性が小乗仏教のお坊さんになりたいときはどうするの?
その時は台湾に行って、頭を丸めるのだそうだ。
チベット仏教の祭りでたくさんの尼僧軍団を見つける事が出来るがタイ人グループはだいたい男だらけだった。

かなりの苦労をして台湾に渡り、言葉の通じない国で自分の世界を全うする。
なんて辛いんだろう。。









親の借金を抱えて、両親のけんかを毎日この目で見て生きて来た。
暴力なんて、毎日受けて来たし、見て来た!
なんて辛いんだろう。

今日も借金取りがくる。期日が迫って首がそれこそ絞められているような気持ちで毎日暮らしている。

自分の借金でもないのに、なんでわたしがこんな目に遭わないと行けないんだ!憤りとおやじへの怒りがふつふつでわき上がってくる!
なんてつらいんだろう。








なんでわたしがこんな辛い病気になるんだろう。

毎日痛い思いをし、死への恐怖を感じ、いたためれない心の状況。
なんて辛いんだろう。

生まれつきの病気で、障害とも言われるし、手足も満足に動かない。
なんて辛い人生なんだろう、、、










その人はそんな大きな覚悟があったから台湾に渡れた。
そんな遠回りな人生でなければ気がつかなかった事がいっぱいあったのだ。

もし、それらの「学び」が必要なければその女性は最初から台湾か日本に生まれて来ていただろう。。


なぜ女性だとダメなのか?

なぜわたしは女性で生まれきたんだろう?

なぜ、タイ国は女性を蔑視するんだろう?

たくさんの事を考えて、悩んで、吐き出して、苦しんだんだろう。


彼女のこころの葛藤は、多くの学びとなった。。
様々な事に気がつくきっかけはタイでの生誕がなければできなかった。






借金は親のものだ。自分が作ったものではない。
そうか?

その通りだ。お金に関してはね。
辛いのはじゃあどうだ。あなたのものだ。
あなたは、その辛さを辛いとしか感じていないのか?
そのお金に窮するということから、いったい何を学んでいるのだ?

そう、自分がお金の悩みを抱える必要があったからそれを抱えたのだ。

お金にまつわる事で執着し、それだけが価値観のような人生はとんでもないですよ。
ということを学ぶこともできた。

辛いのではない、お金ばかりに目がいっている時、自分は自分を忘れてしまうという現実をいま味わっているのだ。 そのことがあなたに必要だからそれは訪れている。

お金にこだわっている限り、お金の問題からは解放されない。
大きな気持ちでしっかりと働いてみる。
それも愛というものを基盤に働いてみる。

すると奇跡もおこるし、繁盛というものを手に入れる。
お金の問題は消えてなくなる。

ただただ、お金、お金で追いかけているときには、なかなかチャンスは来ない。

追いつめられて発揮する力もある。 でも、それは愛がないと達成はままならない。

愛は人を集め、お金が必要な人にはお金をもたらす。
金、金、金と生きている人の厳しさと醜さを知る必要があったのでその場所(ポジション)を選んで生まれて来たのだ。




お金で苦労している人の多くは、お金を持つのはダメな事なんだという観念が存在している。
思考パターンを持っている。
それがなければすぐにお金は必要なときに必要なだけもたらせるのに、、、

なんてもったいない! (゜o゜;










生まれついての病を持つ。
しかし、その人達自身は以外と平気な人が多い。

それに耐えられるこころをもった魂にそれは起こるからだ。
まわりがなにやかんやと言った所でなにも変わりはしない。

そのものは人と違うことに悩みはするが、これによって何を自分は感じる事が出来るのか?またはこの身体でできることはなんなんだろう?とそのうち考え始める。だってそこから逃れる術はない。必要な事が起こっているだけだからだ。

そこで知るのだ、自分の持って生まれた障害によって、わたしは他の方よりも、より多くのものを見せていただいて、得ている事に。
人の見えない部分が見える。人にわからないことが理解できる。

回りのものからは、「かわいそう。」だとか「つらいわよね。」とかの視線を送られるが、あるときに本人は気付く。

わたしにはこれが必要なんだと。
そして、前向きに生きる事、ポジティブに生きていく事を学び、自分から何かを発信していく。

そして、たいがい障害のある子どもにはすばらしい親御さんがついている。
ちゃんと自分をしっかり育ててくれる程の、こころに深い愛を持った親を選んでくる。そうしなければちゃんと生きていけないから、見守ってくれるすばらしい親を選んで降りて来ているのだ。

そして、そんな子どもには健常の大人では計り知れない特別な能力を持っている事が多い。

実は特許などを多く持つ企業は障害者の方を採用している事がすごく多い。
障害のある方は攻撃する力は弱いが、守る力は健常者の数倍も働くのだ。
それはそうだ、子どものときから自分を守る事ばかりたくさん考えて来た。

だから、特許侵害のディフェンスの方法論を考え、書面を作成するのには健常者よりもはるかに適任で優秀なのだ。






これが学びの世界なんだ。

だれかの若くしての(赤ちゃんや水子)死もおなじです。
かれらはそれを役割として来ているのです。
こちらの世界はあちらの世界よりも厳しい世界なので、はやくあちらに戻れる彼らはとてもうれしいと感じているのです。

その早くにして逝ってしまう彼らは残された方の「学び」の為(親兄弟)に降りて来ていることがほとんどです。

決して早く死んだからと恨んだり、こちらの世界に残ったりはしません。
死んだ子のたたりだなんてとんでもない話です。

そんなものは残った人が作り出した思念でしかありません。

それが役割で彼らは降りて来たのですから。。。



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