朝日新聞アピタルニユースの7月26日掲載記事より抜粋

 大阪人間科学大(大阪府摂津市)の教授で歯科医師の青木秀哲(あおき・ひであき)さん(47)は1964年、大阪市で喫茶店を経営する父(79)の長男として生まれた。6歳離れた姉の加依子(かえこ)さん(53)に続く、待望の男の子だ。


 つたい歩きを始めたばかりの生後10カ月。母の文(ふみ)さんに連れられてポリオ(小児まひ)の予防接種を受けた。


 ポリオはのどや腸に感染したウイルスが脊髄(せきずい)などに入って手や足にまひが残る病気で、60年に日本で5千人を超す大流行があった。翌年、乳幼児への予防接種が始まり、64年には定期接種となった。毒性を弱めたウイルスを使う「生ワクチン」だ。


 帰宅すると突然、熱が出た。間もなく、秀哲さんの小さな左足が動かないことに、文さんが気づいた。当初「かぜだろう」と言っていた近くの開業医はあわてた。


 運ばれた大阪大病院で、検査や治療のため背骨に何度も針を刺し、髄液を採った。生ワクチンによる発症だった。


 「お母さん、押さえて!」。看護師に言われるまま、注射の痛みで泣き叫ぶ秀哲さんを、文さんは何度も押さえつけた。


 結局、左足にまひが残った。家族5人が住んでいた集合住宅は消毒され、感染を恐れた数軒の家族が引っ越していった。


 数カ月後に退院。府立の総合病院に通院して、動かなくなった左足をマッサージするリハビリが始まった。文さんは喫茶店を手伝いながら、車の運転免許をとり、毎日送り迎えをした。水泳教室に通い、足に効くという温泉にも行った。


 左足にまひがあっても受け入れてくれる幼稚園は、8カ所目でやっと見つかった。入園式で左足を固定する「装具」を初めてつけた。しかし、友だちに「これ、何?」と聞かれるのが嫌で、すぐに外した。


 「あの日、(予防接種に)連れて行かんかったら……」


 文さんは、時おり加依子さんにこうつぶやいたという。秀哲さんは、文さんから直接ポリオのいきさつを詳しく聞いたことはない。


 文さんは昨秋、75歳で亡くなった。「間際まで弟を心配し、自分を責め続けていた」。加依子さんはそう思っている。(佐藤久恵)