大学に入って1カ月が過ぎた1995年5月4日。札幌市の佐藤隆樹(さとう・りゅうき)さん(38)はバイクに乗っていて、脇から出てきたマイクロバスとぶつかった。
全身を強く打ち、意識を失った。頭蓋(ずがい)骨や肋骨(ろっこつ)、手足の骨が折れ、脳の一部はつぶれ、肋骨は内臓にささっていた。右目は失明した。
市内の救急病院で意識を回復したのは事故から1カ月半後。脳外科の医師は「脳に後遺症が残るかもしれない」と言った。しかし、話すことも考えることもできた。脳のけがについてはさほど深刻に感じなかった。
市内の病院に転院し、内臓のけがに対する治療や、骨折で曲がったままになった足の再手術などを受けた。傷が癒えるとともに、筋力を取り戻すためのリハビリも実施した。当時は、脳の後遺症に関するリハビリをした記憶はない。体の機能回復が中心だった。
事故から1年半後に退院。復学するまでの半年間、秘書検定や英語検定に挑戦した。「頭のリハビリ代わりだったが、自分一人での勉強には何の支障も感じなかった」
ところが、事故から2年間の休学ののちに復学し、人の中に入ってアルバイトを始めると「何かが違う」と感じ始めた。
コンビニエンスストアでは、客の注文に対応できず怒鳴られた。上司の名前を何度も手帳に書いたが覚えられない。デイケア施設でも働いたが、お年寄りの入浴時の着替えにもたついてしまい、「要領が悪い。冷えてしまう」と怒られた。
「一生懸命やっているのに、なぜ、とイライラした」。人間関係がうまくいかず、どのバイトも3カ月と続かなかった。
生活のなかでも、おかしなことがあった。夕食の買い物に出かけたのに母親から頼まれたものが何か思い出せず、お菓子を買って帰った。詐欺まがいの商法にひっかかったこともある。
単位不足を補うためリポート提出を繰り返し、2002年、大学を7年かけて卒業した。大学の就職支援担当でも「仕事の紹介はできない」と言われた。でもそのうち仕事は見つかる、と思っていた。(竹石涼子)