おじちゃんの漫録、まぁ、日々感じた下らない呟きね。
十月に書いた物を一挙公開!



1、「秋空は 遥か彼方の 青の青、秋空は 機嫌斜めの 狐雨、秋空は 旅愁かき立て 羊雲。」10/3

青の青はどこまでも澄み渡り高い秋の空を想像し、狐雨(きつねあめ)は晴れているのに降る雨。


2、「人は皆 心変わりの 秋の空、北の山 初冠雪で 薄化粧、ぬる燗と せめて己は 変わらずに。」10/3

3、「秋超えて 樹々も戸惑う 勇み足、初雪に 味覚の秋と 言い聞かす、脂肪増え みるみる減るは 灯油のみ。」10/3

4、「もの言えば 唇寒し 秋の風、空見上げ いやが上でも 抜ける青、愚痴や憂さ みんなまとめて 夢ん中。」10/6

松尾芭蕉の俳句を拝借(笑)


5、「世の中の 不平不満は 数有れど、毎日の 飯が喰えれば 幸せよ、落ち葉踏み 暮秋(ぼしゅう)間近の 十三夜。」10/7

暮秋は晩秋の事。


6、「俺は俺 片意地張っても 仕方なし、もの云えば 角が立ったり 丸も有る、十三夜 丸では無いが 秋思(しゅうし)有り。」10/9

十三夜は満月ではないと云う事、秋思は読んで字の如く秋に物思いに耽る事。


7、「めくるめく 心変わりの 秋の空、酸漿(ほおずき)と 芒(すすき)掻き分け 少年期、紅葉(もみじ)映え 一雨毎に 寒くなる。」10/10

8、「故郷は 遠くに有りて 思うもの、錦秋の 山は山吹 茜色、望郷は 田舎の景色 匂いかな。」10/12

9、「日溜まりに 手足伸ばせば 俄雨(にわかあめ)、落葉が 風に舞い散る 儚さよ、雑用と 寸暇(すんか)惜しんで 蜆汁(しじみじる)。」10/12

10、「振り返る 東の空に お月様、童心で 恵豊かな 秋を喰う、雪虫と 小春日和に 冬支度。」10/19



お粗末様

今日は!

今年の五月以来のブログだよ!(笑)


さて、おじちゃんの漫録とは、日々思う事や感じた事を七五調で綴っているだけ。俳句、川柳や短歌みたいな形式にとらわれず、おじちゃん流の表現方法の一つ。しかし、書いている事は児戯(じぎ/子供だまし)のレヴェルだけどね。。。(笑)

そんじゃ、九月に書いた漫録。

「雨の町、線路脇には、錆びた柵、可憐な秋桜、頬を伝うは秋の風。」9/17

「あっという間に、陽が落ちて、偲い出すのは、母の顔、上着一枚、秋彼岸。」9/18

「振り返る 夏の名残の 丸団扇、見上げれば 秋のみぎりに 鰯雲、目を閉じて 思い懐(ゆか)しき 彼岸花。」9/20

「ぬる燗に 秋刀魚の苦さ 乙な物、里芋の 粘りと甘さ 大人味、針落とし 渋いサンバで 夜が更ける。」(針はレコードの針ね)9/20

「彼岸入り 一雨毎に 寒くなり、街路樹の 一葉落ちて 秋告げる、日が暮れて 酒は憂いの 玉箒(たまははき)。」(箒はほうきの事だよ。)9/20

「収穫の 手を煩わす 秋入梅(あきついり)、山の樹々 秋に急かされ 色染める、君恋し 独り呑む酒 甘苦い。」(秋入梅は秋の台風や長雨の事)9/22


むはは、おほほ。

これを読んで、ぷぷぷと失笑してくれたら本望ね!

さてさて、十月はどんな漫録になるだろうね!


