こんにちは![]()
学校に行けなくなるのは、「組織」に気づいたから
という角度から書いてみました。
笑いごとじゃないよ…冗談じゃないよ…とお叱りいただくかもしれませんが、
不登校の親御さん、
子どもが学校に行けなくなることには、親が知る事のないもっと深い理由があるかもしれませんよ。
私自身の経験を通じて、今日は少しだけそのことをお話しさせてください。
多くの親が「学校に行くのは当たり前」と考えてしまいます。泣いて行きたくないと訴えてるのにもかかわらず泣きながらでも、嫌がりながらでも、引っ張ってでも学校に連れて行くことが「愛」だと信じている人もいるかもしれません。
しかし、それは愛ではなく、拷問です。
愛が憎しみに変わる時です。
親の将来性を考えた愛が、子どもにとったら憎しみに変わるのです。だったらまだ無関心の方が子どもにとったら傷は浅いのかも、と考えたりしますが、憎しみよりも無関心の方が永続的な傷となることは覚えておきましょう。
さて、学校とは、残念ながらひとつの「組織」です。
よく言われるのが学校は社会の縮図とも言いますよね。組織はどこにでも存在しますし、組織の中ではトップ以外は支配下になるわけです。
社会に出れば会社、団体、集団が待っています。そこには常に「競争」があり、上にのしあがろうとする力が働いています。蹴落とそうとする力も働きます。
「もっと良くなりたい」「他人に勝ちたい」という競争心を植え付けられ、それに従わなければならないと感じることが多いでしょう。
あるいは、その中で自分の力不足を感じることも出てくるでしょうし、認めたくない弱さを自覚し、守ってもらおうとするかもしれません。
そして、自己責任を強く感じ、自分を責めるようになることもあります。これが「組織」の持つ見えない圧力だと考えます。
学校を拒否するのは感性が鋭いから
子どもたちは、そんな組織の背景に気づいてしまったのかもしれないと考えます。なぜならまだ幼い彼らは、感性でその厳しい「組織図」「支配制」に気づいたため、身体がそれに反応した、とも考えられるわけです。
組織図とは、クラス内の、部活内の、先生内の、社会的の。
支配制とは、比較競争によるもの。どこにでも存在する上下関係。昨日と今日の手のひら返し。明日は我が身。
学校を拒否するのは、もちろん他のさまざまな理由があることは分かっています。出来事に対してショッキングであらば情報量は多くなり、思考でまとめられる訳でもありません。子どもはまだ完璧に言葉では表せないので、違和感というものを肌でうけとり察して、圧力として身体で受け取り、
身体がもう耐えられないよ…と悲鳴をあげて、「拒絶」しているということです。こんなふうに断言するのも強引かもしれませんが、私には身に覚えがあるので、このように言います。
学校や組織の枠組みの中は、実際入ってみないとわかりません。私たち親の知らないところで、どうしても支配的な日常が存在します。それが子ども同士であってもです。それを一個一個知る事はできないのです。聞いたら思い出させてしまうので、心の傷を深めてしまう思いやりのない行為になるかもしれません。
また厳しい校則で守られていると思いきや、守りを超えてその校則に教師個人の主観が重なると、校則が校則を超えて「支配」に変換されることもあるでしょう。
それというのは、教師にも、私たちには知られない、ノルマがあるからかもしれません。
支配権を持つ誰かがいて、比較競争をそそのかされ、小さな圧力を見つけ、感性の鋭い子どもは、先見の明を持ち合わせ、本質的なものを見つけた、と考えることができます。
ですから親は完全に子どもの様子を知ることができない不安と,常に隣り合わせである事も分かっています。
いつも以上に隣り合わせの不安、に押しつぶされそうになります。考えたくないけど……でも,親以上に子どもはいつもいつも押しつぶされそうな気持ちとたたかっているのです。
できる限りの言語化を精一杯してるのに、泣いてたって、懇願してたって、廊下にへばりついてたって、無理に引っ張っていこうとされた子どもは、親や教師が「自分を受け入れてくれない」と感じ心を閉ざしてしまいます。ここから脳がバグり始めます。
そうして子どもは自分の中から世界を遠ざけます。
逃げ場がないと感じ、どうしていいかわからない状況に追い込まれてしまうのです。
これは決して珍しいことではなく学校に行けない子どもに起こる心理作用です。どんなに生意気言ってたって未熟な子どもの精一杯の表現の一つなのです。
それなのに、親や教師は「将来のためには学校に行くべきだ」というくだらなく意味のない価値観を押し付けてしまいがちです。
私がそうでした。後半に述べます。
将来は予測不可能。子どもの今を大切に
未来なんて誰にも予測できません。10年前こんなに便利なアプリが溢れる世の中になるとは想像できませんでしたよね?
