志村さんの偉業・芸人道は俺ごときが書かなくても、もっと素晴らしい文章が溢れている。

俺が触れなければならない事は志村さんのお父様が嘉納柔道という柔道をやっていたという事だ。

ただこれは当時の柔道家は空手の練習もしていたという事だろう。

十年ちょっと前に亡くなった格闘技関係者も大学の柔道部で巻藁を叩く練習をしていたという話があった。

その方はご存命なら57か8なので35年ぐらい前までそういう発想が残っていたという事になる。

嘉納治五郎は柔道を総合格闘技にしたい人だった。

だからフィクションと注意書きされたいだてんで嘉納治五郎がいつか柔道をオリンピック種目にしたかったというセリフを言った時に見るモチベーションが下がってしまった。

クドカンが新型コロナに感染していなかったらもっと書きたい話だけど。

その潜在意識が日本の総合格闘技のベースにあると思う。

 

志村さんがその柔道をやっていたお父様から柔道は学ばなかったみたいだが、もっと重要な事を影響を受けたと思う。

どうして東日本大震災のような非常事態でも多くの日本人が誇りを持って行動できたのかというとそれは新渡戸稲造の武士道の最後に書いてあるように、囲炉裏を囲んで祖父母が子供達に「どこどこに偉いお侍さんがいて、こういう凄い人で、お前もそういう立派な人間になりなさい」と伝えたからだ。

武士道とは強く生きる事では無く、生き方だ。

 

 

日本人の全ての子供達は志村さんにまず出会って幾つか大事な事を学ぶ。

 

1 人の悪口を言わない

 

2 誰にでもやさしくする

 

囲炉裏の代わりがTVになって、祖父母の代わりに国民全てに対して変なおじさんである志村さんは本物のおバカを演じて、大事な事を教えてくれた。

これが最後の武士道じゃないと信じたい。