霙混じりの花冷えの北海道。



北海道はようやく桜前線が上陸したが、生憎の肌寒い日が続く。皆さんは如何お過ごしかな?
明日は「端午の節句」、そしてもう少しで「母の日」を迎える。

今回の大震災と原発問題もそうだけど、戦争、天災、犯罪、病気や事故。。。母親が子供を失うのは、どんな理由であっても断腸の思いに違いないし、言葉も出ない程の辛さがある。その昔、アメリカのウエスト・バージニア州で、南北戦争後の和解や平和を訴えた女性が居た。その女性を記念したのが「母の日」の経緯で、100年を超える歴史がある。昨今、花や物で感謝を表すのも良いし、何処かに出掛けるのも素敵。また、電話や手紙で感謝するのも涙が出る程に嬉しいはずだろう!もう既に亡くなられている母親なら、仏前や墓前などに綺麗な花を手向(たむ)けるのもいいね。。。好きだったお菓子や食べ物でもいいな! そして、感謝の意は簡単な一言半句(いちごんはんく)では表現出来ないものだ。。。しかし、その一言がどれだけ親は嬉しいかを改めて知るべきだよね!

おじちゃんの母親は15年前に脳梗塞(享年六十歳)で他界し、数々の親不孝を悔いても悔い足りない。子供の頃、母親から「親より早く死ぬのは駄目だよ!」と、耳にタコが出来る程に云われ続けた。その時は「そんなの当たり前だよ~!何を変な事を云うの。。。」と、意に介さず聞き流していたのだろう。親不孝のてんこ盛りだったおじちゃんだけど、親より長生きが出来た事が最大の親孝行だよね!季節の食べ物を少し供え、風呂が大好物だったから、毎日大きな湯のみ茶碗にお湯を供え、同時に線香に火を点す。こんな事くらいしか出来ないし、最初のうちは「何で元気で生きている時に孝行しなかったのか!」と、自分の愚かさに苛(さいな)まれた。 ともあれ、子供を先に亡くすのは「逆縁」、年齢の順番なのが「順縁」。世の習い通り「順縁」の方が心の整理がし易いと思う。

そう云えば、遠い昔の記憶だが小学生の頃、母の日の前日に生徒全員にカーネーションが一輪づつ配られた。赤だったのかピンクだったのか定かではないが、一輪づつセロファンに包まれていた。しかし、クラスの中に白いカーネーションを貰う生徒が居た。

何故?どうして?

母親が健在していれば色付き、他界されている場合は白。何故そんな線引きをするのか甚(はなは)だ疑問。増して、わざわざ悲しみ辛さの上塗りをする様な鈍感さは理解に苦しむ。しかし、今思えば当時はそう云う風潮があったのかもしれないし、差別意識ではないと思いたい。何らかの計らいの表れだったのかも知れないね。。。それにしても、その同級生の実に寂しそうな表情に胸が詰まった事を覚えているし、自分は早く母親に渡したくて弾む様に帰った事も覚えている。

昔から「孝行のしたい時分に親は無し」、「樹静(きしず)かならんと欲(ほっ)すれども風止まず」は、どちらも同じ意味。「石に布団は着せられず」とも云うね。しかし、頭で解っていても行動に移せなきゃ意味が無い。いやいや、思うだけまだマシなのか。。。

さぁさぁ、難しい事や湿っぽい話を止めて気分を変えよう!
世の中も身も心も「一陽来復(いちようらいふく/冬から春へ)」が良いね!

さて、貴方の「母の日」の御予定は?
妙な性癖。


おおお、何てこった!これじゃ真冬に逆戻りじゃないか!そりゃそうだよ、まだまだ二月の半ば過ぎだしね。。。しかし、何処かで春が生まれ、脈々と力を溜めて雪解けを待つ。昼夜を通して降り続く雪も未明には止むと云う。

さて、「雪目」と云う現象をご存知だろうか?北国の人なら馴染みがあるけれど、南の方々には聞き慣れぬ言葉かも知れない。ずっと雪を見ていると、太陽の日差しを燦々と浴びた雪面の起伏が解らなくなる。そう、雲の上か夢の中の様なぼんやりとした世界が広がり、これが所謂(いわゆる)「雪目」と云う状態である。むふふ、世の中、物事の善し悪しが解らなくなって雪目状態になっている人が多い!あはは、かく言う、おじちゃんもその一人かも知れないな。。。これじゃいかんね!

