こんにちは爆笑





当ブログに起こしくださる方には本当に幸せや充実感を感じて欲しいと願っています。1ミリも1ミクロンも妥協せずに、多幸であってほしいと思っていて、これはほんとにそうなのですが、伝わってます?






とはいえ、私の感覚は気質的なことも相まって、ところどころ猟奇的かもしれませんが、、、笑。しかたない。気質なのですから。その気質の一つに透視ができるというスキルがあります。






そのおかげで、今こうして自然と共に直感的に生きているのだと言えます。未来透視は、現時点での視座で未来が視えるというだけです。





こういう気質であるんだ、どんな自分の感覚もOK!を自分で受け入れることができてから、つまり周りや社会の情勢、常識に翻弄されないでいることで、本当の自分の人生がなんとも言えずの至福をもたらすとも言えます。





前置き長くなりましたが、今日は、

不登校の子を持つ親として日々あふれる情報に接する中、






「どの情報が本当に有益なのか?」と迷うことは多いかと思います。




昔からの方法に加え、流行りや新しい方法が次々と現れる今の時代、情報の氾濫に溺れてる中、「何を信じるべきか」が悩みの種になることもありますよね。






そんな中で大切なのは、

コントロールできることと、


コントロールできないこと


冷静に見分け、制御可能な範囲で自分らしい選択を積み重ねていくことです。







1. 「コントロールできるもの」と「コントロールできないもの」





世の中には、私たちの力ではどうにもならないことがたくさんあります!

たとえば、生まれた場所や環境、天気、経済状況、子ども含む他人の行動気質などはその代表的なものです。(当ブログでは自分以外はすべて他人という位置付けです) 





こうしたコントロールできない、自然の摂理を受け入れることはできますよね。





こうした「自分でどうにかできない」ものがわかっているのに、これに対して、不安や恐れで悩む時間が長くなると、動けなくなり、かえって心が疲れてしまいます






一方で、私たちは「自分自身」についてはある程度コントロールが可能です。失敗してもそこから学び、気づき、感情的になってもいいですが、判断を感情にふりまわされることなく、その感情を冷静に見つめることで、新たな選択をすることもできるのです。






たとえば、次に同じ失敗をしないためにはどうすればいいか、どのように自分の考えを変えてみたらいいかを自分で考えることができます。



この姿勢を日々意識することで、「今」に集中して過ごすことができるのです。









2. 「知恵」「勇気」「節制」「公平」の4つの美徳





自分のマインドと向き合う際には、古代の知恵ともいえる「知恵」「勇気」「節制」「公平」の4つの柱が重要です。これは、予測できない出来事に対処するために、役立つとされる基本的な価値観です。






たとえば、子どもが学校に行かない日々が続くと、どうしても焦りや不安が先行してしまいますよね。これは感情に流されているということです。





でも、その気持ちをいったん抑え、整えて、冷静に、今できることを考えることで、違った視点が見えてくるはずです。






制御できない外部からの、溢れる情報を目にしてるのは自分自身の選択によるところです。





見なきゃいいのに、見る。自分のマインド、心を見ればいいのに、スマホ片手にXを見たり、Instagramを見たり、TikTokを見たり、LINEオプチャを見たり、マッチングアプリを見たり、、、





もっといい情報、もっと楽に変わりたい、もっといい暮らしがしたい、もっと稼げたらいいのに、もっと素敵に生きなきゃ、さまざまな誘惑に乗っかり、その時間を選択した自分がいるということです。

それは無情にも過ぎていくわけですが、その時間で得た情報がどれだけ自分にとって有益だったかを振り返ると、なんだかそうでもない,,,わけです。








3.外部の情報に振り回されないために



情報が豊富な時代だからこそ、外からの「理想像」に振り回されがちです。社会の基準は、誰かのための基準なのです。誰かの成功像を広告されていてもそれはその人の成功像です。そこに合わせて「もっと成功しなければ」「もっと素敵にならなければ」と「もっと」と無理を重ねることが、






かえって自分の幸せの幅を狭めることもあります。外からの情報に対して、すぐに「自分に必要なもの」と思い込まずに、「自分にとって本当に大切なことは何か?」「私は何がどうあれば満足するのだろうか?」と少し立ち止まることも、豊かな人生のヒントになるのではないでしょうか。







4.自分の幸せに気づくこと


私自身も、子どもを不登校にしてしまった…という罪悪感に苛まれ、愚かな自分など大嫌いだ!と自分を否定して存在を嫌悪してきた経緯がありますから言えることですが、不登校にしてしまった…というのは事実ではあっても、罪悪感を感じることは傲慢さでありそれは不毛であるということ。





そのことに気づけたのは、自分自身を見つめることから始まりました。自分自身を正しく理解することはレジリエンス:復活でもあるわけです。正しく理解していくことは自己肯定感を作り上げ、自己効力感に繋がり、自己実現を果たしていきます。






つまり、マズローの欲求5段階のピラミッド構造で現す通りです。





日本人は外部を気にし過ぎて、自分を見つめていません。自分を知りません。他人ばかり気にして他人のことをよく知っています。他人のことなどどうでもいいわけです。自分を知れば、家族も職場も親戚もすべてが円満なのですから。






自分よりも他人を優先しろという教育を信じてきた、特に繊細なセンサーを持つ人は、外部の情報こそ真実であり、有益だと思い込んでいます。もちろん有益なものもあります。






しかし、人生にはコントロールできるものと、コントロールできないものがあることを知っていれば、むげに外部の情報を鵜呑みにすることはなくなり、他人に意識を向けなくなり、他人と比較して落ち込むこともなくなり、子どもの未来を勝手に予測し、決めつけ、心配し、不安に苛まれることはありません






子どもの未来を勝手に予測しネガティブにきめつけるなんて、それはたいへん失礼で愚かななことなのです。






いくら自分が産んだ子で、自分と似たような遺伝子🧬を持つから、家族だからと言って、それは生物学的なことと制限され、また生物学的見解だから全く譲れず信憑性のあることであるから、親と人生が同じになるということではないということです。それは言いがかりでもあるということです。






もしもそうなら、私は、親に虐待されて一般社会の通念と宗教の教義にも挟まれ、右往左往していた私が、親と同じことをせず子どもに虐待をせずに、何故自分の軸を持って、自分の好きなように生きることができたのか?、と辻褄はあいませんよね。






私の子育て期間中は、正しく自分を理解しておらず他人軸でした。遺伝子的に虐待をしたり感情的になったりする可能性は大いにありました。でもそうはなりませんでした。社会経験でコントロールできることと、コントロールできないことがあることは知っていたからです。






知識というのは増えすぎてアウトプットしないなら、増えても無意味かもしれませんが、全くないよりはあった方が選択の余地は作れます。良質な知識であるかどうかを検討する時間を一日10分でもとることが、人生を豊かにしていくのではないでしょうか?






どうかあなたも、自分の人生は好きだった、と言えるようになって欲しいと願います。






私の脳内イメージ通り、選手たちは

マウンドに駆け寄り互いを讃えました。

本当に『願いも夢も叶う』のです!

息子と抱き合い歓びを共有しました。

明日から頂上を目指し私は応援に勤しみます!









「自分の中にある幸せの定義」に気づくことが大事だと感じています。「自分の中にすでに幸せがある」と信じて、外部にばかり答えを求めず、まずはご自身の感覚に目を向けてみませんか?






今日も読んでくださりありがとうございました。