ゆるせないひと。


むかし、人を許せないという人とあった。


『なぜ?』


ときくと。


『無理ですから!』


という。



『なぜ?』  と聞いても、


『だから無理なんです!』


何度聞いてもそれ以上は進まないらしい。






なぜ、自分が『嫌!』と思った相手を許せないんだろう?

ならば、そんな人たちも許せる人はなぜいるんだろう?


どこが違うのかな?





まず、『嫌!』と思ったのはなぜだろう?



ひとつの出来事や人の事を『嫌!』と感じる。
でも、そこに10人もいたら、そのうちの何人かはその出来事を『嫌!』と思わない人が現れてくる。


たとえそれが死であったり、病気であったり、金銭的な問題であってもだ。



「え?死は新たなる旅立ちでしょ?ある意味いい事でもあるじゃないですか?向こうの世界では喜んで迎え入れられていますね。」


「え?病気になれたんでしょ?そう癌に?ならば、いま気付かなければならない事があるというメッセージが来ているんでしょ?いい事じゃないですか?」


「え?お金の問題?じゃあお金への執着を取りなさいってことかもね?いいじゃないですか?命まで取られないからやれる事をやって、お金に縛られない生き方をしようよという合図なんじゃない?」






どんな不幸な出来事も、そのものに良い悪いはついていないという事。

そのレッテルはあなたの心が付けている事。


すなわち『嫌!』と思ったのはあなたの心が作り出した世界。
その起こった出来事やその人には善悪もなく、嫌な事でも、いい事でもない!


それをいい事に決めてしまうか、悪いという事にしてしまうか?はあなたのこころが決めているあなただけの勝手なご事情ということがここに隠されている。




そして「人を許せない!」「あの人を認めない!」
という世界は、実は人をジャッジしているだけで、そのジャッジメントは本来人間には出来ない世界。

ジャッジはこの世の法則または神の行うお仕事。

(人間は人のジャッジはできない。またはジャッジするポジションにいない。なぜならば、そのあなたの世界はあなたが作っているだけのあなたの心の世界だから。人の事は本来どうでもいい事なのだ。それをみてどう感じられるかを教えてもらっているだけなので、相手はジャッジできない。)




それは、自分の未熟さを知るための試練。

それは、自分が作り出しただけの世界。



この世界はパラレルワールド。

一瞬の判断で、自分の未来は瞬時に切り替わる。



『嫌!』『許せない!』

が出ている時、あなたはさらに一段低い世界へのパラレルワールドの扉を開くことになる。



この世界はすべて虚飾の世界。

あなたの感情と判断と決定で、その未来は大きく違う方向に舵を切る。




『嫌!』『許せない!』


は実はその出来事や人に向けているのではなく、自分自身がどの程度の自分であるのかを教えてくれている自分自身の心模様の世界。


人を許せぬと言う事は、その人を認めたくないという事でもある。

すなわち、自分と比べ、まわりと比較し、自分に足らない部分を相手やその出来事に見てしまっているということ。


物理的に実際の出来事として、それの是非を問うているのではなく、感情のやり取りのなかに、そのネガティブといえるその感情がありますよ。ということ。




自分の至らない部分を相手に投影させ「嫌!」という感情を引き起こしている。

人は自分が楽にならない時「許せない!」という感情を誘発する。

自分に似たなにかを持ったものや自分の弱い部分に触れる出来事が起こった時、自分の至らない部分を相手に見る。


そして、その人を「嫌!」と思い「許せない!」が発生する。



その感情は、誰のものでもなく、自分のものそのものなのだ。

自分を認められない、もしくは認められないと思い込んでいる自分がいる時、人を認める事は出来ない。 人を認めない人は、自分の問題から逃げているから人を認められない。


また、こういう人はよく人のことを言う。
ジャッジして「あなたもこうだ。」とかいう。

言い過ぎていろんな人が去っていくが、それも相手のせいにして、またジャッジしていく。「自分から去ったの。」などと言い自分を守っていく。。。




それは夫婦であっても、友人であって、親子であっても発生する。


『嫌!』は相手に送っているように見えて、その実、『自分の中にそれがある』を自分に情報として発信している出来事なんだ。 

いいことをしているように見えても、その人は自分の問題からは遠ざかる事ばかりしていて、逃げ続けている。
こういう方はいろんな活動をされていても「毒を振りまいている」といわれても仕方ない部分がある。


