こんにちはニコニコ






今日は清書なしにそのままをお届けしますので、文脈が乱れておりますし、長文になってしまいました。ゆえにご了承のほどお願いいたします。








以前子どもの問題は親の問題、といいました。


問題という言葉に拒絶反応をおこすかもしれません。しかしそういうことではない。自分が悪い、と受け取ってしまう、それこそが問題であるといういみです。






親の問題とすると、子どもの問題を自分の事として考えしんどくなってしまうのです。





なぜ?自分のこととするのか?

なぜ?しんどくなるか?




ここに、親側のネガティブな要素、幼少期の未解決の誤った解釈が残っている、と紐付けができます。紐付けしなくてもいいですが、、、






これらは、ただの紐付けなので、個々人により異なります。必ずしもそうである!という断定的ではないことを念頭に、読んでいただきたいなと思います。





専門家が言ってることの方がいいというなら、そちらを優先して。私は経験者であるゆえ、専門家とも言えると自称しているだけです。





(でもね、野球選手だってね、15.6年現役選手やって、引退して、コーチして、監督して、という流れを見たら、経験者だから専門家としてアドバイスをしている、その名が通るというわけですから、私となんの違いもないと、思っています。すごい自信だ…)





(画廊もそう。毎日芸術品に触れて目が肥えて、情報通である、専門家な訳です。)






話を戻しますね。




子どもの問題を、[自分の事]として考えしんどくなってしまう、、、





それを無くすためには親と子どもを切り離すこと。




自分は自分、子どもは子どもの人生がある、と切り離すこと。




親が心配しても、悩んでも学校には行けないわけで、親が心配したり悩まなければ、子どもは自分で考え出します。




それは学校に行くか、行かないか、または他の方法を自ら探して、自分で解決の道をみつけます。ここが非常に大事です。






うちの子も、自分で調べてボランティア主催のイベントに恐る恐る行ってました…その話を聞いた時、あ、、、そうなんだ。そういうことできるんだね。と内心驚きましました。





親ってほんとに力がないというか、さほど必要とされないのかも…と思いました。そうやってって、子離れができて、心配や不安を手放していきました。







1.学校に行かないのは子どもです。だからこれは[子どもの問題である]と自分自身と問題を切り離す。




切り離すというと、子どもと引き離されるという気がしてしまうかもしれませんが、そうではありません。箱を分ける、分別する、分けるです。





2.親として、自身が自分を自己受容すること。




自己受容とは


①出来事に対して自分のせいにしな


②すぐ心配するのをやめる練習をする


③子どもを信じ切ると決める






 ↓これを反対側から見ると↓



①*自分のせいにして自分をいじめてる

この行為が親側の問題であるということ



②*すぐ心配するから子どもは信用されていな…とがっかりするから、親側の問題であるということ



③*子どもを信じないから、子どもは弱くて,大好きなお母さんを悲しませてるダメな存在だ、と思わせてしまうから、親側の問題であるということ





 ↓これを踏まえて↓



①*〜③*に対して、今後、できるだけ子どもに口出しするのを控える



私は私の生活を一生懸命に頑張る。
人生を楽しむ



おしゃれしてみる、メイク研究してみる、



好きなことに没頭する時間を待つ。



お一人様カフェやランチやってみる



スポーツなどしてみる



自分ばかり楽しんで悪い…という罪悪感があなたから幸せを遠ざけてるのです。




あなたが楽しむから社会っていいものかも、大人っていいな、と子どもは思うのです。





あなたが楽しむから、お母さんに安心感を感じて、頼りたくなるのです。







これは夫婦関係でも言えることですよね。

互いに気遣うこと。




大抵、「子どものことは母親だから全部わかってるのが当然、と無言圧力がありますが、その解釈は間違いです。




さらに、「わかってないから学校に行かなくなったんだ…」なんて見当違いも甚だしいこと言われますが、




子どもも一人の人格をもった人間ですから、わからない事の方が多いのです。





[わかってるべき]の制約的思考が邪魔をするから、喧嘩に発展することもありましょう。





私たちは何十年もかけて、お勉強を強いられますが、一番大事な子育ての仕方は学びません。なのに、生んだら即母親な!ちゃんと育てろよ,頑張れよ!的な風潮、おかしいと思いませんか?





泣き止まなければ、疎まれ、

スマホであやせば目や脳に悪いと指摘されて(私も言ったけど)、でっかいベビーカーに、子ども抱っこに、保育園の荷物3個に、自分のバッグに、ヒール履いて、、、筋肉強すぎませんか?





右も左もわからない、生身の赤ちゃん抱えて、見よう見まねであたふたしながら、泣きながら、イライラしながら、孤独になりながら、堪えながら、考えながら、工夫しながら母親になってっているのです。





素晴らしいと思いませんか?

すごいことですよね?