今日の夕方、わさわさと降る雪の中、わしわしと雪を漕ぎ乍ら歩く。田舎の町ではスレ違う人も少なく、中高生の集団くらいなもの。しかし、人が居ないのではなく、田舎は車の依存率が高いため歩く人が少ないと云える。まぁ、そんな事はどうでも良い話しだけどね。

「雪暮れ/雪暗れ」を思わせる様に暮れるのが早く、足早に歩いていると、町中の騒音が一瞬だけ消えた。何故だろう。。。空は灰色、右も左も銀世界、深々と降る雪、自分の足音が消え、聞こえるのは風の音、それもやがて消えてしまう。冬山で遭難をして極限状態になると、人は笑い出したり、踊り出したり、服まで脱ぎ捨てる事が有ると云う。雪目ならぬ雪頭にでもなってしまうのか!

そんな僅かな距離を歩いていただけなのに、ふぅっと無音になる。だからと言って自殺願望が有る訳ではない!整理し切れない何かに支配され、現実逃避なのか、それとも原点回帰を目指していたのか定かではない。只単にぼう~として歩いていただけかもしれない(笑)

ところで、「雪を欺(あざむ)く」と云うのは、女性の白い肌の事を云い、汚名や恥なら「雪(すす)ぐ」と表現をする。雪に墨をぶちまければ白と黒の世界、世の中や物事に抗(あらが)うのも有りだし、棹を差して生きるのも有りだ!誰かを慮(おもんぱか)り、慈愛の気持を持ち続けたいと思うが、おじちゃんは雪の様に白く清い心の持ち主ではない。いや、そうでもない。いやいや、やはりそうだ。。。

「おじちゃ~ん、何をぐだぐだと御託を並べてるの!」と云う言葉が声高に聞こえて来そうだ!あはは、おほほ、大丈夫だぜ!素っ頓狂(すっとんきょう)な部分と深く深く考えてしまうのはおじちゃんの性癖なのだ。

雪の中で無音になったけれど、頭と胸の中に空白を作るのも生きる術!明日19日は気の置けない友人の誕生日、居酒屋に食事に来てくれるから春を思わせる華やかな料理を作って上げよう!料理で人を喜ばすのは至福の一時だし、料理人冥利に尽きる瞬間である!

さてさて、そんじゃいっぱいやっか!今夜の酒肴は大鮃(おひょう)と鮪と雲丹の半端を集めた刺身。里芋の含め煮もあるな。。。山葵をひりりと利かせ、嬉し涙とも悔し涙とも、ただ山葵が利いただけなのか判別の付かない涙を流す(笑)

窓の外に目をやれば、砂糖菓子の様なふわふわの光景が街灯に浮かぶ。むはは、雪見酒としけこむか。。。

思いを馳せる


春遠からじの感が身近に迫り、山は眠りから覚める。雪の下には蕗の薹がじっと耐え、雪消(ゆきげ)の水は命の源となる。と、思っていた矢先、またまた湿った雪がふり続く。しかし、春の訪れを期待をすれば雪は重いが心は軽い。

さて、この時季は三寒四温の日が繰り返され、寒暖の差に戸惑う事が多い。そして三寒四温は「頭痛持ちの美女」と揶揄され、麗(うら)らかな時と険しい時が入り乱れるから可笑しい。また、北国の人は長く厳しい冬を過ごすため、かえって人を柔和にすると云う。むふふ、そう思いたい事も多いが、果たしてどうだろうね。。。

開高健(かいこうたけし)さんの奥様「牧羊子」さんの言葉「冬への未練と春への誘いにためらっている」と云うのが有り、正に今時季を表現したのかも知れない。未練は名残、誘いは期待と解釈が出来るね!

寒いより暖かい方が良い!むふふ、何が良いかって、生命の息吹を感じるからさ!生き物も物事も冬から春へ「一陽来復(いちようらいふく)」を期待し待ち侘びる。心の中で何かがむずむずと蠢(うごめ)き、殻を破って飛び出したい衝動に駆られる。

何だか、とつとつとした呟きみたいなブログになったが、おじちゃん自身も何か変化を期待する一方で戸惑いもあるのだろう。清浄な瞑想をするのは無理が有るが、冬から春は心穏やかに過ごすのが良いのかも知れない。