こんにちは^_^
今日はかなりセンシティブな内容について
機会があり子育て支援に関する研修を受講させていただいたのですが
その中で【子供の虐待】についての項目が出てきて
講師の先生がスライドに映し出したざっくりとした内容をみてビックリ‼️
【これらは虐待になるのでしてはいけません】
【みつけたら通報しましょう】
という項目にあるもの
これっ学校の先生も含めて自分の親世代みんなアウトでしょ!って(苦笑)
もちろん手を出すことは決して良いことではないし
言われて不快なこと、相手の心を突き刺す言葉はよろしくないのは事実だけど
【みつけたら通報しましょう】
という項目にあるもの
これっ学校の先生も含めて自分の親世代みんなアウトでしょ!って(苦笑)
もちろん手を出すことは決して良いことではないし
言われて不快なこと、相手の心を突き刺す言葉はよろしくないのは事実だけど
今の時代なんでもかんでも必要以上に【虐待】というカテゴライズをし過ぎ!
昔の地域で子育てができる時代ならまだしも核家族化してる現代で
虐待にならないように、120%忠実に全ての項目を守っていたら、おそらく半分以上の親は発狂する気がする
…よっぽど聖人君主のような親か天使のようなニコニコ笑っているだけの子供なら可能かもしれないけど
というか、感情的になることが全くなかったら
人間じゃないよね…
プログラミングされたロボットかAI🤖だよ
いや、最近はロボットでも感情を持つようなものも開発されつつあるわ
本題から逸れたけど
【虐待】という言葉が独り歩きして、社会も過敏になり過ぎて
躾や叱るということを知らない人
加減というものを知らない人が増えつつある気がしてならない
もちろん、暴力的な行為は人を傷つける以外の何者でもないし
手をあげないに越したことはないけれども
私が子供だった昭和の時代は(今は平成で時代が違うんだよという茶々入れはなしでお願いします)
悪いこと(公共物に落書き、学校のものを持ち帰る、友達のものを隠すなど)
危ないこと(道路に飛び出す、土管の中に入って遊ぶ、工事現場で遊ぶ、裏山に子供だけで行こうとする、日が暮れても帰らないなど)
人に多大な迷惑をかける(道路の真ん中で遊ぶ、スーパーで走り回る、電車で大声で話すなど)ことをしたときは
一般的に道徳的によろしくないこと(食べ物を粗末にする、野球ごっこでガラスを割ったのに逃げたなど)
普通に、当たり前に、日常的に
お尻叩かれて、暫くベランダに出され鍵かけられ
おやつまたは一食抜きにされたり
なんてのは日常茶飯事だった
普通に両親も目の前で喧嘩しておばあちゃんに電話して泣きながら報告していたりしたし
学校ではだいぶ理不尽だと思うことも多々あったけど
小学校では忘れ物や宿題忘れて教室の後ろに正座させられたり、廊下に立たされたり
給食に苦手なものが出て食べられなかったら昼休み抜きにされたり
中学校では5人組制度とか言って連帯責任でビンタされたりとだいぶ理不尽だったから普通に不登校したし保健室通いもした
中学校は校内にバイクの乗り入れや雑巾に放火とか全体的にみんなが荒れてたなぁ
そんな中でも3年生の時の担任が良き理解者で、今でも年賀状を送る大切な恩師になってるし
高校では竹刀を持った教師がウロウロしていたり(男子にはフルケツバット、女子はペチン程度だったけど)
『お前馬鹿か』なんて言葉はしょっちゅう校内で聞こえていた
確かにやり過ぎでしょ!っていうものもあったけど
あの時本気で叱ってくれて良かったと思うものもだいぶある
それなりに子供と大人で血が通った人間的な魂のやり取りをしていたと思う
程度はあれど、喜怒哀楽全ての感情が大切なのと同じで
叱る叱られることという経験もとても大切だ
いくら言葉で伝えても経験しなければわからないことも存在する
〇〇はダメ、〇〇は危ない、〇〇は悪いことという予防線を張り過ぎて
人間として大切な学ぶ機会、経験の機会を奪ってしまっては育つものも育たない
水ばかり与え過ぎても根腐れする
日光ばかり与え過ぎても干からびる
何事も加減、中庸が大切だ
まだまだ私自身も手探り状態で子育て親育ち中だし
育児に正解はないけれど、より良くするために
生きていくうえで必要最低限のことと自分の芯(真)部分は確実に伝えたい
伝えたうえでその子がどう捉え、反面教師にするわ生かすかは自由だ
let's enjoy 子育て親育ち^_^