めっちゃ無謀なことしてるとも思いませんか?マニュアルもないのに、複合機の中の機械の修理を毎日してるような感覚さえあるのが、子育てです。







『母親』というのでさえ、育くんでいくものです。






子育ての仕方こそ、知っておきたい重要なことなのにね、マニュアルはないわ、昔のやり方おしつけられるわ、赤の他人に怪しい笑顔ふりまかれて愛想笑いしなきゃならんわ、勝手にいい子いい子されて触られて恐怖になるわ、会社は休めないわ、ほんと大変、、、。






こんな過酷な現状、子育てなら当たり前って世間は思ってますよね。






子どもができたら、そんなの想定内だろ、ってなぜかドライになります。どういうこと?





そんな中で学校行かなかったからと言って、母親のせいにされたり、自分が悪いんだよね、なんて思っちゃったりしたら、あなたの心が折れるのは当たり前ではないですか?





ましてや夫婦なんて他人ですから、建設的に話し合い、理解するのが前提がないと、理解も難しくなりましょう。





自分ができないことはたくさんあります。わからないこともたくさんあります。まずは相手に頼るという勇気が必要です。






日本人女性や女性に対しては、どうもまだ、3歩下がってが美徳と思ってます?。それも必要な時はありますが、相手の顔色伺ったり、出所見てから伺ったりして、言いたいことを我慢して、代わりにどっかにポストしたりしてね、、、






好きで結婚した相手に、ビクビクしてる場合じゃないです。気遣うというのは顔色伺うことではない。子どもを守りたいなら二人でできること、できないこと、どう接するか、話し合い、親としての在り方を変えることです。





男性は、「これとこれをこうしてほしい」と明確に提示すれば喜んでやってくれます。『男性は頼られるのが嬉しい』からです。頼られないことが一番の侮辱とも。





こんなこと?と思うかもしれませんが、ペットボトルのキャップをあけてって、え?なんで開けられるでしょと返されても,今日は力がないの(笑)…と言って開けてもらい、目を見て、「開けてくれてありがとう😊」と言うだけで関係がよくなりますし、理解が深まっていきます。






男性の脳はどうもシングルタスクなので、マルチタスクの私たち女性と比べると、視野が狭いのですから、その点は男性を育むという期待ではない心理的作戦は必要かと思います。





「やってくれたこと」をありがとうに付け加えて言うのが肝です。ただありがとうだけでは、何に対してのありがとうなのか伝わらないんですって。




ゴミ捨て行ってくれてありがとう。

お風呂掃除してくれてありがとう。



と具体的に述べること。




もし悲しいことがあったなら、こういうことで悲しかった、と伝える。こんなこと言われたら寂しい、と伝える





ちゃんと、感情を言語化する、言葉にする事で、自分自身も頭の中がすっきりしますね。





それをしないで頭の中ぐるぐる🌀してるから、モヤモヤエネルギーが家庭内に充満してしまうのです。。。その雰囲気はとても窮屈です。





じゃやはり、私のせいじゃん?って思います?

私のせい、、と思い、自分にダメ出しするのは、被害妄想の駄々っ子してるか、未解決の感情によるものというだけです。それをしてることが問題なのです。それがなくなれば子どもは安心して外に行けるのです。嘘みたいでしょ、、、





あ、私のせい、と思ってもいいんですよ。でも

そっか、そうだったのか、じゃあ変えてみようか、が素直であり、自分に一番負担のないやり方ですね。





そういう自分の感情の根源や、人として在り方を修正してくれるために、子どもが学校に行かないことで、お知らせをしてくれてるということなのですが、嘘みたいですか?






でも、実際、子どもに向かって

『心を入れ替えて変わって』とは言えませんよね?





それは、外側に向かって対処しようと試みているだけであり、根源ではないわけです。





カウンセラーに話を聞いてもらい、子どもへの接し方を変えたり、向精神薬を摂取することで、[少しは改善した]、と思うかもしれませんが、薬の対処方と同じで表面上を抑えただけに過ぎず根本が変わってなければ、似たようなことを今後も発症させるかもしれません。





私も人生経験者として、どうしても人間関係でつまづいてしまう…ということがありました。『なぜなんだ?、なぜ繰り返すんだ…』と苦しみながら、イヤイヤながらも真剣に向き合い問いかけることで、解決しました。必ず自分の中に答えがあるわけです。あなたにも経験があるでしょう。






女性は素直になること。素直になれないけど、[素直になる]決めることで、ある日突然素直になります。






自己流で、ただ癒しを求めるだけだったり、やり方がコロコロ変わるではなかなか解決に向かわない、ということもあります。正直なところ、ドクターやカウンセラーさんによって言う事が違うため、余計に苦しんでしまうので、[誰か一人]と決めてまず三ヶ月やってみる






そして、これで理解できたのかな?

ほんとにこれでいいのかな?

