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みなさま、こんにちは。

 

今週に入り

 

ようやく春らしい暖かさがやってきたバンクーバーです。

 

今は、モクレンがあちらこちらで

 

美しく、咲き誇っています。

 

毎日、お花や植物たちとの対話を楽しんでいます。

 

 

昨日、過去記事の再シェアをしたら

 

ばあちゃんとの思い出が

 

じわじわと蘇ってきました。

 

本日は、久留米のばあちゃんの回想記です。

 

 

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私がまだ小学校に上がる前のこと。

 

ばあちゃんと出かける時は

 

いつもバスを利用していた。

 

バス停まで、徒歩で20分近くあったので

 

バスに乗るときは

 

ばあちゃんと手を繋いで、よく歩いた。

 

 

でも、私はばあちゃんを手を繋ぐのが

 

あまり好きではなかった。

 

なぜなら、ばあちゃんは

 

私の手を優しく握るのではなく、

 

いつも、私の手首を

 

痛いくらいにがっしと掴んでいたからである。

 

 

「もう、ばあちゃん、痛かよ」

 

と訴えても

 

ばあちゃんは一切、受け付けない。

 

 

「ばあちゃん、なんで手じゃなくて

 

手首ば掴むと?もう、痛いけん放して~~」

 

と言うと

 

 

「でけん!!手ば握ったら

 

スル~~ッと抜けるけん!!

 

手首ば握っとかんと、えすか(怖い)!」

 

要するに、手を握っていたら

 

子どもが何かの拍子で手を離した時に

 

つかまえることができないので、

 

手首を握っておかないと怖いと。

 

 

ばあちゃんは、53歳でじいちゃんを見送って

 

未亡人となり、

 

共働きのうちの両親に代わって

 

孫4人の子育てに奮闘した。

 

 

 

じいちゃんが亡くなった時、

 

私は3歳、弟は生後7か月だった。

 

(妹二人が生まれる前)

 

母はすでに仕事復帰しており、

 

当時のことをばあちゃんに尋ねたら

 

 

 

 

(じいちゃんが亡くなった時)

 

一日だけ、畑の隅でワンワン泣いた。

 

声ば上げて泣いたばい。

 

ばってん、すぐ気持ちば切り替えた。

 

あんたたちば、育てやんもん!

 

 

 

 

 

 

気忙しいばあちゃんだったが、

 

その日だけは

 

自分に泣く許可を出せたのだろう。

 

そして、孫育ての忙しさが

 

悲しみを紛らわせてくれたのかもしれない。

 

 

 

私が当時のばあちゃんの年齢に近づいてきて

 

思うことだが

 

孫の命を預かる責任は

 

相当なものだっただろうと思う。

 

 

だから、私の手首を力強く握っていたのは

 

「この子の命は、なんとしても私が守る!」

 

という

 

ばあちゃんの決意と覚悟の表れだったのだ。

 

 

 

 

いつだったか、小学生になった弟が

 

お友達のおうちに遊びに行くのに

 

「お友達の家まで、ばあちゃんがついていく」

 

と言い出した。

 

私は慌てて

 

「ばあちゃん、恥ずかしかばい。

 

○○(弟)の友達の家までついていくげな、止めてばい」

 

と制止したが、一切耳を貸さず

 

愛車の赤いママチャリで弟についていった。

 

「ちゃんとお父さんとお母さんに報告せやん!!

 

どこどこの誰のお宅に行ったか、

 

ばあちゃんがわかっとかんと、いかんと!!」

 

と険しい表情で。

 

 

 

 

 

 

私たちが大きくなって

 

ばあちゃんはよく言っていた。

 

 

 

とにかく

 

あんたたちば無事に育てるのに

 

必死やったばい。

 

ただただ、必死やった。

 

責任重大やったばい。

 

万が一のことがあったら、産んで返されんもん。

 

 

 

 

このことを振り返って

 

私は、腑に落ちたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛すぎて嫌な愛もある

 

 

 

 

 

どの親も

 

「子どものしたいようにさせてやりたい」

 

と願うのは当たり前のこと。

 

 

だけれども、時には

 

身の安全のために、または社会に適応するために

 

子どもが泣こうが、わめこうが

 

痛がろうが

 

心を鬼にして、必死で守るのもまた親である。

 

 

表面に出てくるのは、

 

苦かったり、痛かったり、

 

堅かったり、

 

腹が立ったり、

 

矛盾することだったり。。。。

 

するのかもしれないけれど

 

根底にあるのは、愛なんだな~と。

 

 

 

 

今年、ばあちゃんは88歳になり

 

大きくなった私の手を

 

あの頃のように力強く握れないほど、年老いた。

 

 

 

 

 

 

 

幼い私が手首に感じたあの痛みは

 

愛だったんだ

 

 

 

時間差で来た愛に

 

涙があふれて止まらない。

 

 

今度、ばあちゃんに会った時は

 

しわしわになって握力も弱った手を

 

私が優しくマッサージしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

ばあちゃん、ありがとう

 

この手で私を守ってくれてありがとう

 

孫育て、おつかれさま

 

ばあちゃんのおかげで

 

みんな立派に育ったばい

 

もう、力は抜いてよかばい

 

もう、安心してよかばい

 

 

 

ばあちゃんの手は、愛を教えてくれた手。

 

ばあちゃんが必死に守ってくれたこの手で

 

今度は私が、ばあちゃんに愛をお返しする番。

 

 

「よか匂いのするね。アロマっちいうとやろ?」

 

と言って、喜んでくれるかな。

 

 

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嫌になるほど痛くても

 

ひねくれていても

 

わかりにくくても

 

変化球でも

 

 

愛は愛。

 

根底は、愛。

 

 

 

こんなにも私の心に揺さぶりをかけた

 

アロマリーディング・ハンドケア講座

 

次回は5月5日(土)に開講予定とのことです。

 

 

心の地殻変動が起こっちゃうかも!!

 

 

講座前のワクワクももちろんですが、

 

講座後の余韻と

 

心の変化がすごいんですよ、奥様!!

 

 

時間は深夜0時を回ろうとしており、

 

もういい加減、早く寝ろよ!って感じなんですが

 

今日の記事は

 

「ばあちゃんの深い愛を伝えなければ!」

 

という使命感だけで書きました。

 

 

様々な伝説を持つ、久留米のばあちゃん。

 

ばあちゃん無くしては語れない、私の人生。

 

私にとっては、偉大な存在であり

 

ネタの宝庫です(笑)

 

ではでは、みなさまもよい週末を~~!

 

 

 

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