こんにちは![]()
突然ですが、前回の、たぷたぷなのは太ももだけではありません。肝っ玉母ちゃんなので二の腕は貫禄がありますから、風で揺れます(笑) どうして、太ももは割と簡単に鍛えられるのに、二の腕は何ヶ月やっても変わらないんだろう?と嘆いてましたが、
もう開き直りましたよ。『ありのままの自分を受け入れて』と当ブログでは散々あなたに言っといて、、、。その私が二の腕のありのままを受け入れられていませんでした、、、そのことを謝ります。ごめんなさい🙏
二の腕が風で揺れるくらいふわふわと膨らんでいたからって何も起きませんし、誰にも迷惑かけませんし。
こういうごくごく些細な自分イジメをしていることに改めて気づくことが、”自由” または ”解放” と言います。
まだまだたくさんの、些細な自分イジメが残っていたことに気づいていくと、その度に、我が子への些細な決めつけや不安症が露呈していくのです。
ですから、幸いなことですよね。
嫌だなーと思う事は必ず気付きをもたらしますから、いつでもポジティブに好転してる、ということなのです。これはすごいことじゃないですか?
ですからやっぱりこの世界は、物事も、言葉も、会話もすべてがプラスとマイナスの表裏一体だということが明確になりました。一見嫌なことは、望んでいることを含んでいるのです。すべては等価値である。このことに気づいていくと安心しませんか?
子育てには、大前提として安心感が必要です。
子育て期間の親の無条件の愛情は非常に重要です。
私が経験しているので断言します!
親の無条件の愛情が子どもの未来のほぼ99%をつくっていますよ。
幼少期が一番大事です。12才過ぎてしまってたら、しんどくなりますが。でも気づいた時が一番早いのでそこがスタートです。
おどすつもりはありませんが、「無条件に愛されなかった」「ありのままを認めてもらえなかった」という思いは、悲しみを全身に付着させてるようなものです。
本当は生きたいのに、時に消えたい、、、になってしまうのです。生きるために必要な力が悲しみによって奪われているのですね。悲しみがあると安心が生まれません。人生を生き辛くさせてしまうのです。
お母さんの安心が備わらない状態で子育てしても、それは “子育てしてる風”なので無条件の愛ではない。条件付きの愛なので、子どもも自分も苦しいはずです。
無条件に愛することがお母さんのやることです。
しかしながら、無条件に愛されてこなかったお母さん、つまり条件付き愛情で育ったお母さんは、無条件に愛することができるはずもないのです。
だから安心できないし、不安は募るし、不安を払拭しようと子どもに関わるし、先回りしたつもりで余計な口出しをしてしまいます。
まさに、私でした。
で、安心はどうやって作られるかというと、昨日も書いたんですが、自分を甘えさせること、嫌いでいいとか否定を肯定することが重要だと断言します。
だって日本人の女性は、時代背景により、あなたのお母さんも、お母さんのお母さんも、他人に良い顔しなければ生き抜けなかったのですし、我慢しなければやりようがなかったのですから、相当言いたいことを抑えて、我慢を強いているのですから、悲しみや怒りが溜まってますよね?
時代的に無条件に愛することができなかった、というと言い訳に聞こえるかもしれませんが、条件付きの愛し方を選択したのは個人の範疇で決められるものではないと思っています。誰のせいでもないのです。だけど、その尻拭い的なことをするのは、気がついた私たちがしていくということです。
普段から我慢できてる人は子どもの頃から我慢しているのでストレス耐性が桁外れで本人も自覚なくなるほどですね。
世間や人付き合いを優先しますから、すごく親切だったりします。親切心を赤の他人に差し出せるんですよ。他人を優先に考えなさいと国に教育されたからです。
ですが私たちはもう大人で、選択権を持っているのですから、良い顔しなきゃとか、親切であろうとか、されて嫌なことはしないようにしようと過度に他人優先するとか、そういう自己犠牲的な思いは、捨てた方がいいのについ癖でやってしまうですね。
親切心を利用してつけ入ってくる人から自分自身を守れないで、傷つくこともあるかもしれないと考えてしまうから、自己犠牲になるのです。
そういうのさえ、ごく自然に我が子に受け継がれていってしまうのです。
どれが受け継がれていってもよくて、どれは受け継がれていってもよくないがありますか?