で頭がいっぱいになることもありましよう。そしてまた、学んだこと知ったことを脇に、不安や心配を起こしてしまう…その繰り返しで、心労が重なり、イライラが募っていく。





そうではない。

自分を信じる事です。

それは、[できてる]と自分で決めること。





『自分にはできない、、』という消極的気持ちが前提だから

「これでいいのか?」と不安が消えないのですね。





でも、能動的に

できてる前提だから、これでいいんだ」と不安にならないのですね。








できてることを実感する最大のワークは、寝る前、ノートに今日やったこと一個ずつ書いてって、できたこと沢山ある!と一個一個ポジティブな反応=褒めるを書いていくことです。






バカらしいと思う?

そう、もしバカらしいと思ったら、そのバカらしいという気持ちが、自分を見下してるってことなんですね、、、。

ひいては他人も我が子も家族も見下してるということです。





嘘だ、と思う?




自分が今日一日中どれだけのことをこなしたか、を当たり前だと思わないでほしいのです。





起床してご飯作る、これ当たり前ではないのです。できた!のです。



トイレに行く,排泄する,掃除する,当たり前?いいえ当たり前じゃないよ。できた!のです。




鍋を火にかける、当たり前じゃないよ?

できた!のです。



歯磨きして、顔洗ってメイクする。

当たり前じゃないよ。できた!のです。

すごいのです!




お洗濯もの干す、ゴミ捨ていく

これ当たり前じゃない。できた!のです。




着替えて外に出る、歩く、移動する

当たり前じゃないよ。できた!のです。すごいね!です。




全部ルーティンでやってることは、あたり前じゃなく、尊いのです。できた!のです。






こんなのできて当たり前でしょ、って決めつけて、当たり前にやりなよと鞭打ってるのは自分なのです。鞭打ってると、周りから鞭打つ言葉を受けることになるのです…






大人だからできて当たり前だけど、今更ながらこんなに私、いろいろできてること素晴らしいよね!!えらいよね!と褒めるのです。




どんなに小さなことでも、当たり前にできてることはありませんよね。





生んだ瞬間母親になって、母親として教えられたことなんてなくても、自力で調べてその都度真剣に対応して、ここまで子どもは成長したわけですから、どれほどの貢献をしてるか、、、自分に対して頭が下がりませんか?






どれだけ失敗をして、ルーティン化できるようになってきたか。



どれだけ失敗して、工夫して、お弁当詰めができるようになったか。








そんなあなたも赤ちゃんでした。

小さな一歩を踏み出してから、これまでたくさん歩き続けて、マルチにルーティン化してきました。





その功績を自分に贈ってあげてください。




先述のように、夜寝る前に毎晩、書いて、功績を称えてください。泣いて泣いて書けなくなりますが口笛




これを癖にすると、一個一個、当たり前じゃないんだ、できてきたんだ、ってことをわかります。





つまり大人だからこそ、ベイビーステップでいること、自分に対して目線を下げることが自分を救い子どもを救うのです!





そして自分を尊いと思うことが増えていくことで、子どもはそれをキャッチして、変化します。





自分で自分を信じることは、わが子を信じることにつながります。





自己肯定というのは、ネガティブだろうがポジティブだろうが、どちらにたいしてもそれでいいよ!と受容れることをいいます。





悲しいっておもってるんだよね、悲しいよねと寄り添う。



ムカつくよね、わかる、むかついていいよ、悪態ついていいよ。 



しんどいよね、なかなかできないよね,わかるよ,しんどい,まじしんどい。



できないから放棄したいよね、それでもいいよ。



ぜーんぶ受け止めてあげます。



味方になって寄り添って受容れてあげます。



自己肯定感上げるために講座を受けるとかしなくていいのです。

OK!という認定をするだけで、自己肯定完了ですから。







その回数をこなすから、自己効力感が出来上がり、できることがふえて自信がナチュラルにつく




ですから、自分には自信がないってのは嘘なんです、錯覚なんです。



ないものは、ないってさえ言えませんからね。あるんです。



そもそも自己理解を歪ませていただけなので、自信は自分の中に備わって、あるんです。



だけどいつの日かないにしちゃった。



それを戻すだけ。なので私が言ってることはレジリエンス=復活なのです。



自信がある、という認識さえ起こらずナチュラルに、決断できて迷いがなくなりますから。もう自分軸の土台ができました。




大事な自分の軸です。

これからの世の中は一層自分軸が大事になります。




流行りのワクチンも子宮頸癌ワクチンも私はオススメしませんが、みんなそれぞれの人生があるので強制はしません。自分で考えてください。





こうしてお母さんが、自分自身に一生懸命だと、我が子のことをあれこれ考えなくなります。それが子どもを安心に向かわせます。




ですのでたったこれだけ、自分を褒める、やってください。お母さんが自分自身を褒めないことが、子どもに問題として現れてるだけです。






長い文を根気よく読んでくださってありがとうございます。思いが強いからどんどん溢れる…ラブありがとう。



また書きますね。