お気まま日記~テキトーライフ~

お気まま日記~テキトーライフ~

第2章。
移転完了、現行verです。

ツイッターが読み込み制限かけるという終わりの始まりがスタートしたので、
やっぱブログが大正義だねニッコリってことでこっちに書く。
書き込みと読み込みは関係なくねって話だけど、
自分の書き込みを見る=読み込みにもなるので確認すらしにくくなるのだ。

もはや放置してることすら放置されてるくらい明後日の方向のブログだが、
書きたいことを何も考えずに文字数制限なにそれおいしいの?と、
ダラダラと書くにはやはりブログサービスが一番。

 

最近ツイッターで明らかに140文字超えてるツイートを見かけるんだけど、
あれは有料会員用のサービスなの?
それもうブログでよくね?って言いたい、スカイツリーの展望台から言いたい。
言っても窓で外に聞こえません、中でむなしく響くだけでうるさくてつまみだされます。

 

とは言ってもアメブロも確か5000文字制限あるんだっけ?
それはヤフーブログ?
もうそれすら覚えてないのがブログから離れてしまってる証拠なんですね。

 

今こうやってここまで書いてるじゃない?
こんなの書いても書かなくてもどうでもいいような内容なわけです。
そんなことをひたすら書いても全然OKだよ♪と天使の笑顔で許されてしまう。
やっぱブログって最高だ。

最近、いやもう1年前、いやいや更にもっと前から、
これは書きたい、残したい!と自分の中でくすぶる熱というのは度々あって。
それは昔から書いてる(た)イベント関連のことなんだけど、
数年ぶり(それは言い過ぎ感)に得る感情や内的な反応が多くて、
一時は動画という形で残して、それはそれで新しい試みとして、
いいんでないかしらと自己満足に浸っていたのですね。

 

ただ1時間の内容なら全容把握するなら当然1時間かかる。
多分それを文字起こしすると膨大、かどうかはやってないので知らんけど、
そこそこの量になるしとてもじゃないけどやってられない。

 

最初からブログ文章で書いておけば振り返りに1時間かかるということはまずない。
なぜなら読むのに1時間もかかる文章なんて書けません!という単調な答え。
1時間かけて書ける文章なんてたかが知れてる。
考える+書く=1時間の式になるわけで、考えるの部分だけで何%を占めるかという。

 

今みたいに基本意味はございませんな内容なら、
特に深慮に至ることもなくガンガン指先を動かすので、
書くのパートで自分のメモリを使うことが出来るのだけど、
これを書きたいっていうテーマがある場合なら、
構成なんてのはあんまり考えない性質なんで、
ある程度は思いのままにだけど、
データとして残したいものは調べて正しく記しておきたいし、
思い出感想なら順序立てて自分の思いを連ねていきたい。

 

勢いで書いてる内はノンストップママ(雛形あきこ)でいけるんだけど、
一度止まってしまう、脳が休憩をしちゃって指も動かなくなると、
途端に好調だったタイプ音は鳴りを潜める。
そうなると、あーもういいやーとかなっちゃうんですな。

 

そうなる前に一気に書き上げたい、たとえ書く必要のない文章でも、
今自分が放出しようとしてるものをそのままフルボッコに書き殴りたい。
今日はこのくらいにしといたるわってめだか師匠が頭に出てきてしまったので、
本当にこのくらいにしとこうかなと思います。

忘れない内に、まだ少しでも記憶に残ってるうちに、
イベントで受け取った熱情というものは形にしておきたい。
かつては当たり前にやっていたけど、久々にやると慣れが消えて労力を考え始めてしまいそう。

 

そんなのどうでもいい、誰の参考にも得にもならない。
むしろ参考にされたら困ゲフンゲフン、なんかもあるんだけど、
辿り着くことがない形式で行くと思うんで、そこは問題ないかなと同時に、
相手に伝えたい、こう感じてる人間と反応が存在してることを知ってほしい、
っていうとっても気持ち悪い思考は確かにあるのは否定出来るわけもない。

 

拍手、という万人が理解出来る最善最短の反応はあるけれど、
その容器に自分の万感を即座に詰め込み切るなんて出来やしない。

 

後から次々と溢れて出てくるものは既に過去となった一瞬の拍手には間に合わない。
行き場もなく内封されたままのワード群は、
どれだけかかるか分からない時間の領域を飛び越えて巣立っていく。
息苦しさしかない街中に、わずかばかりに自由なそよ風が欲しい。