朝日新聞アピタルニユースの8月16日掲載記事より抜粋

 「気持ちが悪い。吐きたいんだけど、何も吐けない」


 広島県福山市のJR西日本社員岩田俊一(いわた・しゅんいち)さん(50)は2010年3月28日未明、自宅の壁に倒れかかった姿勢で泡を吹いた。ハンマーで後頭部を殴られたような痛みがあった。市内の総合病院に到着する直前、救急車の中で心肺が停止した。


 CTなどの検査で「くも膜下出血」と診断された。食べ物をのみ込む「嚥下(えんげ)」に関わる延髄(えんずい)のそばの動脈が破れていた。


 すぐに脳神経外科の専門病院に移り、動脈のこぶを細い針金(コイル)でふさぐ血管内治療を受けた。一命をとりとめ、翌日には意識が戻り始めた。しかし大量のたんが出て気管をふさぐようになり、頻繁に呼吸困難になった。


 「たばこも吸わんのに、何でこんなにたんが」。妻のみづほさん(43)が聞くと、主治医は「たぶん、嚥下がうまくいってないのでしょう」と言った。


 のどを切開して気管に穴をあけ「カニューレ」という筒を入れた。呼気は口や鼻を通らずにこの筒を出入りするため、呼吸は楽になった。ただ、気管の入り口にある「声帯」に呼気が流れないため、声が出ない。


 3週間後、脳を圧迫していた液体をおなかに逃がす手術をすると意識がはっきりし、自分で立てるようになった。しかし食事はとれず、栄養は鼻から胃に管を通して補給した。


 2カ月後の5月下旬。リハビリ病棟のある病院に転院した。体力や運動機能に大きな問題はないが、相変わらずたんが多く、吸引器が手放せなかった。


 「お好み焼きが食べたい」


 鼻からの「経管栄養」ではカロリーが足りず、80キロ近かった体重が62キロになっていた。


 嚥下リハビリを担当する言語聴覚士は、のどのマッサージや口の体操を懸命に行った。


 しかし障害は重く、唾液(だえき)や逆流した流動食が肺に流れ込む「誤嚥(ごえん)」を繰り返していた。


 「声帯の部分を切って、食道と気管を分離する手術しかありません」。担当医や言語聴覚士は、ついにこう勧めた。


 みづほさんは耳を疑った。俊一さんの声帯は正常で、気管の穴が閉じれば話せると聞いていた。「なのに、声をあきらめろというの」。(斎藤義浩)