論語「為政第二」の第4

 

子曰、吾十有五志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不 

 

40にして惑わず。。

 

この言葉の示すところは、

惑わず、という心境に至る前に、

散々迷った結果である、という含みがある。

と同時に、この年齢だからこそ不惑なのだと思う。

この後も惑わなかったかというと、そうではない。

自分の身に置き換えて考えてみると、

この頃は、自分の環境、精神、体力や能力の充実期であったと思う。

この頃は、体力年齢を測定しても20代で、

運動能力も記憶力も衰えが無かった。

しかも人生で最も良い仕事が出来ていた時期で、

トラブルに巻き込まれても、最善の方向に持っていく力があった。

 

だからこそ、この頃は充実していたのだ、

という言葉になっていると理解する。

何故なら続いて

50にして天命を知る

という言葉に連なるからだ。

これは40以後ずっと、不惑という状態が続いたのではないことを表現している。

 

これは、50歳の頃までに孔子が「天命」というものに、

深く悩んでいたことを示すものである。

自分はどういう役割のために生きているのか。

おそらく、

吾十有五志于学

という言葉から思うに、

孔子は10代で、学問を究め学問で身を立てる、と決心してから、

そのことを忘れず一途に生きてきたと思うのだが、

その道は茨の道だった事だろう。

政治や軍事、また兵力や経済力が求められていた時代に、

自分の生き方が正しいのか、何度も何度も迷ったはずである。

 

そして、私自身も思ったことだが、

50になったとき、孔子の頭をよぎったのは、

自分はもうすぐ死ぬ、ということではなかったか。

そこに至って、この頃、自分の人生はこれでよいのだと感じた心境であったと思う。

 

六十而耳順

 

私はこの年齢には少しだけ時間が残されているので、

その真意までは逆読みできないが、

少なくとも今現在、感じ取れることとして。

私は今、全然耳順などという心境には程遠い。

世の中の醜いもの、不条理なこと、

若者のすることで納得いかないこと、

人の考えを黙って聞くことが出来るような心境ではない。

 

孔子もそこが言いたかったのではないのか、と思う。

耳順という心境になるのに、

60までかかりましたよ。という意味ではないか。

 

ここからは完全な想像だが、

やはり自分自身に置き換えてみると、

今、日々自分自身の衰えを感じている時期である。

昨日出来たことが今日は出来ない、という程な劇的な変化を感じている。

解りやすく体重だけをみても、

昨日より今日の方が減っているのである。

もう1年以上続いている。

これは懸命に食べても、懸命に筋トレをやっても変わらず体重が落ちる。

 

逆にもし体が元気で、体力の維持が容易な状態であったなら、

いくら孔子といえど、耳順という境地にはたどり着けないのではないだろうか、

というのが現状での理解である。

自分自身の体力、精神力で、

他人の心を動かしたり、影響力を行使したりすることを諦めてこそ、

たどりつける境地のような気がしてならないのだ。

「耳順」今だ計り知れぬ境地である。

まして・・・

 

七十而従心所欲不踰

 

心の思うままの言動であっても人の道を外さない。

そんな境地は想像だに出来ない。

自分に思いをはせると、自分は未だに間違いだらけである。

生きているうちに、このような心境になれるなど、

考えられないほどである。

今の自分には、どのような心の状態なのかもわからない境地なのだ。