実際に、これらの方の主催するイベントでは、良き講師はどんどん消えていき、こころの病を持ったものが多く集まってくる。


類は類を呼ぶのだ。


それが悪いという事ではない。

同じ学びが必要な同士が夫婦となり、友となるのだから至極、当然の話でもあるのだ。

夫婦間のどんな問題であれ、友人知人との問題であれ、相手を尊重し、認めていなければ、いつまでたってもその問題は消えていかない。


身体に不調が表れる。重くなる、憑衣もされる。
ビジネスに失敗する。いい友が少なくなる。厳しい状況が続いて起こる。。



すべて自分のこころのうつし鏡。



慢性的に不調が訪れたり、いろんな場所が悪くなる人たちは、よおく考えてほしい。

そんな人たちは常に、人のせいにする。
し続けて、言い訳がうまくなった。

し続けて、自分を変えるチャンスだとみることをせず、嫌な状況から逃げる術の方を上達させてしまっている。



残念。


さらに下方のパラレルワールドに入り込んでいく。






自分のこころを鎖でしばってはならない。

傷つくのが怖いからと、その自分の恐怖を目の前にいる人や出来事に転化して『嫌!』と逃げてしまえば身動きが取れない状況にいつか陥るのは当たり前ではないか。


反応しない自分を鎖でしばる行為は自分をどんどんがんじがらめにしていく。




それは二度と傷つきたくないと自分を守った行為の事が多い。

幼少期、またはそれ以降でも、傷ついた自分がいて、そんな自分をもう一度見たくないから逃げているケースがほとんどだ。



でも、よく考えてみてください。
傷ついた自分の傷はいつかは自分で癒していかなくてならないのです。

必要があってトラウマは訪れ、必要があって困難な状況はあなたの経験としてもたらされているのです。

それらがなければ人は成長できないからです。




逃げれば数年後、数ヶ月後に何倍かに大きくなってあなたにのしかかってきます。

必ず!

もう、何度もそれを経験して知っているではないですか!



逃げて先送りせずに、今!対処するのです。

受け入れて解放するのです。




『そんなの解っているけど出来ないんです!』


そういうかたもいるでしょう。



わたしはいいます。

「なら、瞑想しましょうか。」


本質の自分を知る一番の近道。瞑想。




瞑想は自分の本質を自分の意思で明らかにし、大いなる存在は実は自分自身でもある事を知る事。

瞑想は、この世界のすべてのことを知っていく近道。





あなたがなにかに迷うなら、なにかにぶつかるたびに『嫌!』といって自分の問題を他人の事にすり替えているようなら、瞑想を持って真実を知ってしまおう。


あなたの『嫌!』と『許せない!』はあなた自身のこころの状態でしかない。





「あのひとがいるからあそこには行きたくない!」

 とか

「あのひとと会うと楽しくなくなるから参加しない!」


こんな人は自分のこころの総点検だ!



あなたが縛っているのは、他の人から受けている被害ではない。
あなた自身の中にあるあなたの外しきれていない思考パターンがそれを作り出しているだけなのよ。


変わるべきは相手ではなく、ましてやその出来事のせいにするなど、とんでもない勘違いだ!

変わるべきはあなたのこころの模様そのものなのに。。。




自分のこころを縛る鎖。

そろそろ一本外してみませんか?










あなたが変われば相手は瞬時に変わります。

本当です。



自分の自由を奪い、息苦しい状況をつくった張本人。
それは誰ですか?


アナタ?







それでも、あなたは自分を変えようとはしないですか?
今回も?

これからもずっと、重いこころと辛い身体を引きづりながら、自分の人生に関わるとても重要なメッセージが来ている事を薄々知りながら、その重要な事から逃げ回るんですね?


相手と自分とはまったく同じ存在です。
それは瞑想によって、簡単に明らかになります。

出来事の当事者は、その感情が動かされた時点でおなじ学びの友『学友(まなとも)』なんですよ。





その嫌な方こそ、あなたなのです。


相手と自分の感情を受け入れ、許し、すこし上のワールドを手にしませんか?

そうやってこの世界は成り立っています。
それがパラレルワールドなのです。


選択するは我にあり。





わかっていてやらないのは、文字通りで『自堕落』というんですね。

┐ (^^;)┌



自分で落ちていくから『自堕落』か。






1日何度でもいいそうです。
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感想)
これは大切なメッセージ。
もっとしっかり受け取らないといけないけど、まだまだうまく受け取れない。
また後で読み直してみます。



お陰ですんなりと腑に落ちました。
全ては自分・・・そうなんですよね、頑張ります。



うわっ、もしかして私のことが見えたのとドキッとしました。
心に痛く響く言葉でした。
痛さに目を逸らさないように、人のせいにしないで、一つずつきちんとしていきます。

ありがとう。。。







先週の日記から、、、、帰国したら瞑想をあちこちでやりましょうね☆




1日何度でもいいそうです。
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