このお話には裏があります。
現代はコロナ禍以前とは異なり、日本も物騒になりましたから、一人一人が思考停止ではなくて、自動思考で日本は安全だからとか、そんな事起きないでしょとか、考えもしないで日本を信用してしまうことは、危険です。
電車に乗るといつも思うのですが、女性の隣のおっさんが眠り呆けてて、頭や体が寄りかかってきても、怪訝な顔をするだけで、何も言わないし、逃げようともしない女性がいます。でもそれが嫌じゃない人もいます。
だけどもし嫌だったら、やめてくださいとか嫌ですと言ってもいいし、席を移ることもできます。せっかく座ったので移りたくないかもしれませんが、、、
でも嫌なのに、仕返しされたら怖いからを理由にアクションしない人は泣き寝入りや自己犠牲ですよね。なかなか言うのはできないと思います。だけどその流れで痴漢に合う人も実際にはたくさんいます。そういう癖があることを自覚して、意識的に生きる必要があるのです。
ですからこれも筋トレと同じことで、意識してどの部位を日常的に使って動くか、ということと同じなのです。
普段から、[意見を主張する][断る]を怠っていると、いざという時恐怖でなかなか言えません。かと言って練習するというのも難しいでしょう。
であれば、どうするか?心の目を鍛えることで自分自身を守れます。心の目とは実体はありません。
ではなんなのか?
自分を大切にしていけばそれは培われます。
他人も大切ですが、それ以上に自分の感覚が大切です。【自分がどうしたいのか?】を優先に思考していくと、自然に心の目が分かるようになります。心の目をもった在り方が変なことや変な人を寄せ付けなくなるのです。
このことを、スピリチュアル界隈では波動と呼び、量子力学では周波数と呼んでいますね。
同じ波動、周波数同士が引き合う。共振共鳴するということ。磁石と同じということですね。
時にははっきり物申すことも親切心なのですから、ここではこれは言った方がいい、ここはスルーしとこうか、と使い分けができる方が、幸せで安心ではないでしょうか。
人生とは日々の生活です。幸せとは日常だと私は思っています。ですから特別なことではありません。特別視したら幸せ探しに奔走します。それも人生の1ページですが、どうでしょうか?
全てのことをなあなあにしない、事なかれ主義をやめる、迎合しない。流されないで自分を内観して意見を持つ。貫くときもある。自分の人生に責任を持つ。
日本人は謙虚な方が多く、そしてあまりおおごとにしたくない、が先立って主張しない人もいますが、あとあとモヤモヤしてそのモヤモヤをsnsに投稿するくらいなら、はっきり言えるように、意識的に行動する方が良いのではないかな?と思います。
自己犠牲をしないで、他人と自分に境界線を設けて、[意見を主張する][断る]を適切に活用できることで、安心感を得られます。
間違いなく自己犠牲をしていると拗ねます。勝手に多分こうだろう?と推測して、推測から思考を巡らすので拗らせるのです。拗らせて不安に駆られていたたまれなくなる…
自分を大切に扱う自己受容の自己信頼は、安心な世界を作り上げていきます。それは幸せなことです。
そうなると家族全員が柔らかくなります。自分の周りも出逢う人も出来事も柔らかくなっていきます。だからわざわざ自己主張や断ることの機会が減っていきます。
ですので、ありのままの自分を大切にすることをやらない理由はないんですよね。
普段どんなことに、【嫌だな〜】という言葉を使っていますか?
些細な嫌だな〜は自分イジメであることが多いです。ここ嫌だな〜、これ嫌だな〜は自分の人生の指針でもあります。なぜなら嫌だな〜を後回しにしないで、一個ずつ「嫌だな」の削除を実行していくと、子どもの良い面が鮮やかに見えてきます。勘違いだった…ことに気付きます。つまり視座が高くなります。寛容になります。