アップルウォッチが手に入るとは思いませんでしたよね?
海外の人とすんなりトークができるとは思いません。
既婚者出逢いアプリが公然となるとは想像し得ませんでしたよね?、、、。めっちゃびっくり🫢
移民が増えて移民の暮らしの方が日本人より経済的に豊かになるとは考えもしませんでしたよね?
ですので、今を大切にすることが重要なんです。
私も13年前、息子を無理やり学校に行かせようとしました。行きたくないと言ってるのに、「用意ができたんだから、今日は行けるよ」「がんばろ」という正当化ぶった理由をくっ付けて追い込んでしまうのです。(お母さんの気持ちもわかる、でも僕はいきたくない…どうしようと思っていたそうです。後日談)
「やっぱり無理…」と言う彼が廊下に横たわっているのに、へばりついてる身体を持ち上げようとしたりして、戦ったわけです。ひどいでしょう…。
その結果、息子は口を聞いてくれず全く登校しなくなり、私との関係も崩れてしまいました。
「顔を見るのも嫌だ」
「あなたから教わる事は何もない」
「僕はもう死んでもいい、そばに来ないでください」
と言われ、親子の距離が断絶、どんどん広がっていったのです。
それ以来、私ができたのは、ただ洗濯物をして食事を用意することだけ。要件はボードに書いて,返事を待つ。会社にいる時も帰る時も、どうか生きてて、守って神様、お願いします。と祈ります。
帰路自転車を早く早くこいで、玄関を開けてから、シンクに下がっている空の食器を見て、やっと安堵する、の日々でした。部屋の明かりが消えていれば、息を潜めて彼の生存を音で確認していました。
生きたここにがしなかったんです。
それは子どもも同じなんです。
関係が崩れたのはこの時の一回、ほんの20分のこと。
修復するのに何年要したかわかりますか?
6年かかっているのです。
だから、『子どもを無理やり学校に行かせようとすることはまったくお勧めしません』
行きたくないのに行かせる行為は、あなたのためにも、子どものためにも、誰のためにも全く意味のない行為なのです。(教育には高評価のポイントがつくのかもしれませんが…)
子どもとの関係が崩れるだけでなく、彼ら自身が何を感じ、どう生きたいのかを知ることができないばかりか、こちらの気持ちを伝えることができなくなるからです。
子どもとの時間を大切に
しかし、私の経験はあくまでひとつの例です。人の人生は様々で、あなたの子どもにもあなた自身のやり方があるはずです。ただ一つ言えるのは、二度と戻らない多感な時期の子どもとの時間を大切にしてほしいということです。
学校に行くか行かないかに縛られず、子どもが今どんなことを感じているのか、起きているさまざまな事象にどんな考えをもっているのか、今どんな事にハマっているのか、そしてこれからどんな人生を歩みたいと思っているのか、しっかり耳を傾けてあげてください。
そして進学するにも、職につくにも、どれほどたくさんの入り口が敷かれている時代になっているかを伝えることです。個人で起業することは簡単なのです。
親世代は雇用される事=会社の駒(奴隷とも言う)になる事を教えられてましたから、起業のやり方を学んでいないため、起業には消極的ですね。
でも今の子どもたちには親世代を超える美しく強い感性が備わっています。ですから起業スキルを応援する事だってできるのです。それが、子どもにとっての「愛」だと私は信じています。
学校に行けなくなるのは、こうしたこれまでの親とは違う道を既に見つけるセンスが備わっているからこそ、「いちぬーけた」のスタンスでもあると思います。
つまり、彼らは世の中のちまちました社会的規制や、常識、既成概念などに囚われない、もっとも大きな開眼力さえ持っているということです。
大袈裟ですか?
行き過ぎですか?
それとも
うちの子にはありえないとおっしゃいますか?
私の経験が参考になれば幸いです。
今日も読んでいただきありがとうございます😊
私の記事の目的
私の記事の目的は、不登校を抱える親たちが、悩み苦しみから解放するために、考え方の転換をすることです。これには自己愛という自己理解と自己受容を深め、自分を尊重することで自分の軸を確立することができます。溢れる情報や他者に翻弄されることなく、自分の感覚で選択したことに自信が持てるのです。これを自分軸と言います。自分の軸ができると周りの評価に振り回されることがなくなり、子どものありのままを受容れることができます。周りの価値観に左右されず、正しさを求めるのではなく、楽しさや自分らしさを軸にした子育てで、本来の自分の価値観で生き、子どもも健やかな幸せをサポートすることができます。子どもが学校に行くことも大事ですが、一番は子どもも親も自分らしく生きること、そして自己実現を果たしていけることで幸福度を上げることです。家族仲良く平和に穏やかに暮らせるのは"互いに尊重"しかありません。
